2004/10/04
触れるだけの口づけ…

Prologue 七夕

 ある所に、“織り姫”と云う大変働き者の娘がおりました。“織り姫”は、毎日毎日休まずはた織りをしている感心な娘でした。
 ある時、そんな織り姫を気づかい父親である神様は、牛飼いの“彦星”を連れてきました。“織り姫”と“彦星”は恋をし、来る日も来る日も仕事を忘れるくらいに一緒にいました。しかし、仕事を忘れた二人に腹を立てた神様は、天の川を隔てた先に離してしまいました。
 けれど二人は離ればなれになった悲しさに耐えるように、また必死に仕事き、神様はそんな二人を許し、毎年七月七日の晴れた日に二人が逢えるようにしてくれました。
 二人は年に一度、七夕時に逢うために必死に仕事をしました、とさ…。
 めでたしめでたし。


 それは子供の頃よく兄がしてくれた話だった。
 七月七日と同じ日に生まれた兄弟。そこから兄の名は“彦星”から一文字取って、“俊彦”。弟である僕は“織り姫”から一文字取って、“奈織”と名付けられた。
 八歳も年の違う兄弟の所為か、俊彦はいつも奈織の世話を色々としてくれた。そんな優しい兄が奈織はこの世で一番大好きになっていた。
 一人で寝付けない夜。俊彦はよく七夕の神話を話してくれた。そして話終わると、俊彦はいつも云っていた。
『奈織もいつか“織り姫”のように、すべてを捨ててもいいくらいに好きになる人が、出来るのだろうか?』
 奈織はそう問いかけられると、『相手がお兄さんみたいな人だといいな…』、といつも思っていた。
 その気持ちが俊彦にも伝わるのか、微笑んで優しく額や頬に口付けをしてくれた。
 奈織が“織り姫”にはなれないと気付くまで、ずっと…。

1.七夕の朝

「いってきまーす」
 静かにドアを閉めた。二メートル程の人の歩幅に合わせて埋められている石をとんとんとんと、少しだけ身長に進む。
 奈織はちょっと前までこの石で作られた道が苦手だった。それは自分が不器用な所為だが、この石の埋められた道で転んだり、数センチしかない高さから落ちて、怪我をしたりしていた。
 両親は、そんな不器用な奈織を見て、“どんくさい”とよく呆れながら笑った。けれども俊彦は、いつも膝を打って泣いていたのを心配して、脅えて歩きたがらない奈織の手を引いてくれた。そんな優しい俊彦を思い出し、笑みをこぼしながら奈織は小さく呟くように「いってきます」と云って、軋む門を開閉した。
 似たような家が建ち並ぶ住宅地。この界隈は、奈織が住んでいる所もそうだったけれど、ほとんどの家が小降りながら庭付き、二階や三階建て比較的新しめ、と云ってもここ十年くらいで建築された一軒家が並んでいる。その中でも築十年になる奈織の家は、古い方に入っていた。
 生まれて間もない頃に引っ越してきた家。
 奈織は庭に飾られた、七夕の笹飾りを塀越しに見つめた。その瞬間、後ろからポンと肩を叩かれ、振り向いた。
「奈織、途中まで一緒に行こう」
「あっ、お兄さん…」
 少しだけ頬を赤らめながら、恥ずかしげに奈織は頷いた
 奈織にとって俊彦は自慢の兄だった。子供のころから美術が得意だったらしく、中、高の美術部を経て、美大に入った。そして、中学から一緒だった友人の中村 基と共にデザイン会社を作って、今は広告のデザインを中心に仕事をしていた。
 俊彦のやっている会社は、大きな会社のデザインと違って話題には上らない。それでもどこか大きな会社の下請けもしているらしく、奈織が通学で使う電車や駅で俊彦が作った物をしばしば見かけていた。それを見かけたり、俊彦に教えて貰うと、奈織はとても嬉しかった。

