2001/09/09(日)
Blue...。〜Just a Dream ,You Nnow That's Never Ending <〜直行Ver.>
〜約束していない約束...。

 夜の静寂(しじま)に、何も身につけず闇に包まれている”あの男”と俺...。

 傍らでしばし休んでいた”あの男”は、静寂(せいじゃく)を壊すように動き出す。

 先程の行為の余韻を微かに残すかのような緩慢な動作で、枕元に転がっている目覚まし時計を拾い、時間を確認した。

 時刻は、既に終電間際。

 時間を確認すると慌てたように起き上がって、脱ぎ捨てた服を集めて、ユニットバスに駆け込んで行った。

 ほんの今し方までは、汗と体液が混ざり合うまでお互いを貪り合い、俺の中で何度も果てていた”あの男”は、その甘やかな余韻に浸りながら、微睡んでいた。

 しかし、それがいきなり夢の世界から現実に戻ったかのように、横で休んでいる俺のことを一瞥もせずに、ベッドから飛び出していった。

 その様子に気づかない様にわざと寝たふりをして、姿がバスルームに見えなくなるのを見送ってから、俺は欠伸をひとつした。

 呆れるくらい日常になりつつある夜の過ごし方。

 逢うのはいつものお決まりのBar”Blue”。

 元々二人の間できちんとした約束などしていない。

 ”あの男”と俺はその店で”出会う”のではなく、”逢う”だと思っている。

 ただのこだわりかも知れないが、それには理由がある。

 店で偶然に逢って、お互いの気分がのったときにだけ、今日みたいに躯を結ぶ。ただお互いの快楽を求めるだけの...、そんなつき合いだった。

 気が乗らない時には店であっても、挨拶すらしない日もあった。

 元々”あの男”と俺は同じ会社に勤めていて、株式会社AZU、それがその会社の名。

 そこで、”あの男”は営業一課、俺は特販部と同じフロアにある部署にいて、同じ商品を別の売り方をしていた。

 同じ会社の同じフロア。

 ”あの男”とは、同期と云うのもあってか、仕事の用件で話す機会は少なくは無かった。

 もちろん二人とも営業をしているので、外に出ている方が多かったが、だからこそ”あの男”とは、ここで待ち合わせをして”出会う”ではなく、偶然この店で”逢う”、そんな気ままな関係でいたかった。

 昔から俺自身、”他人”に対して淡泊な方だと思うので、今思い出そうとしても最初に抱いたのが誰かも、誰に抱かれたかも、まともに覚えていなかった。

 今でも”あの男”以外でも一晩を共にしようと誘えば相手はいるし、別段男だろうが、女だろうが性欲の捌け口に頓着はしていなかった。

 ただ”あの男”とのセックスは躯の相性がよいのかもしれないが、気持ちよかった。

 今晩も俺が飲んでいると、”あの男”が店に現れて、止まり木に掛けて、小一時間くらい二人で静かに呑んだ。

 それから、俺の部屋へ向かい、ドアを施錠した瞬間に、堰を切ったようにお互いもつれ合い、衣服を乱暴に脱ぎ捨て、まるで獣のように快楽を貪りあった。

 店を出てからまともな言葉は、一言も発さないままに...。

 五年間、こんな状態のつき合いを”あの男”と俺はしている。この躯を求め合う関係をただ、だらだらと...。

 ”あの男”に初めて抱かれた”あの日”も、自分のプライドを傷つけられた苛立ちからだった。

 必死に俺が手に入れようとしているものを最初から持っていて、苦労せずに手に入れられる”あの男”への...。

 そいつが同期の、それも”男”を平気で抱けるような、そんな浅ましい男なのだ、と知らしめられればよかった。

 ”ざまあみろ!!”と笑えればそれで満足だった。だから、あの時に、まさかこんなに長く続くとも思ってもいなかった。

 俺は”あの男”の残滓の残る四肢を投げ出したまま、何故出てくるか解らない大きな溜め息を一つ付いた...。

〜全ては、5年前の入社式から始まった。

 二浪の果てに入った無名三流大学をやっと出て、縁故でぎりぎり入社したのがこの会社、”株式会社AZU”だった。

 そこで”あの男”と逢った。

 それは、忘れもしない出勤第一日目...。

 朝からその日は新入社員全員が200人程度入れる会議室に集められ、入社式が執り行われ、その式が終了後に配属が発表されて、営業部への辞令をもらった。

 そして、各営業の部署や店舗に配属になる新入社員20人ほどが集められて、営業部新人研修始まった。

 この研修が、すべてのプロローグになった。

 ”あの男”は会社の社内報で代表の新入社員として取り上げられ、社内でも一流大学の経済学部を経て、会社に入社し、入社時に様々な人から将来を嘱望されたエリートと騒がれていた。

 その噂は俺の耳にも届いていたが、その時は別段興味を覚えたわけでは無かった。

 ただ、新入社員研修の時に名前の順に用意された座席で、不幸にもその話題のエリート社員”坂上 正義”と俺”島津 直行”と隣の席になったことが、なんとなく嫌な予感をその時させていた。

 その予感は的中してしまった。

 俺自身は別にどうだっていいと思っていたにもかかわらず、研修が開始すると、”あの男”と俺を比較するように話題に上げられた。

 そのおかげで、その話題が出るたびに嫌な気分を味わい、何でこんな思いをしなければならないのだ、と感じさせられた。

 けれど、こんな嫌な思いをしているなどついぞ知らずに、”あの男”は、研修初日に何となく声をかけると、犬が尻尾を振って近寄ってくるように、俺に話しかけてきた。

 俺が社交辞令で返事をしていることにも気付かない”あの男”の最初の印象は、なんて”とろい男だろう”だった。

 株式会社AZUは、一部上場の大手のコンピュータ会社で、新卒は一部事務部門や店舗配属を除くと入社し、一流大学卒で入社した社員は管理職候補として扱われ、出世も早い。

 まして将来を期待されている”あの男”に対する周りの期待も、同期の態度も当然違っていた。

 研修初日に隣に緊張した面持ちで座った”あの男”の周りでは、遠巻きに見つめる期待、野心、嫉妬、そして様々な感情の渦巻いている視線を感じられた。

 なるべく関わらないように、周りの様子を伺っていたが、そんな状況を気づいていない雰囲気で”あの男”は、俺に話かけてきた。

 話をするのも煩わしいと思いながらも俺は、ついつい返事をしていた。

 最初、話はまだ緊張感が溶けない様子で会話を探りながらだったが、気付くと”あの男”は自分の出身、家族、好きなモノと話し、この日会社で素晴らしい友人を手に入れたと喜んでいた。

 何故こんなにも楽しそうに話しが出来るのか判らなかった。

 苦労も何も知らないおぼっちゃんだと云うことは、うすうす感じていたが、話を聞けば聞くほど不思議に苛立ちを感じていた。

 その時から俺はなるべく、”あの男”と距離を置こうと努力した。しかし、”あの男”の意識の中では、既に俺は良い友達の配役が割り当てられてしまっていた。

 そして研修が始まって数日経ったある日、ちょっとした事件が起きた。

 確かにその日俺は、冷静さを欠いていたのかもしれない。

 その日の研修途中に指導してくれている社員の、ちょっとした間違えを見つけてしまい、いつもだったら気づかないふりをするのだが、その日少しだけ情緒不安定だった俺は、その社員が間違えにさりげなく気づくようにやんわりと質問をしてしまった...。

 自分の間違えに気付いたその社員は、指摘されたことを怒り、間違えを正さずに、反対にそれがきっかけで恥をかかされたと思ったのか、俺を罵倒し始めた。

 自分が一流大学出身と云うことを鼻に掛けながら、エリート様の”あの男”をほめまくり、三流大学出身者の俺をスケープゴードにして...。

 その日の話しは何かと”あの男”との比較したものになり、最終的には俺は覚えのない叱責を受けた。

 その社員にも腹が立ったがそれよりも、研修が終わった後の研修室は、まるであの社員が増殖したかのように、今まで親しく話し、帰りに飲みに何度か行った同期までが、痛い視線を俺に投げかけていた。

