2003/5/05
|
闇夜には気をつけろ!
|
はぁ?。 やっと、午前2時…。
袖を捲った腕にはめられた、腕時計を見つめ、佐藤範之は今日何度目かの溜息を付きながら、帳簿を開いた。 そう云えば、この時計は大学を卒業して、ここに勤める前の会社の入社した時に、祝いだと父親から貰ったものだった。 けっして高価なものではなかったが、多少名のあるメーカーの時計を貰い、あの時は幾ばくかの不安と、そしてそれをも超越するほどの期待で胸が一杯だった。 いつまでも過去にこだわっていてはいけない…、と思いながらも、それでも現在自分が置かれている立場を考えると、範之はついつい溜息が出てしまった。 閉店まであと2時間…。 まもなくあいつが来る。 それまでに帳簿の整理をしておかないとまた何をされるか判らない。 はぁ?。 範之はもう一度溜息を付き、目の前のクリップで止められた伝票を整理し始めた。 ここは眠らない街の新宿のレディスクラブ…、巷で云うところのホストクラブ"Careless"。 店は不況どこ吹く風と云わんばかりに、煌びやかな店内には、二十何シート設けられたボックス席を埋め尽くすほどの客と、そしてホストたち。 皆この夢の一時を楽しみ、幻の一夜を楽しんでいる…。 なんて云うのは、ちょっとした使い古されたキャッチフレーズ。 実際は、見た目も頭もナンパな、鳥がひよひよと飛んでそうなくらい頭の軽い男たちと、世の中の政治も、経済も、すべて興味ありません、と云わんばかりのライトなお姉さん方ばっかりの何とも云えない空間。 そんな二種類の人間たちの需要と供給が一致し、"ホストクラブ"と云うビジネスが成り立っているらしいかった。 もちろん他店の名誉のために言葉を付け加えておくならば、この店は特に、ホストも店に来るお客様も、世の中の煩わしさをすべて忘れて、何も考えないで、くつろげる空間を用意しているようだった。 簡単に云えば頭を全く使わないでも楽しめる世界だった。 今までの範之の人生で一番想像できなかった風景。 そんな範之自身でも予想できなかった場所で、何故伝票の整理を…と云うと、それには様々な事情があった。 そして"あいつ"との出逢いが範之の順風満帆と思えた人生にケチをつけたのだった。 あいつ…、柳瀬倖尚にこの店を紹介されなければ、いやもっと云うなら、あの会社の経費処理をしなければこんなことにはならなかった。 柳瀬のことが脳裏に浮かび、思わず手元の伝票を燃やしたくなった。 「きっとこの伝票の一枚でも紛失しよう物なら、いやらしく笑いながら、"その分は俺が立て替えやる。それでまたお前の借金がまた増えたな"って楽しそうに云うんだろうな…」 自分をいたぶって喜ぶ柳瀬の顔が浮かび、範之はよけい不愉快な気分になりながら、手元の伝票を台帳に記帳していった。 この店に勤め初めて半年だった。 しかし次に入る店員もおらず、範之はまだ"新人"のままだった。 まじめすぎる性格が災いしてか、接客業に向いていならしく、店に出ても男性を好むらしい同僚には迫られてはいた。けれど客にはなかなか好かれないようで、半年たった今も一人も固定客がいなかった。 そんな範之の仕事は、もっぱら誰かのヘルプについて酒を作り、今のように洗い物をし、客が去った後のテーブルを片づけたり店の掃除したりしていた。 そして、その他に前の会社で経理にいたためか、入店した日からいきなり帳簿を付けさせられ、店員の給与計算をしたり庶務一般も範之の仕事になっていた。 それでも、今まで一度も接客業をしていなかった範之には、そういった雑用の方が向いていると感じていた。下手に指名を受けて女性の相手をするよりも、楽しい仕事だった。 もちろん、一番最低、最悪な店の損益の報告業務よりも、客相手の方が何十、何百倍も楽しい仕事だった。 最低最悪の業務…。 範之は思い出しただけで溜息が出て、このまま逃げ出したい気分だった。 そもそも何故範之が、ホストクラブで働かなければいけない羽目に陥ったのか…。 