2000/10/23(月)
Blue...。〜NoBlack and White in The Blue <〜正義Ver.><

 ハッ!!

 ”00:30”。枕元のデジタル時計が時刻をそう刻んでいた。

 仕舞った。いつの間にか、うとうとしてしまった...。

 隣で規則的な寝息を立てている男...、直行を起こさない様にして、何も身につけないまま静かにそっとベットを出て、さっきまでの激しい行為の名残を躯に感じながら、部屋に散らばった衣服を持ってユニットバスに向かい、シャワーを浴びる。

 蛇口をひねると目が覚めるような冷たい水が全身を打つ。

 古い造りのこの部屋の給湯器は蛇口をひねっても直ぐにお湯が出てはこず、最初はまだ暖まりもしない冷たい水が出る。しかし、先程までの直行との行為で緩んだ気分をその水はたしなめる様に全身を打っていく。

 それになれてしまった所為か気持ちよかった。

 1、2...もう5年になる。こんな関係を直行と始めて...。

 この5年間色々なことがあった。

 こんな関係を止めようと何度も思い、何度距離を置いたことかわからなかった。

 恋愛をし、結婚をした。もうじき2歳になる息子も出来た。云い訳に聞こえるかもしれないが、妻も息子もこよなく愛していて、家庭に何の不満もない、夫婦生活もうまくいっている。

 それでも、気がつくとまるで蜘蛛の糸に引き寄せられるように直行との約束の場所...”BarBlue”にいて、直行を待っていた。そして直行と逢えば直行が...、直行の躯が欲しくなり、直行も直行が大丈夫で有ればそれに応え、お互いがお互いを貪りあわずにはいられなかった。

 この関係を断ち切れないのは俺が優柔不断だからだ。しかし、あの日偶然は起こるべくして起こり、それが一ヶ月の時間を経て必然に変わっていった。俺が意識する間もなく...。

 

 ”直行”...、”島津 直行”との出会いは、新入社員研修の時だった。

 就職難と云われる世の中で、俺は比較的苦労せずに第一志望だった大手コンピュータ会社株式会社AZUの営業部門に就職し、入社式を終え、部門の新人研修日を迎えた。

 直行とは研修の座席が名前の順に設営されていて、俺”坂上 正義”の隣が”島津 直行”の席だった。

 誰も知っている人間もなく、緊張冷めやらない気分で研修が始まるのをドキドキしながら待っていた俺に、最初に声を掛けてくれたのが直行だった。

 その時の直行は、人好きされそうな雰囲気で、明るく話題も豊富で、話をしていてとても楽しく俺の緊張感をほぐしてくれた。

 いや、そんな直行にだまされていたことに気づかないほど俺は世間知らずだったのかもしれない。

 新人研修中も誰にでも人当たりが良く、頭も切れる直行は一週間と立たずに同期皆と親しくなっていた。その反対に俺は、子供の頃からの人見知りの所為(せい)か”直行”以外の同期とは2、3人と話をしただけで、直行のそんなところを尊敬していた。

 けれどそんな中でも、直行の人為(ひととなり)を理解できないモノもいた。それは研修の指導をしていた先輩社員だった...。

 そして事件が起こってしまった。

 きっかけはどんなことか忘れてしまったが、俺と出身大学が同じだった研修指導の社員が自分の大学の自慢話を始め、同じ大学出身の俺をほめ、反対に隣に座っていた直行をスケープゴードの様にぼろくそに云った。

『お前みたいに三流大学出身のやつは!!』

 今までそんなことを考えたことが無かった俺にはその言葉が胸を貫いた、そして直行と親しくしている同期の皆も同じよう考えているのだと思った。

 しかし、俺の周りのいつも友人ぶっていた同期まで指導教官の言葉を聞いて、他人のごとと知らん顔を決め込んでいるモノ、その先輩社員を同じように直行に対して冷たい視線を浴びせているモノと皆今までとは全く違う視線を感じた。

 そして俺は、指導教官の言葉もそんな同期の態度も納得できず憤りを覚えていた。

 その日の夕方研修が終わった後、直行とどうしても話がしたくて直行が研修室を出るのを待って追いかけた。

 直行は直ぐに帰途にはつかずに会社の5Fに上がり、の黄昏色に染まる休憩室で無表情のまま座っていた。

 俺は直行に少し遅れて入った。

 しかし、何か考え事をしていたのか直行は俺に気づかなかったので、自動販売機で缶コーヒーを一本買ってから直行の横に腰掛けた。

 その時やっと直行は俺の存在に気づいた。直行は俺の方を向かずに云った。

「何か用?」

 そう云われてから直行に何をしたくて追い掛けたのか解らないことに気づきいた。

 どう話しかけて良いか云い言葉が浮かばなかった俺は戸惑い、無言で子供が自分の菓子を大人に分けるときのように缶コーヒーをそっと直行に渡した。

 直行は眉根を寄せて怪訝そうに俺を見たてからコーヒーを受け取った。

 顔が熱くなるのを感じながら俺は云い放った。

「飲めよ!毒は入っていないぜ」

「同情ですか?三流大学出身の俺がかわいそうだと思ったんですか?一流大学をストレートで入った人間は余裕がありますね」

 反論を俺はしなかった。その時きっと先輩社員も同期の連中も、直行の触れては聞けない部分に、土足で踏み込んで傷つけたのだと思ったから...。

「なあ、景色、すんげー奇麗だよな。薄闇にまた輝き始めたばかりの疎らな星ってかんじでさ」

「は?」

 突然話題が変わり直行は”何を云ってるんだ?”と伺うように眉間にしわを寄せ俺を睨む。

「まあ、聞けって。春って人の心を不安にさせるんだぜ。こう薄闇に寒くも熱くもない空気に包まれると人はどうしていいのか解らなくなって不安になる。まるでその生温い空気に取って喰われそうなそんな不安。だからさ、春の夜はちょっとした事柄でも不安になって云い答えが出ないんだ。だからさ...そんなときには考えちゃだめだぜ。嫌なことは...」

 いつも春になると感じていたことだったが、口に出してみると気恥ずかしさをさすがに感じる。けれど直行は何も云わずに手の中の缶コーヒーを見つめてからそれを開け、口に含んだ。

「坂上さんは...、ロマンチストですね...」

 そう呟くように云われ、頬がどんどん熱くなっていくのを感じる。正面を見ているので俺の方を見ていないはずの直行は俺が真っ赤になってるのを知ってか知らずか、直行は鼻でクスリと笑う。