 この数日嫌なことも起こらず、ぬるま湯のような研修が続いていた所為か、久しぶりにこの視線に弱音が漏れ、耐えられずにその日は早々に研修室を出た。

 俺はそんな器の小さいやつに物事を教わらなければいけないのかと思った。

 そんな”やつ”の影響で、露骨な態度をとる同期にウンザリした。

 少しだけ研修が終わった後に気分を入れ替えてから帰ろうと決めた俺は、夕方になると人気のなくなる5Fの喫煙室に行き、一息つくことにした。

 この喫煙室は景色も良く、この時間は誰もいない、最近のちょっとした隠れ家のようなものになっていた。

 夕闇に包まれた誰もいない部屋は、ボッーとするのには丁度良かった。

 けれど、その大切な時間を邪魔するかの様に”あの男”が現れた。

 まるで自分が叱責されたのではないか、と思うほどの泣きそうな顔をして、息を切らせて喫煙室に入って来た。

 最初は、あまり関わって欲しくないと感じて無視していたが、”あの男”は無粋にも勝手に長椅子の隣に腰掛けて、缶コーヒーを差し出してきた。

 自分だけの時間を一番邪魔されたくない人間に邪魔された気がして、その腹立たしい気持ちをそのまま言葉にした。

「何か用?」

 冷たく邪険にしたつもりだったが、そのお思いは通じずに”あの男”は照れて下を向きながら云う。

「飲めよ!毒は入っていないぜ」

 同情でもしているのだろうか?そんな態度に腹が立った。こう云う偽善に...。そして...、それに自覚の無いの姿に...。

 鼻で軽くあざけ笑いながら言葉を付け加える。

「同情ですか?三流大学出身の俺がかわいそうだと思ったんですか?一流大学をストレートで入った人間は余裕がありますね」

 ワザとイヤミを云っても少し驚いた顔をした後に、立ち上がり、何をするのかと思うと、窓辺に立ち、景色を眺める。

「なあ、景色、すんげー奇麗だよな。薄闇にまた輝き始めたばかりの疎らな星ってかんじでさ」

 何を云っているのか判らない言葉。まるで夕日に浸っているような瞳で、こちらにゆっくり向き直る。

「は?」

 訳のわからないこと云い出し、益々腹が立ち、俺は眉間に皺を寄せて睨むようにを見て、その苛立ちを告げようと口を開くと、それを遮(さえぎ)る。

「まあ、聞けって。春って人の心を不安にさせるんだぜ。こう薄闇に寒くも熱くもない空気に包まれると人はどうしていいのか解らなくなって不安になる。まるでその生温い空気に取って喰われそうなそんな不安。だからさ、春の夜はちょっとした事柄でも不安になって良い答えが出ないんだ。そんなときには考えちゃだめだぜ。嫌なことは...」

 自分で云ってそれを恥ずかしがっているのか、真っ赤になっていた。

 余りにくだらないことを云ってる”あの男”の言葉が、何故だか、その時不思議と胸に染み込んでくるようで不快な気分になった。

 小さくため息を付き、渡された缶コーヒーを開けて、口に含んでその気持ちを、苛立ちを、ぶつけるようにイヤミっぽく呟く。

「坂上さんはロマンチストですね」

 皮肉だと気づかないのか”あの男”の顔が益々赤くなるのを見て、唖然とするが、何故か今まで感じたことのない不思議な思いが、俺の心の中に溢れてきた。

 俺は慌ててその思いを遮るように云う。

「俺...、砂糖とミルクの入ったコーヒー、好きじゃないんだけど...」

 俺も”あの男”もそれ以上何も話さなかった。

 そして”あの男”は自分の分にコーヒーを買い、一気に飲み終え、云いたいことだけ云って満足したのか、去っていった。

 自分でも持て余す感情が溢れてくるのが解った。

 俺は、その持て余す感情を、世間知らずで苦労知らずのエリート様...、”あの男”に対する苛立ちだと感じた。

 偽善や欺瞞(ぎまん)で自分を納得させようとする”あの男”の、もたらす不快感に虫唾が走った。

 何で席が隣なだけでこんなにも嫌な思いをしなければいけないのだろうか。

 いつか屈辱感を”あの男”にも味合わせる...。

 そんな憎悪に近い思いが、どんどん全身を包んでいった。

 そして、そのチャンスはそう待たずにやって来た。

 ”あの男”にこの何とも云えない屈辱感を味合わせるチャンスが...。

〜新人研修最終日。

 営業部内で具体的な配置が発表になった。

 学閥で配属が決定するという噂通り、俺は自分の予想通り店舗勤務になり、”あの男”は営業一課に配属の辞令を受け取った。

 周りが俺をどんな風に思っているかなんて興味はなかったが、同期の中には、わざとらしくまるで心配したように、『店舗勤務か、お前もついてないな』とか、人によっては、もっと露骨な云い方で、『学生時代勉強しておいてよかった』などと聞こえるようにイヤミを云うやつもいた。

 それも予測の範囲だった。

 別に他人なんてどうでもよかったが、俺はワザと笑ってイヤミを云っているやつの配属をほめてやる。

 そういう風に云ってくるやつは所詮自分と俺とを区別して、優越感に浸りたいだけだと思っていた。

 そして悲しそうな振りをして口では『やっぱり同じ部署って云うのは難しいな...』と云ってきた”あの男”も、他の連中と一緒なのだ、と思った。

 この悔しさをあの男は感じることなく...。

 そしてその夜。

 その日まで約一ヶ月間机を共にし、翌週には別々の配属先になる同期で、送別会を兼ねて飲み会をすることになった。

 こういうつき合いが昔から苦手だった俺は、面倒を避けるために一次会か二次会で帰るつもりだった。

 しかし、”あの男”は腕を放さずに、結局三次会には俺の行きつけの店に、連れていく羽目になってしまった。

 けれど、この時俺は感じてしまった。

 これは復讐にも似たこの思いを果たすチャンスなのだ、そう、”あの男”が本当はどういう人間なのか、解らせる良い機会なのだと思った。

 三次会に選んだ店は、Bar”Blue”。

 この店は、内装は色あせた藍色を基調としていて、特徴は天井には吸い込まれそうな青が広がっている。

 静かに流れる何処かで聞いたことのある懐かしいジャズ、暗すぎず明るすぎない照明は、一人きりで呑むに来る人間も優しく迎えてくれる。そんな店だった。

 本当なら誰かを連れてくるような店ではなかったが、だが余り人と飲み歩かないので、同期を案内できる店も浮かばずに、偶々近かったのと、人数も”あの男”と自分を入れて四人だったのでこの店を案内した。

 店に入ると一緒に来た同期達は、こう云う雰囲気の店に来たことがないのか、お上りさん同然で、辺りを不思議そうに見渡し、店の雰囲気にのまれていたが、少しずつ話をしながら、店で出す美味しいカクテルを飲み始めると、なんとか慣れた様子だった。