自分の人生のが変わったあの時のことが脳裏に浮かび、範之はまた溜息を付いた。 今まで特別な人生を送ってきたつもりは、範之は無かった。 普通に都内の一流とは云えなかったが、そこそこの大学の経済学部を出て、世の中が不況だの、就職難だのと騒いでいても、高望みさえしなければ、そこそこの中堅商社に就職でき、経理部に配属された。 そのまま波も立たなければ、風も吹かずに順風満帆、三年が経ち、会社でも多少の待遇も用意され、後は結婚して、妻と子供に、スゥートホーム…。 小さくはないが、大きくも無い夢を描いていた。 世の中には、どんな落とし穴があるかわからない。 平凡な人生の計画が崩れ始めたきっかけは、ある会社の経費処理を担当したところから始まった。 この不況の中で、範之の会社は比較的安定した実績を上げていたが、世の中そんな会社ばかりではなかった。 大きな会社が傾けば、簡単に吹けば飛ぶような中小企業。 その会社は、関係会社及び取引先に多くの負債を与えたまま、会社法の適用により業務を断念しあっけなく倒産。 その処理を別件が入って出来なくなった、同じ経理部の上司の代わりにする担当することになった。 そこまでは普段の業務でもある話だった。 しかし、そこに人生の落とし穴は隠れていた。 業務を開始した当初は、経理部の仕事内容からいっても、この倒産した会社への負債額を計算して、上司に報告をするだけだと考えていた。 報告だけですまないとしても、せいぜい足りない資料を貰いにいったり、帳簿を確認したりするていどだと思っていた。 実際に仕事をし始めてみると、従業員数名でやっていた小さな会社で、今では少なくなったが、その会社の経理は所謂どんぶり勘定で、アバウトなものだった。 そんな煩雑な経理処理のために、範之は何度もその会社に行くことになった。 信じられないくらいに雑な経理をやっているがその会社の社長は、何度も訪れる範之にとても親切で、あまりの気遣いに恐縮してしまうほどだった。 改めて時間をおいて考えると、その行動を怪しいと感じるべきだったのだが…。 その時はそんな感情よりも、社長の愚痴を聞き続け、同情が心に芽生え始めていた。 もちろん中流家庭、一介のサラリーマンの範之に何もできるわけはなく、ただその社長の話を聞き、申し訳ないと思いながらも相づちを打ち、仕事を片づけていた。 そんなこんなと続いたある日に、起こるべきして事件は起こった。 何度も事務所を訪れていた範之を信用してか、その日社長は事務所に範之を残して、外出して行った。 範之はいつものように、事務所を借りて帳簿を確認していると、いきなり事務所に強面の男、数人現れ、恐る恐る社長の不在を伝えた。 すると彼らのリーダーらしき人物が範之の顎を掴みニヤリと笑った。 「あんたに用だよ。あんたがこの会社に貸した金、肩代わりしてくれるそうじゃないか!」 当然見に覚えがない範之は反論した。しかし、目の前に突きつけられた書類。 見たこともない書類にサインと捺印が押されている。 サインの筆跡は範之自身のもので、判は今回の業務処理用に持ってきた三文判だった。 普段会社ではシャチハタを使っているが、持ってくるのを忘れ百円ショップで買った三文判。 状況を把握できずに戸惑っている範之。 ちんぴらの様ななりをしている男が、いきなり腕を掴み、書類に拇印を押させる。 この時点でもっと冷静に対応できれば犯罪として訴えられたはずだった。 しかし、混乱して何も出来ずにいた範之は書類に拇印を押してから気付いてしまった。 そして、その後は地獄。 取り立ては水を得た魚のように、範之を脅し、財布の中身を渡す羽目になり…。 何がなんだかわからずにただ逃げ出したい! と感じていたときに、まるで待っていたとばかりに、柳瀬倖尚は現れた。 柳瀬はここに業務委託をしていた会社の会計士で、直接合ったり、名刺交換はしていなかったが、電話では何度かやりとりをしていた人物だった。 