「俺...、砂糖とミルクの入ったコーヒー好きじゃないんだけど...」

 そう云いながらコーヒーを口含み直行は俺の方を向きもせずに、それ以上何もしゃべらなかった。

 それでもここを立ち去りたくなかった俺は、自分の分の缶コーヒーを買い、無言のままそれをお飲み終わり、直行がそこを動く気配がなかったので、何も云わずにその場を立ち去った。

 

 後で考えると、この時直行を追いかけさえしなければ、今の直行との関係は成立しなかったのかもしれなかった...。けれどこの時は俺は直行のことを考えていて、少しでも直行のために何かをした...。そんな風に考えていたのかもしれない。後で手痛い目にあうとも知らずに...。

 そして、問題の研修の最終日を迎える...。

 

 新人研修最終日、新入社員の配属が発表された。

 俺は、営業一課の配属になり、直行は、店舗配属の辞令を受け取った。

 その日は金曜日で、翌日が休みと云うこともあって、休み明け月曜日には別々の配属先に別れて行く同期10人で簡単な研修の打ち上げをしようと皆で飲みに行くことになった。

 一次会、二次会と研修で一ヶ月間、机を並べていた仲間との別れ難さも手伝い、殆どの人間が残っていたが、さすがに三次会になるとかなりの人間が抜けた。そして三次会は直行の案内で彼がよく行く”Bar Blue”に着いた時には、研修で特に親しかった4人だけになっていた。

 大学時代に何度も飲みにいったが、俺も他の二人も大学生の団体が行くのは、たいてい安い居酒屋ばかりだったので、”Bar”と云う名の付く大人の雰囲気が有る店には、足を踏み入れたことはなかった。

 少し緊張して店に入ると店には、心休まるようなゆっくりとしたスイングジャズが流れ、客達は周りの邪魔にならない程度の声で密やかに会話をし、悪酔いしている人間はいない。

 直行以外は、まるでお上りさんのように、初めて踏み入れた大人の気配をキョロキョロと見回していた。

 内装は、店の名前通り”Blue”、少し明るめの青を基調としていて、ドラマに出てくる”Bar”と多少違うなと思ったが、予想していたのと一番違うなと思ったのは、照明が文庫本が読めるくらいの明るさになっているところだった。そしてこの店に入って印象に残ったのは、その店の天井に拡がる写真とも絵とも云えない、一面の透明に近い青...、それは心の洗われる様な澄み切った”青空”が広がっていた。

 なぜだかとても懐かしいようなまぶしい青だった...。

「すごい!ぬけるような青空だな...」

 俺はその店の天井に感動し、そのままを口にした。それを聞いた直行は楽しそうに笑った。

「坂上さんは本当にロマンチストだな」

 確かこの前も直行にそう云われた。そう云われて俺は顔が熱くなるのを感じた。

「そうか?この前もそんなこと云ってたね。そうだな、そう云われればよく云われるかな...」

「でも空の青さなんて所詮空気中の塵やガスの分子じゃないか...」

 少しだけ意外な返答だと思った。けれど研修中の何でも完璧にこなそうとし、それが出来ないとギュッと唇を人に見えないように噛み締めていた直行の様子を思いだした。

 きっと直行は俺とは違って、いつも現実をまっすぐに見ているのだと思った。そう考えたら現実的と云う言葉が直行にはピッタリくると思う。

「そう云う島津さんは、リアリストか?」

 直行はクスリと笑っただけでその返答をせず、別の話を始めた。

 長い時間居たつもりはなかったが、気づくと終電ぎりぎりの時刻になっていた。誰かが慌てて”帰らなければ”と云ったのをきっかけに宴は名残惜しくもお開きになった。したたかに酔った俺は、帰る方向の同じだった直行とタクシーに同乗した。

 

 この時タクシーに同乗がしなければ...。

 俺の運命はどうなっていたのだろう。

 そんな”後悔”が5年間経った今でも時々躯を苛(さいな)む。

 少しずつ温かくなる湯で思い切り顔を洗った。

 

 かなり酔っていたのか俺は熱くなりタクシーの中で上着を脱ぎ、ネクタイを外し、直行の肩を借りてうとうとしていた。直行はそんな俺に優しい声で話しかけてきた。

「大丈夫かい?俺の家この近くだから少し酔いを冷ましてから帰った方がいいんじゃないか?一人暮らしで汚いところだけど、帰れなきゃ泊まっても構わないし。そうだ、上手くないけどコーヒーくらいは出すよ」

 人懐こい笑顔、この時俺は直行と離れ難たかった。

 部門配属される月曜日からはこうやって隣で話すこともなくなる。そんな別れ難さと明日は休みだと云う気の緩(ゆる)み、そして心地よい酔いから俺はその誘いに乗ってしまった。

 直行の部屋は、小高い丘の上に建ち並ぶの古びた二階建てのマンションと呼ぶよりもアパートと呼んだ方がいい雰囲気の建物の2F、3つ並んだ部屋の真ん中の部屋だった。

 所々に建てられた外灯と、眠らない街の照明(あかり)と、その日の雲一つない夜空の星のきらめきが、ドアの前に立つと闇に入り交じって宝石箱のように奇麗で思わず見とれてしまった。

 そんな俺の横で直行は、何も話さずに部屋のカギを、ドアを開ける。

 建て付けの良くないドアが”ギィ”と軋んだ音を立て開く。

 ”どうぞ”と云われて部屋に入ったのは俺の方が先だった。そして、俺は直行に誘われるままに直行の部屋に入っていった。

 

 シャワーからはまだ熱くなりきらないぬるま湯が全身を打っている。俺はその湯を浴びながら濡れた両手を見る。

 そう、今でもあの時のことはスローモーションの映像を見ている様に鮮明に覚えている。

 直行との初めてのあの夜を...。

 

 滄溟(そうめい)な部屋...。

 三和土の直ぐ右側にある浴室らしきガラス戸と、反対側に広がるキッチンの小さな窓から漏れる外灯の光を受け、部屋の中は深い海の微かな薄明さに包まれ、まるでそこだけ時間が止まったように感じる。