 きっと次にここに来る時は、まるで常連のような顔をして来るのだろう、そう思いながら...。

 しかし、”あの男”は他の奴らとも、俺の予想とも違い、いつまでも経ってもお上りさん気分が抜けないようで、天井を眺めている。

「すごい!ぬけるような青空だな...」

 あまりのらしい云いように可笑しくなって、つい吹き出してしまい、そうすると顔を上気させながら”あの男”は、少しだけ眉間に皺を寄せながら照れ隠しのように笑う。

 そして、その姿に俺は腹立たしさを覚える。

「坂上さんは本当にロマンチストだな」

 俺のイヤミをバカ正直に考えているのか、瞳を見開いてから、微かに頬を赤くさせ、まじめに考えているように返事をする。

「そうか?この前もそんなこと云ってたね。そうだな、そう云われればよく云われるかな...」

 辛いことを知らないモノだから...、現実を直接見つめないおぼっちゃん。

 いつも夢見がちに見える”あの男”にまた苛立ち、ワザとからかう。

「でも空の青さなんて、所詮空気中の塵やガスの分子じゃないか...」

 しかし、自分がバカにされていることにも気づかないかのように返事をする。

「そう云う島津さんは、リアリストか?」

 俺は返答しない代わりに微かに笑い、話題を変える。

 ”リアリスト”、そんなモノになれたら俺だって、こんなにすれた考え方をしないだろう...。

 同期の親しい同士で集う仲間ごっこをしている間に、かなりの時間は経ち、誰かが慌てて”帰らなければ”と云ったのをきっかけに宴をお開きにした。

 そして、かなりのアルコールを摂り、酔っぱらった”あの男”と俺は、同じ方向に帰るタクシーに同乗した。

 そう、コレは俺にとって最大のチャンスなのだ。”あの男”に”自分がどんな甘ちゃん”だかを知らしめるための...。

 いつも味わっている苦汁を味合わせてやるために。

 俺はその時今までの仕返しをすることで、胸が高鳴っていた。

 そして、”あの男”と俺はタクシーに乗った。

 ”あの男”は座席に落ち着くと、無防備に酔いからか、ジャケットを脱ぎ始め、ネクタイを外して、信頼しきったように眠たげに俺の肩に身を預けてくる。

 心の中ではニヤリと笑いながら、口では心配そうに”あの男”の介抱をする。

「大丈夫かい?俺の家この近くだから少し酔いを冷ましてから帰った方がいいんじゃないか?一人暮らしで汚いところだけど、帰れなきゃ泊まっても構わないし。そうだ、上手くないけどコーヒーくらいは出すよ」

 いい気分で酔い、動くのが面倒なのか、それとも俺と離れたくないとでも本当に思っているのか、何の疑いもなく誘いに乗ってくる。

 その後どんな目に遭うかもしれずに...。

 そして、二人は部屋へ向かった。

 俺の部屋は、小高い丘の上の古びた二階建てのマンションと書いてあるが、どこから見ても安アパートにしか見えない雰囲気の建物の、2Fの3つ並んだ部屋の真ん中にあった。

 駅からはかなり離れていて、交通の便も悪く、丘の上にある所為(せい)か、月々の家賃がとても安かった。

 大学受験に失敗し、家に居づらくなった春から、もう10年以上もここに住んでいて、人を招き入れるのは、本当に久しぶりだった。

 安い以外取り分けてなんの取り柄のない部屋...。

 しかし”あの男”は、部屋のドアの前に立つと、ドアから見える景色を仰いで、花曇りでくすんだ空と、遠くで賑やぐ街の灯りを、まだ寒気すら覚える夜の空気を吸いながら、感動する。

 呆れるほどに、景色だの空だのが好きな男だと再認識させられながら、俺は深いため息を付いた。

 ”あの男”には小汚く安い部屋や、この駅から離れて不便な道のりも何も感じないようで、そう云う神経が俺には信じられなかった。

 そういう所がなおさら神経を逆撫で、”あの男”に解らせてやる、自分が愚かで苛らしい人間なのかを...。

 再度自分の中に沸き上がる苛立ちを鎮めようと決意を固め、ゆっくりとカギを開けた。

 建て付けの悪いドアは”ギィ”と軋んだ音を立てて開き、景色を眺めている”あの男”に、ニコリと笑いながら”どうぞ”と部屋に入ることを薦める。

 そして、俺はゆっくりと背後に立ち、”あの男”が振り向くのを無視して、ドアノブを握っていた手を放し、ドアが締まったと同時に施錠をする。

 二人が立つのがやっとの狭い三和土(たたき)に、”あの男”も俺も、まだ靴すら脱いでいない。

 けれどコレで十分だと思った、身体で解らせるのなら...。

 俺は背後から力一杯抱き締め、まるで吸血鬼が人の血を吸う時の様な感じで、首筋頭を埋め、そっと唇を寄せる。

 ハッと驚いて動けなくなるのを見計らって、ワザと感じるように、ベルトのバックルを音を立てて外し、ズボンのボタンを弾き、ジッパーを生々しく降ろし、”あの男”自身を直(じか)に掴む。

 先端に爪を立てながら、一番感じるように男の一番弱い部分を擦っていく。

 抵抗することを忘れ、快感だけが全身を包むように...。

 予想通り抵抗さえ忘れ、間もなくすると感じ始めているのか、熱い吐息と、嬌声が漏れ始める。

「...あぁ...う...何の...や、止め...あぁ」

 大量に飲んだアルコールの酔いも手伝ってか、少し刺激を与えただけで欲情しているのだろう。

 波打つ快感に声にならない喘ぎ声上げていき、俺はその姿を楽しみながら、羞恥心を煽るように質問をする。

「”やめ”の続きはなんですか?」

 哀れなの様子につい”くくっ”と声を潜めた笑いが込み上げてくる。

「あ...。ぁあ...」

 更に快感に身悶え、くぐもった声を上り、先端から既に甘い蜜が溢れ出している。

「こんなに涎(よだれ)を垂らして。”男”にこうされるのが、気持ちいいんですか?」

 可笑しかった。

 羞恥心を感じているのか微かに拒みながらも、まるで追いつめられた小動物のように、びくびくと小刻みに震える。

 俺の手の中で歓喜に満ちた声を上げながら”精”を吐き出していき、どんどん快感に躯を委(ゆだ)ねていく。

「お酒飲んであんなに酔っているのに、それでも感じるんですか」

「や、やめろ!」

 拒絶する言葉。

 けれど、拒もうとすればするだけ俺は楽しかった。

 口では拒絶しているのに躯はどんどん快感を求めている、その姿が嬉しかった。

 そう、既に”あの男”は手の中から逃れられない...、俺はこいつを掌握しているのだ。

「粗相(そそう)してシャツも尻も、もうべたべただ。良かったですね、脱いでいて、スーツは無事みたいですよ」

 その言葉で”あの男”の体温が一気に上昇するのを感じ、俺は先程の吐精で萎えた”あの男”のモノを、ワザと淫猥な音を立てて今度は口に含む。

 ”あの男”は既に、平常心も、冷静さも、すべて吐き出したモノと一緒に消え去り、狂喜にも近い、ただの欲望の固まりでしかない、口に含まれたモノは、みるみる形を露わにしていく。

 そこからは脈打つ鼓動が感じられ、口の中では青臭い味が少しずつ広がっていき、それを感じて、俺は”あの男”から一端離れて、ズボンと下着を一気に脱ぎ捨る。

 ”あの男”を床に横にして、覆い被さるように中途半端に放っておかれて行き場のない思いに小刻みに震えているその猛ったモノを、ゆっくりと自分の内(なか)に納めていく。

「あ...」

 流石にまだならしていない蕾は、久しぶりに男を受け入れるせいか、増長しきったモノに絡(から)まった自分の唾液と、”あの男”の吐き出した精の力を借りても、なかなか思うように挿入(はい)って行かずに、痛みと無理にこじ開けようとしたために、切れてしまっている感覚を感じ、思わず声にならない苦痛が漏れる。