30歳の若さで独立し、何十社も中小企業の会計を見ている。 それだけではなくて噂では経営コンサルティングまでやっていて、柳瀬のアドバイスでつぶれそうになったところを持ち直し、そして経営を安定させた会社がいくつもあると云われていた。 米国で経済・会計を学び、30歳にして高級紙立ての三揃えエリートで、範之がかっこいいと感じるほどに容姿も体躯も優れていた。 その柳瀬が取り立てと範之の仲裁に入った。 混乱している範之をしばらく外させ、柳瀬は取り立てと話し合い出した答は、すでに反論出来るものではなかった。 もみ手をしながら帰る取り立て屋を見つめながら、範之の肩をたたき、不適な笑みを柳瀬は浮かべた。 「次は君だ…」 範之はまるで審判の時でも待つようなそんな表情で、視線を柳瀬に移した。 「坂木さんが戻ってくれば問題はない。しかし、もしこのまま逃げてしまった場合、君は間抜けにも拇印まで押してしまったあの契約書は効力を有する」 「な! 坂木っtあの社長が戻らなきゃ俺はどうなるんだ! 警察に訴えます! 見に覚えどころか全然関係ない借金を!」 あまりに納得できない柳瀬の言葉に、範之は顔を真っ赤にして叫んだ。 しかし柳瀬は腹を立てている範之を馬鹿にするように口元に笑みを浮かべると、ジャケットの内ポケットから煙草を取り出し、一服始める。 こちらの気も知らないでことを楽しんでいるように見える柳瀬の姿腹立たしさが、増してくる。 「こんなのどう見たって因縁つけられただけでしょう? 恐喝じゃないか。サインは確かに俺の字だった。でも判子ならいくらだって偽造できる。それをなんで俺が…」 最初怒りに捲し立てられた話し方をしていた範之だったが、柳瀬のあまりに無関心な態度に、どんどん弱気になり、最後には語尾を濁すだけになった。 紫煙なのか、溜息を付いたのか、わからないようないそんな息を吐き出と、柳瀬はじろりと範之へ目線を移す。 まるで範之を睨んでるように…。 「そう思っているなら、なんであいつらに云わなかったんだ?」 あまりに当然と云えば当然だが、言い訳になってしまうかもしれないが、スジものに見えたあいつらにはっきりと反論するほどの勇気は範之にはなかった。 もっともああいうやつらというのはそれをわかってはったりをかましていたりもするのだけど…、と今更思っても後の祭りでしかないのだった。 なんでこんなことに…そう思って落ち込んでいる範之の気持ちに塩を塗り込むように、柳瀬は言葉を繋げる。 「俺には云えて、あいつらに云えなきゃ意味がないだろう? 屈したってことは、お前はあいつらに自分が肩代わりするって認めたんだ。だったら坂木が見つかるまで、お前が払うしかないだろう?」 「そんな! だいいちそんな金なんてない…」 会社一つつぶれた負債。 いくら経理で金額を扱うことになれていたとしても、想像できない借金に範之はただ混乱するしかなった。 「まあ、坂木に高飛びする金はなさそうだから、狭い日本すぐに見つかるだろう? で、お前、一億五千万円の負債今すぐ立て替えられるのか?」 「い…、で、出来る分けないだろう! 俺は普通のサラリーマンなんだ! 無理に決まってるだろう!!」 「無理ね?」 いちいち腹が立つやつだと感じずにはいられないほど、余裕の余裕の笑みを浮かべる柳瀬。 "俺の収入なんてあんたの数分の一だろうよ…"そんなひがみも手伝って、忌々しそうに範之は柳瀬を睨み付けた。 柳瀬は手前にある灰皿にまだ十分吸えそうな煙草をすりつけると指を三本立てた。 「一、自分の臓器、もしくは家族の臓器をを売る」 「え?」 いきなり何を云い出したのか判らずに、思わず素っ頓狂な声を出した範之に構わず柳瀬は話を続ける。 「二、試薬開発のために身体を提供する」 「何云ってるんだ?」 「三、逆援助交際、または躯を売って稼ぐ。どれがいい? 何だったらいい病院か、店を紹介するぞ」 「ふ、ふざけるな!」 