 半畳の三和土に脱ぎ散らかされた靴、そこに続く四畳半くらいのキッチンは殆ど使用されていない様子で埃を被り、空いたスペースには何かの大きな段ボール箱が積まれ、ビールやコークのぺットボトルが無造作に数本置かれ、その横に分別された透明なゴミ袋がくたびれたように倒れていて、その様子が独身男性の一人暮らしの部屋を感じさせた。

 灯りのついていない部屋は外から差し込む青い光でまるで深い海の中にいるようだと思った。それでも勝手に部屋に入ることを躊躇しながら、目を凝らして部屋の様子を伺い、立ちつくしていた。そんな俺の背後に直行の存在を感じ、慌てて振り向く。

 この時後ろに立っていると解っている存在に恐怖を感じ息を飲んだ。

 ドアノブを握っていた直行の手がゆっくりとドアを放れ、自然にドアが締まり、そしてカギのかかる音が静まった部屋に微かに響く。

 既に二時近いかった所為(せい)か、辺りは静まり返っている。時折強い風の音だけが耳に付くように聞こえてくる。

 二人が立つのがやっとの三和土に、二人はまだ靴すら脱いでいなかった。

 そして、背後から伸びてきた直行のたくましい長い腕...。

 俺は動けなかった。

 突然、その腕で力一杯抱きしめられ、首筋に直行の息づかいを感じた。その時なぜか一番最初に思ったことは、間抜けにも直行の両腕の強さだった。

 直行が何をしようとしているのか思考が伴ってきた時にはもう、その力強い腕は俺のベルトのバックルがボタンがはずれ、ジッパーが生々しく音を立てて下りて行く。抵抗しようと思えば抵抗できるはずだったけれど俺は状況の方を受け入れてしまった。俺が抵抗しないのが解ったのか直行の手が俺自身を直接つかみ、その手が少しずつを蠢(うごめ)かせ、男の一番弱い部分を巧みに何度も速度を早めたり遅くしたりしてを擦っていく。

「...あぁ...う...何の...や、止め...あぁ」

「”やめ”の続きはなんですか?」

 ”くくっ”っと直行の密かな嘲笑にも似た笑い声が耳につく。

 俺は体内で消化しきれていないアルコールと、直行の手中に収められたモノがもたらす感覚で、全身が甘やかな乳白色の霧で包まれているような気分になり、ただ状況を把握するよりも先に直行のもたらす行為を受け入れていく。

「あ...。ぁあ...」

「こんなに涎(よだれ)を垂らして。”男”にこうされるのが、気持ちいいんですか?」

「!!」

 甘やかな快感に包まれ状況に酔いながらも微かに残った思考が、不安を感じる。

 ”今俺にこうしている男はいったい誰だ。”そこには俺の知っている直行の姿はなく、ただ優越感に酔う見知らぬ男のようだった。

 獲物を見つけた猛禽類のように直行は、少しずつけれど確実に俺を追いつめていき、そして俺はとうとう耐えきれずに直行の手の中で限界を迎え、荒くなった息を持て余しながら、立っていられずに座り込んでしまう。

 そんな俺を直行は見下すようなそんな声で、楽しそうに笑った。

「お酒飲んであんなに酔っているのに、それでも感じるんですか」

「や、やめろ!」

 直行の俺に対する嘲笑は、まるで辱(はずかし)めを受けているように感じられ、押さえられない怒りと、そしてその耐え難い羞恥心が沸き上がり、全身が小刻みに震えているのを感じる。

「粗相(そそう)してシャツも尻も、もうべたべただ。良かったですね、脱いでいて、スーツは無事みたいですよ」

 そして直行は呟いた。”でもこれなら潤滑剤をわざわざ使わなくても大丈夫ですね...。”と。

「!」

 体内に残るアルコールと、一度快感を吐き出し抗う体力を既に残していない躯に、恐怖心が襲い緊張感が走る。朦朧とした脳裏に”犯(や)られる”そんな言葉が浮かび上がる。

 けれどそんな不安は直行が次にとった行動がかき消した...。

 直行は俺の萎えたモノを口に含んだのだった。

 そして、口に含まれたモノは直行の舌技によって感情とは裏腹に、再びはっきりとした欲望を表し始め、その感覚に酔い”もう少しで達(い)ける”と新たな快楽に身悶えた瞬間、直行の口は離れる。

「あ...」

 まるで焦らし、欲望に煽(あお)りをくわえるように、ゆっくりと直行はズボンを、そして下着を脱いでいき、俺を床に押し倒して組み敷くように覆い被さってきた。

 欲望だけを追い求めようとしている脳裏に”これから直行が何をするのか”と云う不安と恐怖心が過ぎり、全身に緊張感が走り、力一杯目を瞑った。

 その緊張感は次に襲って来た快感によって直ぐにかき消された。

 先程から直行の唾液でべとべとになったモノが、何か熱いモノによって少しずつ包まれていき、その中で新たな快感の波が襲ってきたのだった。

「う!...、あぁ...。もう少しで全部入ります、ちょっと動かないで下さい...」

 耳元に掛かる直行の苦痛と歓喜に満ちた喘ぎ声とそして熱のこもった甘いた吐息...。俺の屹立したモノが直行を侵略して行き、熱いものによって締め付けられ、俺自身が直行の中に全てが収まると直行は少しずつ動き始める。

 直行の動きで俺の屹立したモノは更なる快感を与(あた)えられた。初めて感じる男の中は、今までの経験を上回る快感をもたらしていく。

 その快感に理性が全て消え去り、沸き上がる欲望に耐えきれなくなり俺は、覆い被さっていた直行を床に押さえつけ、そして体制を変えたところで直行をただ力任せに揺すぶり、更なる高みを目指した。

 そして絶頂の気分で直行の中に精を吐き出し、直行も俺のシャツの上に己を解放した。

 二度の吐精と、そしてまだ体内に残っているアルコールも手伝って、俺は心地よい気分のまま意識を手放した。

「いつまでそんな所に転がっているつもりですか?」

 直行の冷ややかな声が聞こえる。

 この一ヶ月間のつき合いからは想像できない程の冷たい声。その声にぼやけていた意識が少しずつはっきりとしていく。

 俺の意識が遠のいている間に直行はどうやらシャワーを浴びたらしく、髪からは冷たい滴をしたたらせて、腰にバスタオルを巻いた状態で煽るように俺を見下ろしていた。

「あの、邪魔なんですけど...」

 慌てて起き上がり通り道を開け、起きあがってから自分の姿に気づき”ギョッ”とした。

 俺の姿は、靴も脱がずにズボンと下着だけを下ろしていて、ジャケットとネクタイは床に放ってあり、シャツは着てはいるけれども二人が放った汚れと汗で躯にべっとり張り付いていて不快感すら感じられ、その情けない格好に俺は顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。そしてぼやけた意識がはっきりしたときに自覚した事。