「う!...、あぁ...。もう少しで全部入りますちょっと動かないで下さい...」

 それでも男を受け入れることを知っている入り口は、”あの男”を受け入れていき、俺のまだ狭い中を侵略していく快感を感じているのか、歓喜に満ちた喘ぎ声を上げる。

 俺も少しずつ擦れていく感覚と、中に滴らせている甘い密に苦痛は、少しずつ快感に変わっていく。

 間もなく”あの男”を全てを飲み込み、俺は更なる快感を求めるように、ゆっくりと腰を抜き差ししていき、蕾は少しずつ艶やかな花を開花させていくそんな感覚を感じた。

 その行為によって与えられた快感からか、”あの男”はいつしか熱病にかかったように俺を求めてくる。

 気が付くと床に押さえつけられ、俺にむしゃぶりつくように、もっと自分自身の快感を高めようと足を思いっきり開かせて、抱え込み、自分の欲情を捌け口として、大きく力一杯揺さぶっり、中で精を排出する。

 俺も”あの男”が放った精と、深いところまで押し寄せたモノに快感を感じ、”あの男”のシャツの上に己を放つ。

 そして、”あの男”は、満足したかのように意識を失っていった。

 寝穢(いぎたな)く傍(かたわ)らで休んでいる”あの男”をしばらく見つめていたが、呼吸が整うと、躯の中の萎えたモノを抜き、ゆっくりと立ち上がろうとした。

 しかし、久しぶりの結合で、すっかり腰が砕けてしまったらしく、思うように足に力が入らない。

 それでも冷たい板の上で...、まして、こんな玄関先で休むのは嫌だったので、渾身の力を振り絞って、なんとか直ぐ横にある風呂場に躯を引きずるようにして入った。

 二人の放ったモノが、所々こびりついている衣服を放り捨てるように脱ぎ、空のバスタブに入り、躯に響かないように静かにしゃがみ込んで、座ったままシャワーの蛇口をひねった。

 全身を打つ冷たい水。

 いつもは不快に感じるまだ湯になる前の冷たい水が、行為により火照った躯にあたり、今日は気持ちよかった。

 水が、心の中でもやもやと蟠った俺の気分と一緒に、躯の中に放たれモノと、それを受け入れるために傷つけてしまった所から流れる血液を洗い流していく。

 そう、”あの男”は俺を抱いたのだ。

 それもまるで獣が餌に食らいつくように、俺が仕掛けた罠に落ちるようにして...。

 ククッ、クク...、と笑いが込み上げてくる。

 ”あの男”はその程度の男なのだ。俺は勝利した、そう思った。楽しかった。

 楽しかったはず...だった。

 けれど、何故か、心の中で何か別の感情が溢れてきて、躯を打つシャワーの水に混ざって、頬を伝う別の水...。

 自分でも解らなかった...、何故止めどもなく涙が流れてくるのか、が...。

 ゆっくりと水が湯に変わるのを感じながら、水の変化と共に自分の気持ちが落ち着くのを待つ。

 そして、静かに”あの男”への感情を洗い流すように全身を清めて、シャワーを止め、浴室に置いてあるタオルを腰に巻き、風呂場出る。

 ドアを開けると、”あの男”がまだ靴も脱がずに、みっともなく下半身だけを露わにして、気持ちよさげに段差のない三和土とキッチンのフロアにまたがって、休んでいた。

 その姿に無性に腹が立ってきて、足で軽く”あの男”を蹴りながら、声を掛ける。

「いつまでそんな所に転がっているつもりですか?」

 その声に目覚めたのか、緩慢な動きでゆっくりと起きあがり、状況を把握出来ない様子で、部屋の周りをキョロキョロと見渡す。

「あの、邪魔なんですけど...」

 それでも言葉は聞こえているのか、急いで俺の通り道を開けてから、”あの男”は自分の姿に気づき、慌てふためいたよう身支度を整えようする。

 まるで”良心の呵責”にでも苛(さいな)まれているように、すまなさそうな瞳をこちらに向けながら...。

「あ、あの...。俺は、島津さんを...、島津さんと...、その...」

 そんな”あの男”の様子に、折角落ち着いた気分が苛立ってくる。

 自分がしたことを理解しても、それでも奇麗でいようとする”あの男”のこの自覚のない偽善者的な態度に...。

 その気持ちと、さっきシャワーを浴びていた時に流れた涙の味とがぶつかり合って、自分自身がどう思っているのかが解らなくなっていく。

 ただ...、解っていることがあるとすれば、この鈍い男への今まで以上の腹立たしさだけだった。

 俺はそんな戸惑う感情を抑えて、”あの男”に云い放つ。

「いつまでそんなモノ見せびらかしてるんですか?それとも見せびらかしながら、玄関先で寝るのが趣味ですか?迷惑なんですけど」

 物事に鈍い”あの男”も、その言葉に流石にカチンと来たらしく、顔を真っ赤にして、唇を噛み締めながら、さっき中途半端に着た衣服を整えていき、靴をきれいに整えるように脱いでから、フロアに上がり込んでくる。

 そして、何かを云いたそうなそんな顔をして呟く。

「悪かった...」

 そう詫びながらすごすごと狭い場所で、こちらを直視できない様子で通路を空け、俺は小さく溜息を付きながら風呂場から出る。

 その時俺は、きっと無神経な”あの男”の事だから、謝りもせず、通路も開けずに、ただ苦情を云ってくると思っていた。だから何に対して謝ってるのかが、解らなかった。

 溜め息を付ながら俺は、これ以上ここにいたら、”あの男”とお関わりを持ってもこの苛立ちも、腹立たしさも消えないことを自覚し、もう邪魔をしなければどうでもいい、と思った。

 疲れているから苛立つのだ、そう思うと、”あの男”に対し、この疲弊した躯を休められれば云いと思えてきた。

「いえ、どいてくれればいいんです」

 これ以上話したくなかった。もう”あの男”の姿を見たくもなかった。

 自分でも理解できない感情がまた溢れてきて、それに耐えられなかった。

 何故こんな思いをしなくてはいけないのだろうか...。

 このままでは、また涙が流れてきそうだった。

 俺はその場を逃げ出すように慌てて立ち去ろうとしたが、その気持ちをさっせない”あの男”は口を開く。

「あ、それもだけど...」

 ”あの男”は、言葉を中断し、俺の態度を伺うようにこちらをまっすぐ見た。

 どうしてそんな顔をするのだろうか?理解したくもない瞳を向け、それに対して、睨むことしか出来なかった。

 そして、何かに気づいたかのように”あの男”は少し照れたような態度をする。

「あ...。俺もシャワー借りていいかな?」

 もう声を聞くのも、顔を見るのも耐えられなかった。

 その時、何故だか判らない感情が俺自身を支配し、それから逃れようと、早くこの場から立ち去りたかった、”あの男”のいないところに早く行きたかった。

 そんな気持ちが次から次へと湧き水のように溢れだし、自分で消化しきれない感情は、苛立ちと怒りに変化する。

 それでも”あの男”は、無遠慮に話しかけてくる。

「悪い、タオル借りていいかな?」

 素っ気ない態度で、自分の腰に巻いてあったタオルを外し、放るように渡して、この部屋と間続きのベットのある部屋へ歩いていく、まだよろつく腰を退(ひ)き吊(づ)りながら...。

 ”あの男”を残して、そして、やっとの思いでベットに入った。

 ”あの男”がバスルームでシャワーを使う音が、ベットの中にいても聞こえてくる。

 無理なことを久しぶりにした所為か、躯のあちらこちらが悲鳴を上げているのが、自分でも解り、この躯のだるさが、休みたいと告げてくる。

 これじゃ当分トイレにも苦労しそうだ、とそう思うと苦笑してしまった。

 自分でも信じられないくらいの不快感で襲ってきて、いつまでも寝付けずに、焦りが先に立ち、その不愉快さに輪を掛けるように。不意に脳裏に浮かんだ言葉があった。

 ”春の夜はちょっとした事柄でも不安になって云い答えが出ないんだ。だからさ...そんなときには考えちゃだめだぜ。嫌なことは...。”