「今日、どうするんだ?」
「え?」
 俊彦の問いの意味が飲み込めず奈織は、戸惑いながら首を小さく傾げた。不安そうな表情をしている奈織に、俊彦は愛しいものを見る優しい表情を向ける。
「誕生日」
「あっ…」
 質問されて奈織は初めて、とても重要なことを忘れていたのだと、反省した。さっき庭に飾ってある笹を見たはずだったのに、今日は俊彦とそして、奈織自身の誕生日だった…、と。
「あ…、そうだよね…。今日は七夕だ…」
 どんどん顔が熱くなるのを感じながら、奈織は俯きながら呟く。
「あ、あの…。えーと…、学校のお友達と少し逢う約束があるけど…、それ以外は…」
 奈織が一通り話し終わるのを待ってから、俊彦は優しく頷く。
「そうか…、祝ってくれるお友達がいるんだね。よかったね」
 俊彦に誉められた嬉しさと、そして何とも云えない恥ずかしさに、口を引き結んだまま奈織は笑みを浮かべた。気持ちが伝わる俊彦は、奈織の頭を子供を誉めるように軽く撫でた。
「あの…、お兄さんは?」
「え、ああ。ごめんな、せっかくの俺と奈織、二人の誕生日なんだけどね。今日は、絶対に入校しなければいけないチラシがあるから…。クライアントの返答しだいなんだけど、きっと遅いな…」
「そうか…」
 あふれ出す寂しいと思える気持ちを必死に押さえて、俊彦に悟られないように奈織は、普段している表情をするように必死に心掛ける。
「あの…。お、お仕事、大変そうなんだね…」
 嘘の付けない奈織の顔が曇ったのを感じた俊彦は、優しく何度も頭を撫でる。
「有り難う、奈織は優しい子だね。でも、好きでやってる仕事だからね大変とは思っていないよ」
 自信ありげに云いきった俊彦の姿が、嬉しくなった奈織は、毎日逢えないわけではないのに、寂しいなんて思ってはいけないと反省した。そして、出来るだけ俊彦を励ますように笑顔を作る。
「そうなんだ…、でも無理しないでね」
「大丈夫だよ。奈織がそうやっていつも心配しているから、無理はしないから」
 俊彦の優しい言葉に、奈織はにっこりと微笑んだ。
「そうだ。お兄さんに誕生日プレゼント用意してあるんだよ。こずかいを貯めてだから、そんなに良い物じゃないけれど…」
「奈織は学生なんだから、そんな気を使わなくていいだよ」
「でも、高等部に上がってバイトしているお友だちも何人もいるんだけどね…」
 寂しそうな表情をする奈織の頭を、俊彦はあやすようにそっと撫でる。
「そんなことしなくていいんだよ。奈織の学校はバイト禁止だろう?」
「うん…」
 いつも自分を気づかっていてくれる俊彦に何かしたかった。けれど高校に上がったばかりでは、まして不器用で、バイトをする勇気もない奈織では何も出来ない。自分の事実と思いの矛盾を噛み締めながら奈織は表情を曇らせた。
「でも、有り難う嬉しいよ、そう云ってくれるだけで…。俺も奈織に誕生日のプレゼント用意してあるんだ」
「え、本当?」
「楽しみにしていてくれよ。でも兄弟で同じ日が、家の親は、手抜きだよな…」
 俊彦のふざけたもの云いに奈織は嬉しそうに微笑みながら呟く。
「でも…、七夕生まれって…、好きだな…」
「そうか?」
 恥ずかしそうに呟く奈織を見て、眩しそうに目を細め、俊彦は頷いた。俊彦の視線に奈織は自分で口にしたことに照れながら、少しだけ照れを隠すように口を尖らせる。
「でも、だから…、奈織って名前は好きじゃない…」
「そうか?」
「お兄さんの名前の“彦星”から、“俊彦”って素敵だけど…。“奈織”って…男なのに、“織り姫”からって嫌だ…」
「そんなことないよ。奈織に似合っていて素敵だよ。俺は好きだな…、“奈織”って名前…」
 “好きだな”と云うと言葉が恥ずかしく、奈織は思わず頬を赤らめた。真っ赤になっている奈織を愛しげに目を細めて見つめる俊彦は、もう一度優しく奈織の頭を撫でる。
「さ、のろのろ歩いていると、学校に遅刻するぞ」
 笑みを浮かべ嬉しそうに頷く奈織は、少しだけ足を早めた。そして少し俊彦からところで立ち止まり俊彦に手を振る。
「お兄さんも、いってらっしゃい」
 笑顔で幸せそうに学校に向かう奈織を俊彦は微笑みながら軽く手を振り見送っていた。