 そうだ...、俺は直行を抱いんだ...。

 少しずつ記憶が蘇り、俺は何と云っていいのか解らずに言葉が出ない。それでも何かはなさなければ...、と口を開いた。

「あ、あの...。俺は、島津さんを...、島津さんと...、その...」

 最初は直行に抱きしめられそして始まった行為とはいえ、勢いにまかせて俺は直行をあんなにも乱暴に抱いた。まるで獣のように...、直行を貪った。

 少しずつ思い出された記憶に音を立てて酔いが冷めていく、そんな感覚に襲われる。

 どんな云い訳を考えようとしても、アルコールで意識が緩慢になっていたとはいえ、俺がしたことは紛れもない事実だ。

 アルコールの冷めた頭で状況を少しずつ整理していく。

 あの滄溟(そうめい)なこの部屋の三和土に足を踏み入れ戸惑っていたときに、俺を抱き締めるように伸びてきたあの力強い腕。同性だとか常識だとかを考える前に...、直行の本当の気持ちが知りたかった...。男と女ならきっと俺は責任をとらされても仕方がないことをした。もしかしたら直行は...。俺はどうしたらいいのだろうか...。

 けれど、直行からは氷のように冷たい視線と物云いを俺に返した。

「いつまでそんなモノ見せびらかしてるんですか?それとも見せびらかしながら、玄関先で寝るのが趣味ですか?迷惑なんですけど」

 きっぱりと云った直行の言葉で、直行との行為に酔っていた自分の感情が一気に醒め、直行が何を考えているかが理解出来ずに、反対に怒りがどんどん沸き上がってくる。

 その怒りに下唇を少し噛みしめ顔を怒りで真っ赤にしながら俺は、慌てて下着とズボンを履き、靴を脱いで、とにかく冷静になろうと自分に云い聞かせる。深呼吸するように小さく息を吸ってから吐き、理性を総動員して直行に云った。

「悪かった...」

「いえ、どいてくれればいいんです」

「あ、それもだけど...」

 直行はニコリともせず、先程の余韻のかけらさえ感じられなかった。その雰囲気にのまれ俺は、次の言葉が続けらず、その変わりにこのべたべたした不快さを何とかしようと思った。

「あ...。俺もシャワー借りていいかな?」

 侮蔑な表情をした直行が、しょうがないと小さくため息を付き”そこです”とバスルームに電気をつけた。

「悪い、タオル借りていいかな?」

 もう一度俺を睨み、面倒くさそうに再度、今度は聞こえるような大きめのため息を付いてから、自分が裸になるのも全く気にせずに、腰に巻いてあったバスタオルを差し出し、俺とはこれ以上関わりたくない様子で間続きの奥の部屋に消えていった。

 俺は大きなため息を付きながらバスタオルを握りしめ、気を取り直しバスルームに入った。

 バスルームは、余り奇麗とは云いがたい状態のトイレとバスタブが鮨詰めになったユニットバスだった。備え付けの棚の上に雑に置かれているバス用品に、この部屋に入ったときと同じ様に研修の時とは全く違う直行とのギャップを感じ、戸惑い、全く知らない人間に感じる直行への不安が募った。

 しかし、そんな不安をバスルームに付いている小窓から漏れる外灯の明かりが、このやり場のない思いを癒してくれるようなそんな気分にしてくれた。

 俺は大きく深呼吸をし、気分を取り直してシャワーを浴びようと衣服を脱いだ。

 汚れ物を脱ぐとシャツもアンダーシャツも、洗濯をしないと着ては帰れない状態になっていて苦笑した。しかし下着は換えもなく、あの様子では直行から換えを借りるわけにもいかなさそうなので、幸い脱いでいて余り汚れていない下着の洗濯だけは断念し、それ以外の汚れ落とそうと小さくため息を付きながらバスタブに着いている蛇口をひねった。

 冷たい!げ、水じゃん...。

 湯を出したつもりだったがユニットバスは古いタイプらしく、直(す)ぐには湯が出ないようだった。それでも使い慣れない人の家のバスルームに四苦八苦しながら洗濯をし、躯に付いた汚れも置いてあった固形石鹸で洗いバスルームを出た。

 框(かまち)に掛けてあった空(から)のハンガーを借りて、洗濯モノを干した時には、完全にアルコールが抜け、少し肌寒さすら感じる。着ていたモノ洗濯してしまったので、下着一枚の姿で直行がいる奥へと進んでいった。

 外からの薄明かりを受けているとはいえ、電気の消えている部屋の中は暗く、床に乱暴に積まれている本らしきモノの山や、色々な所から出ているコンセントなどの障害物を踏まないように目を凝らしながらよけ、なんとかベットにたどり着いた。

 ベットにたどり着くと直行は肩までタオルケットを掛けて既に休んでいるのか動かなかった。きっともう寝てしまったのだ...。と、小さく息を吐いてからなるべく音を立て無いように静かにベットへ入った。

 男二人で休むには狭いシングルのソファーベッド。けれど、物に溢れているこの部屋の床では休むところも無かったので、仕方なくベットに入った。横になると隣で寝ている男の寝息が耳元で微かに聞こえてくる。

 タオルケットを掛けてはいるが、上半身裸の直行の姿と微かな寝息は、先程の情交の名残を燻るには十分扇情的だった。俺はその姿に先程直行の姿を思いだし、首筋にそっと口付けをして、直行の微動だにしない姿を確認すると、悪戯心は更に煽(あお)りを受け、新たな悪戯心に火が点(とも)る。

 体重をかけないように覆い被さり、小さな音を立て首筋から少しずつ下へと口付けを下ろしていき、胸の飾りを見つけると片方を口で含んだ。直行の口からは無意識だと思える微かに甘い吐息が漏れ始め、それが楽しくなり、今度は舌で転がしたり、甘噛んだりしてみる。