 あの時の”あの男”の笑顔、この苛立ち...。

 それなのに不思議とその言葉が疲れた躯を優しく包んでいき、少しずつ気分は安らかになって優しい眠りに俺は誘われていった。

 どのくらい休んだんだろうか、それともコレは夢なのだろうか...。

 先程の行為の名残がまだ躯に残っているのだろうか。

 ぼやけた中で少しずつ躯に快感が溢れ、優しく誰かが愛撫してゆくような...、暖かいモノが、躯のあちらこちらに触れていく。

 俺の緩慢(かんまん)な頭の中に、どんどん気持ち良さが伝わってくる。

 コレは何だろうか?その優しくて、暖かいモノは胸に触れ、急に躯に電流が走ったような快感が襲ってきて、その感覚に意識が少しずつはっきりしてくる。

 ”あの男”は、ぼやけた俺の躯に口付けを落として、舐めまわし、胸の飾りを軽く噛んだ。

「...。あの...、いい加減にして下さい。眠いんですけど...」

 男二人が乗ったソファーベットの重さに耐えられず軋む音が聞こる。

 いつのまにベットに入ってきたのだろうか。

 ”あの男”は一人で眠るのもやっとの広さのベットに入り込んできて、俺の躯に悪戯を始めた。

 俺は、やっと心地よい安らぎを迎えられた矢先に、それを邪魔され、躯は鉛のように重く、最悪の気分の目覚めだった。

「さっきはあんなに情熱的だったのに冷たいじゃないか...」

 眠気も手伝い不愉快さがだんだん増してきた。放っておいてほしかった。

「何云ってるんですか?さっきはさっきに決まってるじゃないですか。一回”セックス”をしたからって別にあなたと特別な関係になったわけじゃないでしょう?」

「じゃあ、おまえは何で!!」

 ”あの男”の声を荒立て、俺はそんな様子に吐き気がした、この勘違いにも似た態度に...。

 一度躯を繋いだぐらいでいい気になって、何度でもその行為が許されると勘違する、ここにいるのは、何も考えずにただの飢えた獣なのだ。

 そんな、自分の中で再び沸き上がる憎しみ、怒り、苛立ちが安眠を妨害されたことで、更に増してくる。

「夜中に大きな声出さないで下さいよ。ここ壁薄いからに隣に丸気声ですよ」

「そりゃあ、すまなかった。でも...」

 ”直行の気持ちが知りたかった...。”そう耳元で囁く声がする。

 胸にまた訳の分からない熱いモノが溢れてくる。

 あの耐えられないほどの劣等感にも似た思い、俺がその思いから逃れる術はこうやって貶(おとし)め、嫉(そね)むそうすれば...、はっきりと云ってやらなければ解らないのだ、いかに屈辱を受けているかを...。

 そう、はっきりと云ってやらなければ...、俺の受けた思いを...。

「俺は...、俺はあんたが大嫌いなんですよ。だからです。最初逢った時からずっと...、あんたは良い大学を出て会社でも有望株だ。むかついたんです」

「え!?」

 唖然とした顔をする。まるで予想されていなかったらしい返答に驚いた様子だった。

 俺が愛しているとでも云うと思ったのだろうか...、それとも別れを惜(お)しみ自分の躯を提供したとでも思っているのだろうか、そんなこと絶対有りはしないのに。

「じゃあ、何で...。そんなむかついている相手と...その...」

「何でセックスしたかですか?」

「ああ」

 今にも泣きそうな顔が滑稽だった。

 俺は”あの男”に勝ったそう感じた。

「あなたはじゃあ何で俺を抱いたんですか?」

 その言葉に狼狽える”あの男”の姿は、まさしく勝利を感じさる。

 自分がした行為を恥じ、罪の意識に苛まれ、そして、俺が絶対に忘れられなくなる。そう思うと可笑しさが溢れてくる。

「俺はあんたがヒイヒイよがりながら痴態を曝(さら)すところが見たかったんです。あんな恥ずかしい格好で俺に達(い)かされたり、飢えた獣のように俺を求めたり。あんたは所詮偽善者なんだ。良い子ぶって、周りから良く見える仕草をする。でもあんたはその程度しか出来ない人間だ。そんなあんたのみっともない姿が見たかったんですよ。自覚できたでしょう?」

「そ...そんな...」

 俺の云っていることが理解できないのか、それとも自分が敗北したことに対しての苛だちからか、辛そうに見える表情でこちら見ている。

 もうこいつに関わるのはもう止めよう、その方がずっと楽になる...。

 俺は突き放すように云った。

「いいじゃないですか...。あんただって楽しんだんだから...」

 そう云ってタオルケットを被り寝た振りをする。

 ”あの男”は屈辱に震え、寝付けない様子だった。

 コレで満足なんだ。

 こうやって俺は”あの男”に自分を抱かせるという復讐の形で、自分を満たした。

 それなのに...、不思議とその晩、涙が止めどなく溢れてくる。

 自分で自分の感情を持て余し寝付けずにいた。

 明け方”あの男”が何も云わずに帰る頃、やっとうとうとし始めた。

 もう二度と”あの男”...”坂上 正義”に逢いたくなかった。

 配属先が別れているのだから、もう逢うことも無いだろうと思った。

 そして、もうあんな思いはしたくなかった。

 俺はあの押さえきれない思いを理解できないまま、全てを忘却の彼方に追いやることで自分を納得させた。

 翌々日月曜日から、お互いが違う配属先になり、全てを吹っ切るように新たな勤務先に出勤し、それからつまらない研修を一週間した後、店に出るようになった。

 店舗の勤務はシフト制で基本的な仕事は接客。新人何でもやらされる。

 俺は周りが嫌がる仕事も笑って引き受け、なるべく心証をよくするために努力した。

 スタート地点は遅くても将来別の部署で活躍するきっかけを掴みたかった。そんな小さな野心で、なるべく良く思われたかった。

 いつか、俺をばかにした人間全てを見返すために...。

〜昔、夢があった。

 子供の頃から”数字”だけが好きだった俺は、将来数学者になりたかった。

 高校時代に図書館で読んだちょっとしたフランスの哲学者の本にはまり、”数学”と云うモノが好きになった。

 そのはまった本というのが”記号論”と云う種別の哲学で、全てのモノが数式に代入しえる...。そんな内容だった。

 その本に共鳴した俺は、もっともっとそれを知りたいと感じ、その思いを追いかけて、その学科のある大学を目指した。

 けれど当時数学しか興味のない偏った学力は、その学科のある大学への入学を許さず、二年その学科の有る大学受験を努力した。しかし結果は同じだった。

 自分の器以上の大学受験は、家族の不仲をもたらし、両親はそんな俺に対して”ほら見たことか”と云わんばかりの態度をとる。

 そして、最終的に両親との約束で滑り止めで受けた大学への入学を薦め、諦めて三流の大学に行くことにした。

 悔しかった。何もかも...、自分で納得できない生活。

 我が儘を通した所為でぎくしゃくしている家族、それがいたたまれなくなり、逃げるように始めた一人暮らし。

 そんな風に入学した大学でもそうだった。

 周りとの雰囲気になじめず、いつも独りぼっちだった。

 遠巻きに俺を見つめるだけの周りの人間は、飲みにも誘ってくれず、それに耐えられず、どこかに友人とも呼べない連中を誘ったのは俺の方だった。

 つきあう努力を怠っていると...、いつも一人だった。しかし、その内それでも良いと思うようになっていたけれど...。

 そして今、部署配属になり、部署の皆の云うことを聞き、ジョーダンを云ったり、食事に誘ったり、飲みに誘ったり常に上手くやるように、必死に努力する自分の情け無い姿とあの時期の自分が重なっていた。

 ”いつかこいつらが俺を無視できなくなるまで偉くなってやる”