2.放課後

 まだ梅雨明け宣言はしていなかったが、七月に入って雨は一向に降っていなかった。今晩はきっと“彦星”と“織り姫”は、一年ぶりの再会ができるだろう。
 奈織はショッピングデパートの四階で、微かに見える何処までも晴れ渡っている青空を見つめていた。

「ねえ、これ、どう思う?」
 可愛いビーズで出来た髪留めを持った美樹は、自分に関心なさそうに空を仰いでいた奈織に近寄り顔をのぞき込んでくる。
「え、似合うよ」
 奈織の態度が、自分に感心なさそうに見えるらしく、疑うようなそんな視線を向ける。
「本当? ねえ、真剣に見てよ」
「田畑さんは…、かわいいから、そう云うおしゃれなのが似合うと思う」
 “そう?”と見つめる美樹に、頷きながら奈織は微笑んだ。しかしそう思ってはいけないと感じるが、美樹の表情はかわいいと云われて当然の様な、そんな余裕のあるものに見えた。
 確かにかわいいいのだと思うし、自分でどんなデザインが似合っているか、をよく知っている美樹には髪飾りはとてもあっていた。けれど初めて女の子とつき合った奈織には、美樹に対してどんな賛美をしていいのか、言葉が浮かばなかった。それと同時にいつも自信満々に見える美樹がうらやましかった。
「有り難う。奈織の誕生日プレゼント探しに来てるのに、奈織が全然欲しいものいわないから私の買い物つきあわせちゃて、ごめんね」
 上目ずかいに見つめる美樹に、奈織は小さく頭を横に数度降った。
「別に構わないよ。田畑さんがそれでいいなら」
 少しだけ奈織の言葉に合点がいかなさそうな顔をするが、にっこりと笑って美樹は首を傾げる。
「本当? じゃあさ、これ記念に買ってくれる?」
「え? いいよ、そんなに高い物でなければ…」
 時々こうやってねだってくる美樹に一瞬驚いたけれど、こうやって慕ってくれるのは別に嫌ではなかった奈織は、鞄から財布を取り出た。

 田端 美樹は奈織が通っている高校の、すぐ近くにある女子校に通っている。今年四月に中等部から高等部へと移り、少しだけ環境に落ち着いた五月、校門のところにいた美樹に声をかけられた。
『良かったら皆でお茶しない?』と…。その日、双方の友人混ぜて六人で放課後を過ごした。それから美樹から何度も買い物や喫茶に誘われて、それほど時間をおかずに『つき合って欲しい』と云われ、押しが強い美樹に流される様につき合いが始まった。
 美樹は明るく皆から人気があるし、話しを聞いていて楽しい。けれど時々こんな風なつきあいで美樹は本当にいいのかな…、と不安になるときがある。多分それは美樹を恋愛の相手としてどう考えていいのか判らないからだと思うからだった。


3.帰り道
 会社帰りの者で駅がごった返し始めたけれど、日が陰る気配を見せず、ショッピングデパートの外に出ると、よけいに熱気への不快さが感じられた。
 ショッピングデパートがある駅から、すし詰めの電車に乗りって、美樹の家がある住宅地の人通りがそんなに多くない私鉄の各駅停車の駅で下車した。
 改札を抜けると、駅前ロータリーにある植え込みに美樹に引っ張られるように奈織は腰掛けた。美樹の髪には先ほど買った髪飾りが付いていた。奈織は美樹の嬉しそうな表情をみて、『喜んでくれて良かった』そう思え自然に笑みを浮かべていた。

「ねえ〜 似合う?」
 満面の笑みで少し自慢げに奈織が買った髪飾りを髪に付けて見せて来る美樹。
 笑顔で頷く奈織に美樹は笑顔のまま、目を閉じるとキスを求めるように唇を尖らす。奈織に取って身内を外すと初めてのキスだった。どうしていいか判らず動けない奈織。戸惑う奈織に美樹は小さく微笑んだ後、自分から唇に口付ける。初めての口付けに驚く奈織に、美樹は笑みを浮かべて立ち上がる。
 女の子との初めての口付けは、唇が重なったと云う感覚や性的な思いよりも、美樹と全く変わらない身長の方が気になった。