「...。あの...、いい加減にして下さい。眠いんですけど...」

 先程の冷ややかな云い方に更に冷たさを増したような直行の声がした。

「さっきはあんなに情熱的だったのに冷たいじゃないか...」

 暗闇ではっきり顔は見えないが眠さも手伝ってか更に機嫌の悪そうな声で直行は云った。

「何云ってるんですか?さっきはさっきに決まってるじゃないですか。一回”セックス”をしたからって別にあなたと特別な関係になったわけじゃないでしょう?」

 その直行の言葉と慇懃無礼な態度にカチンとくる。

「じゃあ、おまえは何で!!」

 声を荒立てた俺にうんざりしたという様子で小さく息を吐き、直行は眠たげに前髪をかき上げながら目を細めて起きあがった。

「夜中に大きな声出さないで下さいよ。ここ壁薄いからに隣に丸気声ですよ」

「そりゃあ、すまなかった。でも...」

 ”直行の気持ちが知りたかった...”そう口の中で呟いた。その気持ちが直行に伝わったらしく、小さく息を吐いてからき煩わしそうに云った。

「俺は...、俺はあんたが大嫌いなんですよ。だからです。最初逢った時からずっと...、あんたは良い大学を出て会社でも有望株だ。むかついたんです」

 ”え!?”俺は唖然としてしまった。

 直行が云ったその言葉の意味が理解出来なかった。今、横にいる男はいったい何を考えていることが解らなかった。

「じゃあ、何で...。そんなむかついている相手と...その...」

「何でセックスしたかですか?」

 薄闇は仄かに直行のニヤリとした表情を映し出す。

「ああ」

「あなたはじゃあ何で俺を抱いたんですか?」

 鼻で笑いながら直行はきつい瞳をした。その瞳にぞくりとするくらい冷たいモノを背筋に感じる。

「俺はあんたがヒイヒイよがりながら痴態を曝(さら)すところが見たかったんです。あんな恥ずかしい格好で俺に達(い)かされたり、飢えた獣のように俺を求めたり。あんたは所詮偽善者なんだ。良い子ぶって、周りから良く見える仕草をする。でもあんたはその程度しか出来ない人間だ。そんなあんたのみっともない姿が見たかったんですよ。自覚できたでしょう?」

「そ...そんな...」

 愕然(がくぜん)とした。

 俺はそれにまんまと乗ってしまったということだったのか...。愕然としている俺をよそに直行は眠そうに横になり、タオルケットを掛けながら欠伸をしながら面倒くさそうに云った。

「いいじゃないですか...。あんただって楽しんだんだから...」

 俺は言葉を無くしてしまった。

 ただ、俺に対して冷たい言葉を発したときの、暗がりで微かな光を帯、優越感に浸って微笑んだ直行の顔が頭から離れなかった...。

 直行はその後すぐタオルケットをかぶって寝てしまったようだった。しかし、俺はそのことがいつまでも脳裏から離れずにそのまま夜明けを迎えた。

 

 何でこんなこと思い出してしまったんだろう...。

 5年たった今では、あの日の翌朝、どうやって家に帰ったかも覚えていない。

 けれど、翌朝部屋を出て見上げた空の雲一つない抜けるような青空が、あの時の記憶と一緒に不思議と今でもはっきりと覚えていた。

 

 その次の日から俺はこの日のことを...、直行とのことを忘れようと思った。

 幸い直行とは配属先が違って逢うこともなかったし、新しい配属先の仕事が覚えることも多く、忙しく毎日があくせくしていたためにそんな記憶は薄れていくと思えた...。しかし、その思いと反して、少しでも自分の時間が出来ると堰を切ったようにあの日の記憶が溢れ出してきて、躯はあの時の直行との快楽を求め、気が付くとあの夜のことを思い出しながら、一人で自分を慰めている自分がいた。

 そんな日々を繰り返しながら、直行と会わなくなって数カ月が経った、ある真夏の金曜日の熱帯夜...。偶然というモノは予想外に簡単に訪れ、その偶然はあの悪夢を蘇らせる。

 その日、大学の先輩で業務の指導をしてくれている朝永(ともなが)先輩に誘われて飲みに行くことになった。軽く食事を済ませ朝永が案内した店は、研修最終日の三次会で直行の案内で行ったあの店...、Bar”Blue”だった。

 その店に着いたときに、俺は”もしかしたら直行再会しそうな”そんな嫌な予感とそして...、心の片隅では”その再会”を期待する様なそんな別の感情が浮かんでいた。

 久しぶりに入った店の天井は、まるであの翌朝の直行の部屋を出たときに見た陰りのまるでない青空のようだった。その天井を見つめながら、静かに流れるスイングジャズと朝永に薦められたバーボンにほろ酔い気分になっていた。

「良い店だろ?」

 脳裏から流れ出しそうな記憶に封をするように黙っていた俺は、朝永の何気ない質問に焦ってしまった。

「え?あ...、ええ、なんかTVドラマで見る”Bar”って雰囲気とは、またちょっと違っていていいですね...」

 俺は朝永に、いやあの時に来たメンバー以外には誰にも、一度この店に来たことがあるとは云いたくなかった。

 別にこの店は”いかがわしい発展場”と云うわけではないし、むしろ雰囲気も落ち着いていてゆっくりと酒と雰囲気が楽しめる。けれど、この店にいるだけで何となく直行のことが脳裏を横切った。そしてそれをうち消すように、こういう大人っぽい店に始めてきたふりをしてはしゃいでいた。そんな気持ちを全く知らない朝永(ともなが)は、普通に返事を返してくれる。

 

 その当時、朝永は俺が配属された営業一課、販促チームで主任をしていて、チームを統括するのと共に俺の業務指導をしてくれていた。

 同じ大学を出身のよしみも手伝って俺をとてもかわいがってくれ、ちょっとしたことでも相談にのってくれ、こうやってよく飲みにや飯を食べに連れていってくれた。

 

「俺もこの店、好きで時々来るんだ。なんかさ、一人でふらっと来てもいい雰囲気だろ。とくに天井の色ってすごく神秘的な青だよな。こう天井仰ぐとさ、大空に抱かれているような、そんな気がしないか?」

 この店の天井を初めて見たときに俺もそう思って感動し、直行に”ロマンチストですね...”と云われた。あの時のまま何も起こっていなければ朝永の言葉に共感がもてていただろう...。