 そんな思いが自分自身を支えていた。

 それでも時々その努力が嫌になることがあった...。

 なんで一人でがむしゃらにやれば出来る仕事を選ばなかったんだろう...、と後悔することもあった。

 誰に云える訳じゃなく、そう云う時にふらっと一人で飲みに行った。

 咽(のど)を通るアルコールが、そんな気持ちを洗い流してくれるようなそんな気分になった。

 そうやって自分の逃げ場が大学時代見つけたあの店だった。

 一人で飲みに行く先を探していた大学時代に、ふらっと入った店が、Bar”Blue”だった。

 始めて来たときから、何度も来ているような優しい感じで向かえる店だと思った。そして何処か懐かしく感じた。

 何かに追われているわけではなかったが、自分だけの逃げ場が欲しかった。

 自分を優しく迎えてくれて、それでいて干渉するわけでもない。そんな逃げ場が欲しかった...。

 そして、”あの男”と逢わなくなって数ヶ月過ぎた熱帯夜の晩も、一人で飲みたい気分の時はあの店に足を向けた...。

〜その日もその店にそんな思いで行った...。

 それは店舗配属されてもうじき半年になる頃だった。遅番でその日の売り上げを締め店を出た頃にはもう11時近かった。

 重い足取りで帰途につく。

 ここに来て良くある話なのだけれど、店の女性の店員が客に絡(から)まれ、それを止めるのに大変だった。

 コンピュータとコンピュータソフトを扱う店。

 昨今のコンピュータの復旧で何も知らない客から、中途半端に蘊蓄(うんちく)のみの客、昔からPCに触っているマニアな客まで色々な客が来る。

 だから客にあわせて対応していくのだけれど、予想を超える質問をし、わざとではないにしても、店員を悩ませる事も多かった。

 その日もその女性店員の要領を超えた質問を浴びせ、対応しきれないと客は店に対しての苦情を騒ぎ始めた。

 そして女性店員では事すまず、先輩はワザと俺に対応をさせ、解決した後、絡まれた女性は『まったく嫌な思いさせて!!』と悪態を俺にぶつけた。

 新人の俺はしようがないのだろうけど、先輩は今日のようなことがあっても絶対に相談も聞いて貰えなければ、物事を決めるときも勝手に物事を決め、実行は俺やらせ、説明を求めると”若いのに生意気だ”とイヤミを云う...。

 新人時代には当然なのだろうけど...、疲弊することが多かった。

 そして気づくと、気分を変えようと自然に足がBar”Blue”に向いていた。

 仕事に疲れたそのままの重い足取りで店に着いた。

 けれどまさかそこで一番会いたくない相手に、再会するとは思っても見なかった。

 暗い照明でも判るほどの、カウンター席にいる一番会いたくない姿が、目に飛び込んでくる。

 最初声をかけずにこっそりと飲んで帰ろうと思った。

 もう考えるのは止めたのだから...。

 しかし楽しそうに連れと飲んでいる姿に、激しい苛立ちを感じ、嫌がらせをしたくなった。

 俺はわざと笑顔で”あの男”に声をかけた。

「坂上じゃないか!!」

「え!!」

 驚いたように俺を見て、まるで幽霊でも見るよう目をしばたかせた。

 ”あの男”のその連れは、確か新入社員研修の時に営業のレクチャーをしてくれ、同期内でも評判のよかった男だった。

 いつもの俺ならばコネを作るチャンスかもしれない...。そんなことを考えるだろう。しかし、今は”そのチャンスへの期待”よりも”あの男”が別の男と一緒にいると云うことが、不思議に勝っていた。

「こんな所で何してるんですか?」

 ”あの男”の困った顔は、例えようのない懐かしさを感じ、連れに助けてくれと云わんばかりにすがる様子は、苛立ちを腹立たしさに変えていく。

「誰?友達?」

 ”あの男”の連れが、不思議そうに俺と”あの男”を見比べている。

 目線だけ下にやり”あの男”は、どうして良いのか解らないかのように、おどおどしている。

 俺は”あの男”が俺とのことを忘れられなかったことが判り、胸の中でもやもやしていたものが少しずつ晴れていくような、すっきりしたそんな気分になり、”あの男”の連れに、普段接客用の返答するときの笑顔を向ける。

「坂上 正義君とは同期で今店舗にいます。島津 直行です!初めまして」

 ”あの男”の連れが優しい笑顔で俺と話を始める。

「へえ、店舗は大変でしょう」

 俺は笑顔で軽く頭を横に振り、そうではないと伝えた。

「いえ、とても勉強になります。人と直接触れるとうちの商品をどう見られているかもダイレクトにわかりますので、もし他の勤務先になったときに活かせると思ってます」

 ”あの男”の連れも笑顔で感心し、俺自身も上手い云い方が出来たのだと感じた。

 ただ自分の連れと楽しそうに離している”あの男”は、ずっと不機嫌な顔をして、俺をずっと睨んでいた。

 連れと俺が楽しそうに話すのがイヤなのか、それとも俺の存在自体がイヤなのか...、どちらにせよ、俺はそんな顔を見ていてとても小気味が良かった。

 そしてもっと”あの男”に対しての嫌がらせをしたくなった。

「へぇ、すごいね。島津君は営業志望?」

 ”あの男”の連れと更に楽しそうに、俺を無視できないようにしてやる、そう思った。

 俺は笑顔で”あの男”の連れに答える。

「はい、そうでした。けれど、どんなことも経験ですから、何でもやりたいと思っています」

「君みたいな愉快な人と仕事してみたいね。まあ、将来もし一緒になったら宜しく頼むよ」

 愉快に笑いながら”あの男”の連れ...、朝永は名刺を渡した。

 朝永 弘樹 営業一課 チームマネージャー...。

 うわさを聞いたことがあった。切れ者で将来を嘱望されていると云う...。

 俺は、ワザと笑顔を作り、不慣れな手つきで朝永に名刺を差し出した。

「あ、俺まだ慣れて無くて...」

 朝永が名刺を笑顔で受け取る。

 けれどさっきからの朝永の笑顔はどことなく俺を不安にさせた。

 こいつは俺では太刀打ちできない...、そんな不安を...。

「こちらこそ宜しくお願いします」

 それでもその後どのくらい三人で飲んだんだろうか、朝永の話は説教臭くもなく、色々なことを知っていて勉強になり、深入りしない会話をしている分には楽しかった。

 それに、飲んでる間中いじけた態度をしている”あの男”を見るのは、朝永と話すよりも、もっと俺の気分をよくしてくれた。

「俺はそろそろ帰るけど、お前ら同期でつもる話もあるだろうからまだいるだろ?」

 そう云って朝永は返答を待たずに席を立ち、机の上に一万円札を2枚置いた。

「坂上、きちんと領収書切ってもらえよ、釣りは明日で良いから。じゃ、島津君も、今日は楽しかったよ」

「あ、そんな...。ご馳走様でした。俺も楽しかったです。また今度誘って下さい」

 席を立ち、深々と頭を下げ礼を云う。

 朝永が去って直ぐに俺は一気にグラスに残った酒を呑み、云った。

「さ、出ましょうか」

 そう云い放(はな)って、”あの男”を放(ほう)ってさっさと歩き出す。

 ついてくる自信があったのだと思う。

 しかし、俺自身はその時はもしついて来ても、来なくても、どちらでさほど気にしないと思っていた。

 そして、”あの男”は俺の後をとぼとぼと付いてきた。

 店を出てから電車に乗り、数駅行ったところで降たり、そこからさらに15分、かなり急な下り坂を降り、上り坂を登った高台にある俺のアパートにたどり着く。

 ”あの男”はここにつくまで一言も話さなかったが、俺から離れようとはせず、ずっと俺の隣を歩いていた。

 歩きながら俺は”あの男”は”あの屈辱”を思い出してついて来ないか、それとも途中で引き返すのではないかと考えていた。

 けれど、どうやらそうではなかったらしかった。

 部屋のカギを開けて俺はワザと笑顔で”あの男”に云う...。

 ”どうぞ”と...。

 ”あの男”は缶コーヒーを俺に渡したときの様な瞳で見つめ、戸惑っている様子が伺え、なかなか中に入らない。

 ここまで来る道のりでは、その後にどうしたいとか、どうなるかとか、何も考えていない様子だった。

 俺はワザと”あの男”を挑発するように笑顔で云った。

「この前みたいに入った途端に事に及んだりしませんよ。あんただってまた真夜中に洗濯するのは嫌でしょ。この前御馳走できなかったコーヒーでも御馳走しますよ。もっともあんたは、直ぐにでも”したい”って思ってるんだろうけど...」