「じゃ、帰るね。髪飾り有り難う、嬉しかったよ」
 奈織に手を振る美樹。こんな人通りがある場所でのファーストキスに戸惑い真っ赤な顔をしながら、笑みで見送った。
 美樹が見えなくなったところで、奈織は無意識に溜息を付いた。
 その瞬間、奈織の背後から声がする。
「見たぞ〜」
 誰かと思い驚き振り返ると、そこには笑みを浮かべて手を振る基が立っていた。
 中村 基は、俊彦の高校時代からの友人だった。美術部、同じ美大を経て、今一緒にデザイン会社をやっていた。何度か作品を見せてもらったが俊彦はどちらかと云うと出来上がったもの全部を見て、素敵とか、奇麗と云う雰囲気がある。けれどそんな俊彦とはまったく違って基は、見た瞬間目の前で何かが始めるような不思議な感覚のあるものを作っていた。そう云えば、俊彦が時々愚痴るように、クライアントの思いと重なると受けが良いが、拒絶されるときはぼろぼろにされる…、そんなことを聞いた覚えがあった。
 何となくだったが、知り合いに見られたと云う恥ずかしさが溢れてきた。顔がどんどん熱くなるのを奈織は感じた。
「な、中村さん…」
 少し嫌らしさを感じる基
「いいね〜、青少年。青春って感じ?」
「中村さん、おやじくさい…」
「ひっどーい、ボクは、君のお兄さんより数ヵ月若いんだよ! 奈織くんにそう云われると、俺傷ついちゃうな…」
 大げさな身振りでそう云うと基は更に派手な格好で泣いた振りをする。吹き出しそうになるのを抑え、奈織はぼそりと“でも、お兄さんはそんな云い方しない…”と呟いてみる。基は高校時代から家に遊びに来ていたせいもあって、人見知りをしてしまう奈織でも気軽に話せる相手だった。
 奈織の言葉ににっこりと笑った後、子供をあやすように頭を撫でる。
「そうだっけ?」
 少しだけ奈織でも含みを感じる様な口調だった。しかし、何年も親しい友人関係を続けている基と俊彦の間は、きっと奈織では判らないものもあるんだろうと自分を納得させる。本音は少しだけ奈織では判らない俊彦の部分が寂しく感じられたけれど…。
 俊彦へのコンプレックスが把握済みなのか、基はもう一回、奈織の頭を撫でると話を変える。
「まあ、俊のことはどうでもいいや…。それよりさ、さっきの彼女?」
 “彼女”と云っていいのか一瞬迷った奈織は、恥じらいではなく、ただの戸惑いで小さく首を横に振る。
「そんな…」
「照れなくてもいいよ。君くらいの頃は、俊も俺も何人も彼女がいたもんさ」
 俊彦がもてているのは、子供ながらでも知っていた。時々俊彦の元に女性がプレゼントを持って訊ねたり、学校で貰ったと誰かの手作りのお菓子を奈織にも分けてくれたから。それでもいつも“俺は奈織だけだからな…”と微笑んでくれた俊彦の言葉を信じたかった。俊彦のことはおいておいても、常にマイペース以外の人生を送っている様に見える基に関しては、適当に恋愛をしているように感じていた。
「そんな…、中村さんならまだしも…、お兄さんは…」
「信じちゃってんだね」
「え?」
「いーや、でもさ、そのくらい普通だろ?」
「…。判りませんよ。そんなつきあってるか…、どうかなんて…」
「…」
「あ、あの…」
 無言に耐えられないように、奈織が基をのぞき込んだ。とたんに基は、近づいてきた奈織の腕を掴むと、歩き始める。
「ちょ、中村さん…」
「今日誕生日だろ? 飯ごちそうしてやるよ」
「でも…」
「せっかくの誕生日なのに、俊仕事で帰れない。だからチャンスってことで…」
「何がチャンスなんですか?」
 戸惑う奈織の唇をかすめるように、そっと口付けをした後、基は上機嫌で腕を掴んだまま歩き出す。

To be continued.

そんな云い訳していいわけ?
思いっきり書け書けなかった時期の小説です。
でも無事に新刊として、10/10でることとなりました。
めでたい&Rin様有り難う御座いました。
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