「ええ...。朝永さんは...、ロマンチストですね...。子供の頃に大空にあこがれた口でしょう?」

 朝永は一瞬驚いた顔をした後に楽しそうに笑った。

「そんな風に俺のこと云うのは坂上だけだよ。始めて云われた。坂上もそう思ったのか?お前もロマンチストだからな」

 嬉しそうに朝永は頷いてた。

 俺もきっと直行とあんなことにならなければ...。こんな蟠(わだかま)りを抱えていなければ、この店もそしてこの店の雰囲気もとても気に入っているので、あの後もこの店に何度も足を運んでいたかもしれない。けれどこの店の天井の空は俺に悪夢の朝を思い出させ、何かに取り憑かれるようにして直行を欲したあの感覚が躯を過ぎり、恐ろしささえ感じた。

「な、坂上。何か...心配事があるんじゃないか?」

「え?」

「俺はお前の大学時代も知らない訳じゃないし、研修の時もお前を見ているから思うんだけどさ。お前研修が終わって、部署配属になって出勤したときから時々思い詰めたような顔するだろ。何かあったんじゃないのかなと思ってな」

 見ている人には解るのだろうか...、と思った。しかし直行とのことを、あんなこと誰にも話せはしなかった。

「べ、別に...。まだ緊張してるのかもしれません。営業って気が抜けないから...」

「それなら良いが、何かあったら相談に乗るからな」

「あ、ありがとうございます」

「坂上じゃないか!!」

 突然の不安と期待を感じさせる声が響き、俺は驚いて慌てて振り向いた。

「え!!」

 その声の先には俺の予想していた人物...。直行が立っている。

「こんな所で何してるんですか?」

 あの晩と同じ冷たい物云いで、機嫌悪そうに直行が直ぐ横に呷るようにして。

 逢いたくなかった。そう思っているはずなのに、久しぶりに直行にあって何となくホッとした気分が俺を包む。

「誰?友達?」

 朝永の声にハッと我に返る。しかし俺は直行との再会に戸惑い、どう説明していいのかが言葉が浮かばずに、直ぐに返答が出来ない。

「坂上 正義君とは同期で今店舗にいます。島津 直行です!初めまして」

 すかさず直行は、先程の冷たい表情とうって変わった最高な(つくり)笑顔。本性を知っている俺以外はきっと気付きはしないのだろう、そうあの研修の時に俺が直行を信じていたときのそんな笑顔で、朝永と会話を始めた。

「へえ、店舗は大変でしょう」

「いえ、とても勉強になります。人と直接触れるとうちの商品をどう見られているかもダイレクトにわかりますので、もし他の勤務先になったときに活かせると思ってます」

「へぇ、すごいね。島津君は営業志望?」

「はい、そうでした。けれど、どんなことも経験ですから、何でもやりたいと思っています」

 朝永は直行の態度に笑った。

「君みたいな愉快な人と仕事してみたいね。まあ、将来もし一緒になったら宜しく頼むよ」

 愉快に笑いながら朝永は直行に名刺を渡した。直行も慌てて”あ、俺まだ慣れて無くて...”と(わざとらしい)照れ笑いをしながら自分の名刺を朝永に丁寧に渡す。

「こちらこそ宜しくお願いします」

 その後どのくらい三人で飲んだんだろうか、朝永は直行の巧みな話術で上機嫌だったが、俺の気持ちは反比例をするように沈んでいった。

 直行が朝永と楽しそうに話せば話すほど何故だかイライラが募り、いつもよくしてくれる朝永でさえ恨めしく思えてくる。

 冷静に考えれば判ること...。その気持ちが”嫉妬”だということに...。

 けれど、直行との関係を認めたくなかった俺は、直行に対する感情を全て否定していた。

「俺はそろそろ帰るけど、お前ら同期でつもる話もあるだろうからまだいるだろ?」

 そう云って朝永は俺と直行の返事も聞かずに席を立ち、机の上に一万円札を2枚置いた。

「坂上、きちんと領収書切ってもらえよ、釣りは明日で良いから。じゃ、島津君も、今日は楽しかったよ」

「あ、そんな...。ご馳走様でした。俺も楽しかったです。また今度誘って下さい」

 席を立って愛想笑いをしている直行は、頭を思い切り深く下げ朝永を見送り、その様子に俺は嘆息した。

 朝永が帰り、何を話そうと考えていると、直行は間髪入れずに席を立った。

「さ、出ましょうか」

 そう云い放ってさっさと歩き出し、俺は慌てて着いていった。

 俺達は店を出て電車に乗り、数駅行ったところで降り、そこからだらだらと坂を下り、かなり急な坂を登って、駅から15分くらい歩いた高台にある直行のアパートにたどり着いた。

 俺も直行もその部屋に着くまで一言もしゃべらなかった。俺は、何度も帰ろうと云い出そうと思いながらも、帰ると云い出せなかったのだ...。

 直行はカギを開け”どうぞ”と云った。

 既に直行の表情は朝永と話していた愛想のある笑顔が消え去っていた。けれど、俺が中に入るのに躊躇(ちゅうちょ)していると直行はクスリと笑った。

「この前みたいに入った途端に事に及んだりしませんよ。あんただってまた真夜中に洗濯するのは嫌でしょ。この前御馳走できなかったコーヒーでも御馳走しますよ。もっともあんたがは、直ぐにでも”したい”って思ってるんだろうけど...」

「な!!」

 直行の言葉に”何を!”と反論をしようとしたがそれを飲み込んだ。

 自分自身でも信じられないことだったが、直行に再会した瞬間(とき)から俺自身の欲望はこの後に起こるであろう事を期待して形あるモノになっていたからだった。

「早く入って下さい。それとも帰りますか?」

 絶対に帰らないと云う自信があるのだろう、直行の優越感に満ちあふれた物云いは...。

 悔しさを感じながら俺は、すごすごと中に入り、直行を待たずに奥へ進んで行き、ベットに腰掛けた。後から直行が来て、部屋の電気を点けた。

 この前来たときには余裕が無かった所為か余り意識していなかったが、こうやって見回すと直行の部屋は今風の小洒落た雰囲気などなく、六畳くらいの広さの部屋にはソファーベッド、タワー型のPC本体とノートPCと14インチモニターの乗った布団のない炬燵(こたつ)を挟んで、反対側の壁にビデオデッキとLDデッキが積んであって、その横に17インチくらいのTV、その横に山積みのビデオテープとLD...。