「な!!」

 顔を真っ赤にさせて、言葉を飲み込んだ”あの男”が考えている事は、その様子で伺えたが、不思議とそれが嫌な感じがしなかった。

 少しずつ”あの男”がどういう風に云えばどう反応するかを思い出し、そして楽しくなる。

 自分でもこんな気持ちになっているのが理解できなかったが...。

「早く入って下さい。それとも帰りますか?」

 その言葉にカチンときたのか、勢いをつけた様に慌てて”あの男”は中に入るが、まるで始めて入った部屋のように不安げにキョロキョロと辺りを見回している。

 そんな様子を見ながら、俺は約束通りコーヒーの準備をする。

 いつも安値で仕入れるコーヒー豆と、二束三文で買ったコーヒーサーバー。

 コーヒーは好きだったが、いつも簡単に胃に流せれば良いと思っていた所為か、こうやって客(?)に出すと戸惑ってしまう。

 ”あの男”は客何かじゃない...か。

 俺を抱きたくてついてきた。そう云う男なのだ...。

 今日の俺は人恋しかったから、誰でもいいから肌の温もりが欲しかったから、こいつを部屋に入れた。

 何故だか自分でも判らないかったが、今日のは、どうしても誰かのぬくもりが欲しかったのだ。そう自分で納得する。

 何かする為のときの理由がほしかった...。

 もう逢いたくないと思っていた”あの男”を、部屋に招き入れたのは、そう云う理由だという...。

 コーヒーの準備が出来、持っていくと、まだ部屋の中を物色するようにキョロキョロ見ていた。

 汚く狭く感じる六畳の部屋は、肌色のむき出しの壁に、このソファーベットと布団を乗せていない炬燵(こたつ)の上に、ちょっと型落ちしたノート型のPCと14インチモニターを乗せ、その横に自作のタワー型のPC本体、その先にLD、ビデオデッキ二台、17インチのTVの横に適当に置いたLDとビデオカセット。

 床には所狭しと読み散らかしている数学の本や哲学の本に、洋服は雑にカーテンレールに掛けたままになっていた。

「何キョロキョロしてるんですか?珍しいんですか??」

 そう云われて顔を赤らめ乱暴に紙コップに入れたコーヒーを渡した。

「あ、ありがと」

 ”あの男”はカップを受け取り、その受け取る手が微かに震えていることに気付いた。緊張でもしているんだろうか...。

「砂糖ミルク入れないんで家(うち)には無いですから」

「別に良いよ。使わないから」

 そう云いながらも、まだあの男の手が震えている。

 俺は横目で”あの男”を気にしながら、自分の分のコーヒーを飲み終わると、電気を消さずに、さっさと衣服を脱ぎ始める。

 そうすると焦りながら残ったコーヒーを飲み終えて、慌てて電気を”あの男”が消した。しかし、何を戸惑っているのか、一向に洋服を脱がない様子に、イライラしてくる。

「服、脱がないままやるのが好きなんですか?もしかして脱がしてほしいなんて思ってるんじゃないでしょうね?だったら期待しても無駄ですよ」

 焦り、慌てながら”あの男”は服を脱いでいくが、まだ何かに躊躇しているのか、なかなか脱ぎ終わらない。

 そして、やっと脱ぎ終わったところで戸惑うように見つめ、ワザと俺はにやりと笑ってかえす。

「止めるなら今ですよ」

 そんな風に云うと”あの男”は、少しずつ、丁寧に抱きしめ始めた。

 ゆっくりと唇から、首筋、胸、まるでこの前のなし崩しに抱いたことを後悔するように、丁寧に少しずつ愛撫していく。

 そして俺はその愛撫に全身が敏感になる。

 けれど、その緩やかな愛撫から沸き上がる快感と、その反対にもどかしさを感じ可笑しくなりそうだった...。

「この前のこと...、後悔して優しくなんてしないで下さい。俺は女じゃないんだから...」

 そう喘ぎながら懇願する。

 そして、”あの男”はその言葉でまるで堰を切ったように俺にむしゃぶりついてきた。それが気持ちよかった...。

 お互いがお互いの欲求をぶつけるようなこの関係は、無理矢理結合させ、俺を傷つけたことをも考えられない程、何度も求められ、傷ついていることすら忘れるくらい激しく求めていき、欲望を満たされ、ついに意識を失ってしまうくらいだった。

 喘がされ、強く抱きしめられ、揺さぶられ、欲望を受け、精を吐き出し、意識が無くなりながら、なんとなくこんな関係の方が心地よいと思った...。

 ただ自分の欲望だけを優先する、そんな関係が気持ちよかった。

 普段感じないこの部屋の匂いにぼんやりと意識が覚醒していく。

 ぼやけた頭に微かな煙草の香りが絡まっていく、一瞬自分がどこで何をしていたのかが、解らないほどに...。

 ふわふわとした気分と裏腹に、躯のとてつもない怠さと痛み、自分が意識を失っていたことを気づき、少しずつ目が、頭が覚めてくる。

 ここは俺の部屋。

 俺はうつぶせに寝転がり、痛みを感じる腰は抜けてしまい、身動き一つ取れない。

 躯の痛みの原因は、”あの男”を受け入れたところが、傷つきその痛みだということ、全身の汚れは拭われていたが、俺も予想外に乱れ、何もつけないまま躯の中に受け入れ、その放たれたモノがまだ体内に残っていて、体調は最悪だということ...。