 床にはそのまま積んであるコンピュータや小難しい雑誌や本のいくつかの山、そして窓に着いているカーテンレールには衣服が雑に掛けられていた。

「何キョロキョロしてるんですか?珍しいんですか??」

 怪訝そうに俺を見ながら直行は紙コップに入れたコーヒーを渡す。

「あ、ありがと」

「砂糖ミルク入れないんで家(うち)には無いですから」

「別に良いよ。使わないから」

 コーヒーを掴んだ手が自分でも少し緊張しているのが判った。自分を落ち着かせようとコーヒーを一口口にした。

 直行が炒れてくれたコーヒーの味は、お世辞にも上手いと云えなかったが、気分を落ち着かせる役には立った。

 自分のコーヒーを飲み終えると直行は電気を消さずに無言でさっさと衣服を脱ぎ始め、俺は慌ててコーヒーを飲み電気を消した。

 しかし直行の方は俺が慌てようがそんなことには全く頓着しない様子で、薄暗い部屋で反対に俺を軽蔑するような瞳で見下している。

「服、脱がないままやるのが好きなんですか?もしかして脱がしてほしいなんて思ってるんじゃないでしょうね?だったら期待しても無駄ですよ」

 羞恥心に躯を襲われ、慌てて服を脱いでいった。

 ”止めるなら今だぞ!”そう警鐘を鳴らすかのように早くなる心臓の鼓動と、”あの快楽を早く味わいたい”と捲し立てる感情が俺の中で鬩(せめぎ)ぎ合う。そして、それを全て知り尽くしたような瞳をして一糸まとわずベットに座り、俺の心が手に取るように解っているかのように目の前の男はニヤりと笑う。

「止めるなら今ですよ」

 その通りだった。けれどその優越感に浸った瞳は、俺の欲望を挑発しているかのように感じられ俺はその瞳に吸い寄せられるように衣服を脱ぎ始めるまるで蜘蛛の糸に引き寄せられるように。それでも理性を総動員して逸(はや)る気持ちにセーブを効かせた。この前のようにがむしゃらに貪りたくはなかった。ゆっくりと直行を傷つけないように優しく直行をキスを首筋に落とし、少しずつ丁寧に抱いていった。

 しかし、それに反応を示しながらも直行は俺がしたことを苦情を訴えた。

「この前のこと...、後悔して優しくなんてしないで下さい。俺は女じゃないんだから...」

 喘ぎながらの反論と、愛撫に身悶え熱を帯びて行く直行の官能的な姿に、理性という感情の留め金が外れ、自分でも止めることの出来ない欲望が溢れ出してくる。

 その欲望は、まだ直行の堅さを帯びている蕾に猛ったモノで繋なぐことで、新たに満足感を増していくのを感じた。

 何度貪っても止められない欲望、そしてその欲望の果てに何があるのか考えられない程に、この日俺は直行を欲し、直行はそれに応えるかのように身悶え、喘ぎ、そして善がり、二人で何度も高みを目指した。

「あのー。この部屋禁煙なんですけど」

 ほんの少し意識を飛ばしていたのか心地よいだるさが全身を包み、目覚めの一服をし始めたときだった直行の声がしたのは...。

「あ、ごめん」

 慌てて携帯用の灰皿に吸い殻を捨て、うつぶせに寝転がったまま顔だけこちらを向けている直行の髪をそっと撫でた。

「躯、大丈夫?」

 暗がりで直行の表情は伺えなかったが直行は少し拗ねた声で返事をした。

「大丈夫な訳無いでしょ、あんなに乱暴に激しいことされたんだから。腰が抜けて、おかげに流血沙汰です」

 そんな風にしてしまったのは俺だった。我を忘れ彼が動けなくなるくらいまで貪り、何度となく直行の中に欲望を吐き出した。

 意識が覚醒し、直行の中で吐き出した精をふき取ろうとしたときになって、はじめて結合していた部分の出血に気づき、俺は直行を傷つけていたことを知った。男の直行を唯自分の欲望に任せ貪り、傷つけてしまった...、そう理解したのだった。

「すまなかった...」

「謝るのならもっと考えて下さい。嫌われませんか?しつこいって」

「どうかな...?」

 そう応えながら、直行の言葉が今までとは異なって少しだけ優しく聞こえたような気がした。それは自分の苛立ちが少しだけ落ち着いたからかもしれなかったが...。もしかしたら直行と上手くこの後つきあっていけるかもしれない。そんな都合の良い言葉が頭を掠める。

「あの人...。朝永さんもこんな風に抱いてるんですか?」

「な、なにを...。朝永さんは、関係ないだろ」

 予想もしない質問に戸惑いと、焦りを感じる。けれど俺を見下したように直行が鼻で軽く笑っている。

「そうですね。あなたは男の抱き方を知らないようですから...。それとも抱いてもらいました?そっちの方が良ければ俺も今度はあんたを抱きましょうか?」

「そんな!何で俺が男に抱かれなきゃ...」

 ”あ...”、直行のきつい瞳に気づき、俺は語尾を濁らせた。

「じゃあ、その男を抱いてるのは誰なんでしょうか?俺がずっとほしかったんでしょ?だから俺に着いてきたんでしょう?だからあんな欲情したんでしょう?」

「それは...」

 直行の俺を追いつめるような云い方に自分の甘さを感じる。ずっと直行とのあの晩が忘れられなかった。直行に逢ってずっと欲情していたのは自分でも認めなければいけない事実だった...。

「それとも朝永さんに抱いて貰えずに、代わりに抱いたんでしょうか俺を...」

「そんな云い方!それじゃまるで嫉妬に狂った女のような...こと...」

 そう云って気付いてしまった。直行の言葉には俺に対しての嫉妬心が感じられるようなそんな気がした。まるで、俺が朝永と親しくすることに対してやきもちを焼いているように聞こえた...。

 ”でも、直行だってあんなに楽しそうに朝永と話していたじゃないか”

 コレは俺も朝永に対して、いや直行と親しそうに話す人間全てにやきもちを焼いているのかもしれなかった。けれど俺はその気持ちを認めたくなかった。そして直行にきつい云い方をした。

「じゃあ、お前の方はどうなんだよ!!本当は俺とするよりも朝永さんに抱かれたいとか思ってるんだろ!!そうじゃないのか?」

 自分でセーブできない感情が流れ出し、自分でもどうして良いのか解らなかった。きっとコレは嫉妬だと解っていても...。

「そうか...、そうですね...。その方がメリットがあったかもしれませんね...」

「そんな!!」

 笑い声が聞こえた。楽しそうに肩を振るわせ直行が笑っていた。

「うそですよ。敵は躯で懐柔できそうにないでしょ」

「そうなのか...?」

「そうでしょ?朝永さんはあんたより単純には行かないでしょ。きっとあんたみたいに簡単には、俺を抱いたりしない...」

「ごめん...」

「謝られても困るんですが...」

 直行は照れたように云ってそれ以上言葉を続けない。俺も返事をせずに少し自分のことと直行のことを考えた。

 自分勝手かもしれないけれど、”もう少しこの男とつきあったてもいいか...”そんな言葉が脳裏を横切る。

 欲しているのは直行なのだろうか?それとも直行の躯だけなんだろうか。今までの欲望の捌け口ではもう収まりのつかない甘美なモノが直行との行為の中には溢れていた。自分の中で割り切れない直行に対する思い”後悔””不安””恐怖”、直行は俺を侮辱するために俺に抱かれた...。

 反対に俺は自分の欲望を満足させるために直行を抱く。

 その関係にはお互い思う感情なんて無くても躯は自然に反応し、直行を欲してしまう。”見下した瞳”で”優越感に浸るように””まるで何かの勝利者のように”。

 俺は直行に対して本当はどんな思いを抱いているのだろうか。

「50/50にして上げましょうか?」

 ”え?!”

 突然思いついたように直行が口を開いた。

「そんな驚いた顔しないで下さい。特別に50/50にして上げますよ」

 直行には俺の顔は鳩が豆鉄砲でもくらったそんな間抜けな顔をしているように見えるだろう。俺には直行が云っている意味が直ぐには理解できなかった。

 俺のそんな様子を見て直行は呆れたらしく、今までのきつさは感じないが余裕の勝ち誇った表情をして鼻でクスリと笑った。

「あなたがそんなに俺をほしいなら、俺の気分がのる時だけなら、特別につきあって上げてもいいですよ。相手をしてあげますよ」

「な...直行?」

 相手って...。いつも俺の予想を超えたことをする、そう思った。俺はもしかしたら直行を理解することが出来ないのだろうか?そんな不安が襲ってくる。

「名前で呼びましたね...。それも呼び捨てですか?まあ良いですけど...」

 更に状況を把握できなかった俺がきょとんとしていると、一回呆れたように直行は手を首に当ててため息を付いた。

「そうですね、欲情して今日みたいな無茶な態度に出られても困りますが...。ああそうだ、あの店で...、今日再会したBar”Blue”で逢って、お互い気分がのるときだけつきあうって云うのはどうですか。躯だけなら譲歩してお互い50/50くらいつき合い、しても良いですよ。あんたも俺を楽しませてくれる条件で...」

 多分...、直行との行為を求めている俺に取って願ってもない申し入れだったのだと思う。

 けれど...、まだ俺はまだ悩んでいた...。俺自身を苛む倫理観だとか理性が葛藤となってなんと返答して良いのか浮かばなかった。

 それでも、直行とまた逢えば、逢わなかったとしても...、直行の躯を忘れなれないのは認めようのない事実だと思う。そう、それだけは認めなければいけなかった...。

「嫌なら、嫌なら別に構いませんよ。俺は別に...」

 この勝ち誇った直行の表情。それだけで自分自身の欲望が頭をもたげる。

 50/50...。友人では無く...。

 そう、俺達の関係は友人なんて生ぬるい関係ではなく、唯、お互いの躯のみを求め合うそんな不思議な仲になる。

 俺はクスリと鼻で笑った。

「了解。お互い躯を慰める同士の50/50の関係ね」

「あ、但しもう一つ条件付きです」

「ン?」

「まず男の抱き方を勉強してきて下さい。今日みたいな...もう12時過ぎたから昨日か...、まあどっちにしても、あんな流血沙汰はもう懲り懲りですから...」

 俺は笑いながら”了解”と云った。

 その後直行はその笑いに拗ねてしまい、タオルケットをかぶって寝てしまった。

 

 今は直行を傷つける抱き方はもうしなくなった。そして俺もあのプライドの高い表情を歪めさせられるくらいに直行に快感を与えられる。

 何年経った今でもこの時の約束は有効なままだった。

 シャワーを止めタオルで躯を拭き、衣服を整える。

「帰る。じゃ」

 いつものことだけれど返事は帰ってこなかった。

 そして妻”鏡子”と息子”亘”が待つ家へ帰る。

 いつ頃からか直行との関係と、自分の恋愛とは全く別の物と考えるようになった。

 妻、鏡子とは社内恋愛だった。鏡子は元々派遣社員で仕事の要領が良く、誰にでも優しく、元気のいい積極的な女で、つきあおうと云い出したのもプロポーズをしたのも鏡子の方からだった。

 妻の鏡子とで逢う前には何人かの女性とつきあいったり、ベットを共にしたこともあった。もうあの店Bar”Blue”に行くのを止めようと思ったことは何度もあった。反対に直行を待ってBarへ行ったこともある。直行に逢えずに直行を思いながら他の女を抱いたことのある。自分でもこんなこと続けていたらだめになると今まで何度も後悔している。しかし心の何処かで直行がもたらす熱が忘れられずにいる。

 直行との関係に愛情は無いと思う。

 こんなことを云うと云い訳がましく聞こえるかもしれないが、鏡子に対して確かに疚しくないかと云われれば言葉に困るが、妻鏡子を心から愛している。その気持ちに偽りはなく、だから愛の結晶である”亘”が授かったときは嬉しかった。

 それでも、こうしてここに来てしまう...。

 そして事が済むと、妻と息子の待つ家へ帰って行く...。

「じゃ、おやすみ」

 そう呟いて部屋を出た。

 正義の耳に届くか届かないかくらいの声が微かに聞こえた。

「また...」

To be continued...

 

音野の云い訳...

 この作品は一部読みたいと云って下さった方に2000/8/2付けで発送しているモノの一部です。

 この話は三部作でメールでは二部までを無料配布しています。

 もし全部読みたいと思われる方は宜しければイベントまで足をお運び下さい。

 こちらのかってで申し訳ないんですがやはりイベントでお金を出し購入して下さった方と区分訳をするためにこういう手段をとらせて頂いています。

 それで不愉快にならないで下さい。

 本当に私の我が儘なのですが...。

 その我が儘をとおさせて頂くことに心よりお詫び申し上げます。