 それをまるで他人事のように自覚していく。

 普段煙草を吸わないが紫煙が心地よかった、しかしそれを咎めるようにわざと”あの男”に俺は云う。

「あのー。この部屋禁煙なんですけど」

「あ、ごめん」

 慌てて”あの男”は携帯用の灰皿に吸い殻を捨てから、うつぶせに寝転がったまま躯を動かせない俺の髪をそっと撫でる。

 狭いソファーベットは、男二人で寝るにはきつかったが、目覚めたときこの密接した距離に、俺は何故だか判らないが、傍らにいてくれることで良い安心感を感じていた。

「躯、大丈夫?」

 ”あの男”の言葉に、今まで感じなかったいたわりが伝わる。

 俺の意識が遠のいている間に、躯の汚れを奇麗に拭ってくれたみたいで、躯の中意外は不快感は感じなかった。

 しかし、気恥ずかしさから俺は”あの男”に悪態をワザとつく。

「大丈夫な訳無いでしょ、あんなに乱暴に激しいことされたんだから。腰が抜けて、おかげに流血沙汰です」

 咳き込む”あの男”に嫌な気分はしなかった。

 何故か判らないが、心が満たされるそんな思いがした。

 不思議だった...。あのぎこちなくイライラしていた感情は既に消え去り、幸福と呼んで良いのか解らないが、何となく満足感が溢れて来る。

「すまなかった...」

 ”あの男”は更にすまなそうな顔をし、俺はクスリと笑った。

 腹立たしさよりも先に自然に笑みがこぼれてくる。

 自分の手のひらの上で”あの男”が踊っているようで、何となく嬉しかった。

 けれど口からは思っていることとつい逆の言葉が出てしまい、俺は照れながら云った。

「謝るのならもっと考えて下さい。嫌われませんか?しつこいって」

 余裕の笑みを”あの男”は見せ、その笑顔に少し嫌がらせをしたくなった。

「どうかな...?」

「あの人...。朝永さんもこんな風に抱いてるんですか?」

 別にやきもちを焼いているとかではなかったが、ほんの少し云ってみたいそんな気分だった。

 慌てた様に真っ赤な顔をして、”あの男”は否定するそんな姿が見たいと感じた。

 反応は予想通りだった。

「な、なにを...。朝永さんは、関係ないだろ」

「そうですね。あなたは男の抱き方を知らないようですから...。それとも抱いてもらいました?そっちの方が良ければ俺も今度はあんたを抱きましょうか?」

 最初に俺を抱いたときも、今回も”あの男”はノーマルで、俺以外の男との交渉はしていないだろう、と直ぐに判った。

 あんなに傷つける抱き方しか知らない”あの男”が、別の男と交渉を持っているなんてあり得ない、そんな自信はあった。

 だから何となく焦った顔を見るのが楽しかった。ちょっとした独占欲だったのかもしれないが...。

「そんな!何で俺が男に抱かれなきゃ...」

 しかし”あの男”から帰ってきた言葉が俺をムッとさせる。

「じゃあ、その男を抱いてるのは誰なんでしょうか?俺がずっとほしかったんでしょ?だから俺に着いてきたんでしょう?だからあんな欲情したんでしょう?」

「それは...」

「それとも朝永さんに抱いて貰えずに、代わりに抱いたんでしょうか俺を...」

「そんな云い方!それじゃまるで嫉妬に狂った女のような...こと...」

 そこまで云って”あの男”は口ごもり、俺に囁くように云った。

「...でも、直行だってあんなに楽しそうに朝永と話していたじゃないか...」

 ”あの男”が何を苛ついているのか判らなかったが、その言葉にもしかして俺と朝永に対して嫉妬しているのではないか?と感じた。朝永と親しく話す俺に対して...。

「じゃあ、お前の方はどうなんだよ!!本当は俺とするよりも朝永さんに抱かれたいとか思ってるんだろ!!そうじゃないのか?」

 俺が誰かと話しているのにやきもちを焼いているような”あの男”の云い方。

 それが何故だか嬉しかった。

 あの朝永と”あの男”とはそんな関係ではないのは判っていた。

 それに俺がどんなことをしてもは太刀打ち出来ないだろう、朝永と話していてそう感じた。

 きっと朝永は俺の想像を超えるくらいの化け物で笑っていても、腹で何を考えているか全く想像できなかった。

 しかし、俺が朝永と親しくしたことが忘れられない様子で、それが楽しくてまた意地悪をしたくなる。

「そうか、そうですね...。その方がメリットがあったかもしれませんね...」

「そんな!!」

 上擦った声。そんな気持ち溢れ出しとうとう笑いがこぼれてしまう。

「うそですよ。敵は躯で懐柔できそうにないでしょ」

「そうなのか...?」

「そうでしょ?朝永さんはあんたより単純には行かないでしょ。きっとあんたみたいに簡単には、俺を抱いたりしない...」

 今まで感情的になっていた”あの男”が少しずつ落ち着いてきているのが、手に取るように判り、思っていることがはっきりと判るこの単純な男に、何とも云えない安心感を覚える。

 このまま...、離れたくなくなるような...。

「ごめん...」

 ”あの男”は呟くように謝った。

「謝られても困るんですが...」

 そして、俺は一つの提案をする。

「50/50にして上げましょうか?」

「え?!」

 口を開けて何を云ってるのか判らない顔をする。

「そんな驚いた顔しないで下さい。特別に50/50にして上げますよ。あなたがそんなに俺をほしいなら、俺の気分がのる時だけなら、特別につきあって上げてもいいですよ。相手をしてあげますよ」

「な...直行?」

「名前で呼びましたね...。それも呼び捨てですか?まあ良いですけど...。そうですね、欲情して今日みたいな無茶な態度に出られても困りますが...。ああそうだ、あの店で...、今日再会したBar”Blue”で逢って、お互い気分がのるときだけつきあうって云うのはどうですか。躯だけなら譲歩してお互い50/50くらいつき合い、しても良いですよ。あんたも俺を楽しませてくれる条件で...。嫌なら、嫌なら別に構いませんよ。俺は別に...」

 50/50...。友人では無く...。

 友人なんて生ぬるい関係ではなく、唯お互いの躯を求め合う...、そんな仲。

 何を束縛するわけでもなく、俺のテリトリーも犯さない。

 俺も”あの男”のテリトリーには不可侵...、そんな気楽なつき合いを”あの男”としたいと思った

 何となくこの時長く暗い迷路から抜けるような、そんな晴れ晴れとした気分になった。

「了解。お互い躯を慰める同士の50/50の関係ね」

 ”あの男”はまだ色々と悩んでいるようだったが、それでもこの関係が返答で成立した。

「あ、但しもう一つ条件付きです」

「ン?」

「まず男の抱き方を勉強してきて下さい。今日みたいな...もう12時過ぎたから昨日か...、まあどっちにしても、あんな流血沙汰はもう懲り懲りですから...」

「了解」

 ”あの男”も晴れ晴れとした表情で笑いながら云った。

 俺はその後、”あの男”に笑われたようで気まずさを感じ、タオルケットかかぶって寝てしまった。

〜それから...。

 あれから五年間、そのままの関係を続けている。

 ”あの男”は音を立てないように身支度を整えて、奥さんである”鏡子さん”と、秋に二歳になる息子”亘君”の待つ家に帰っていく。

 あの約束をした日以来”あの男”と仕事であっても話すらせず、つき合いを知っている人間は会社には何処まで知っているか判らないが朝永しかおらず、3年前の結婚式にも招待すらされなかった。

 特に興味があったわけではないけれど、いつ”あの男”と逢わなくなるかと思っていた。しかし、もう逢わないだろうと思っていても気付くとBar”BLUE”で逢い、そして”あの男”は俺の部屋までついてくる。

 ドアが閉まれば邪魔な衣服を取り去り、そしてお互いを貪り逢う...。

 

 気が付くと響いていた水音が消え、今まで付いていたバスルームの電気がカチッと音と共に消える。

 ”あの男”は、俺が寝ていると思っているのだろう。

 俺に気を使っているのか、なるべく音を立てないように静かにバスルームから出て、身支度を整えていく。

 自分が見られていることに全く気づかない様子で...。

 そして、静かに出口に向かう。

「帰るから、じゃ。おやすみ...」

 そう呟いて部屋を出て行く。

「また...」

 そんな言葉が脳裏を横切り、何となく俺は呟いてみる。

 俺は別に答える必要もないと思い、ワザとその言葉が聞こえないふりをする。

 それでも外から微かに響くアパートの階段を下りる音が耳に付く。

 俺はこの音が嫌いだった。

 何故だかいつもこの瞬間、たまらなく空しさを感じる。

 俺はクッと歯を食いしばりその思いをやり過ごす。こんな関係を続けていても何の後悔なんてしていないし、”あの男”に情を移しているつもりもないのに...。

 小さく嘆息し、先程までの行為で、疲れて重たい腰を引きずりながら、ムックリと起き上がり、バスルームに向かって、シャワーを浴びる。

 蛇口をひねると生温い湯が落ちてきて、まだ使って間もないことを物語っている。

 そして俺は、まだ躯の中に残っている”あの男”の残滓と、俺の欲望で汚れた躯を、ほんの数時間前のことも洗い流す様に湯は流れていく。

 クスッ。

 今更かもしれないが、”あの男”初めて出会った頃が脳裏を横切り、笑いがこぼれてきた。

 

Fine