「ふざけていないさ、ただお前の給料じゃ一生かかったって借金なんて返せないどろう?」 「そ、それは…」 「そうだろう? じゃ、命が惜しいんだったっら身体を売るんだな。店は紹介してやる、会社は辞めろ。お前一人暮らしか?」 「え、いや…親と…」 もう一本煙草を口に銜えながら柳瀬は深々と溜息を付いた。 「判った、店の寮に入れ。それも用意してやる…」 範之は柳瀬の言葉を頭で理解するよりも先に、ただ頷いてしまった。 冷静に考えれば柳瀬にからかわれていた、と気付くはずの言葉に…。 しかし、全く反論しようとしなかった範之の態度は、益々楽しくなった柳瀬を調子にのらせた。 そして、柳瀬はニヤリと笑いながら呟く。 「もちろん、その手配料はいただくがな…」 「え?」 「お前の借金を肩代わりして、その金額が返せるうように仕事も、家族に迷惑がかからない様に住むところも用意してやる」 「本当か?」 自分ではどうすることもできなずただ混乱していた範之に、柳瀬の申し出は闇の中の光にもにた言葉だった。 後でだまされていると種明かしされるまでのことだったが…。 しかし、縋り付く思いで柳瀬を、その時見つめていた範之は、その後の更に非常識きわまりない条件を飲んでしまった。 「じゃあ、まず俺を楽しませろ」 「は?」 「頭の悪いやつだ、お前がどんな仕事に向いてるか俺が先に値踏みしてやる。そこにひざまずけ」 柳瀬は範之を自分の前にひざまずかせた。 「俺を銜えてみろ!」 「え?」 さすがに戸惑って身動きできず、ひざまずいたまま見上げている範之に、柳瀬は舌打ちすると乱暴にズボンに顔を押しつけさせた。 「う、ぐっ…」 「早く、奉仕しろ、そのくらいできないと仕事も紹介できないぞ!!」 取り立てやこの会社の社長、坂木にだまされた範之を見下す表情をしている柳瀬。 冷酷な柳瀬のズボンに恐る恐る範之は手を振れ、くつろがせるとまだ形をなしていないものを見つめ、生唾を飲み込んだ。 「どうした?」 追いつめるような柳瀬の声に、範之はもうどうにでもなれと云う気分で銜えた。 初めて口にする男のものに、どうしたらいいのか混乱しながら、範之は必死にそれを吸った。 「い、痛い…! お前は自分のがどう感じるのか考えたこと無いのか?」 「そ、自分のはこんなことしない!」 不機嫌な声に、範之は離れると、いきなりこんな恥ずかしいことをさせる柳瀬に、必死に抗議する。 「はん、どうせ女の経験も片手で数えられるくらいなんだろう? わかった、もういい、立て」 悪かったな! その通りで! と抗議する余裕も作らずに、柳瀬は身支度を整えると、範之の腕を引っ張って立たせた。 「な…」 「いいから来い、お前の躯にたっぷりと教えてやる!!」 そう云った柳瀬は、範之の腕を掴んだままその会社を出て、車に押し込むとそのままシティホテルに向かった。 その日範之は気を失うほど、柳瀬に抱かれた。 そして、初めて男に抱かれた朝を迎えた範之に、柳瀬はベッドの中で契約書にサインと印を押させた。 自分の人生設計が、ガラガラと音を立てて崩れ去る瞬間を感じていた範之に銜え煙草で柳瀬は云う。 「これで、契約書は成立だ。しかしお前は他人を信じる前に物事を冷静に考えられるようになった方がいいぞ」 「どういうことだ?」 「お前が冷静に考えられる頭があれば、あの取り立てがはったりだったことも、俺に抱かれる必要も、この契約もすべてやらなくていい、と気付くはずだ」 「なっ!」 「しかし、お前は正式に契約をしたんだから、この契約破棄には賠償金が発生する。まあ、俺の紹介したところで働くなら、こんな詐欺師の手口には引っかかるな!」 その瞬間、範之の目の前は真っ暗になった。 「云い忘れたが、あの取り立ての借金が元々回避できた。だが、この契約でお前は俺に借りを作り、お前は俺から云われたことは守らないといけない」 誰に騙されていたのか訳が判らなくなり、ただ口をぱくぱくさせていた範之に、柳瀬は新しい煙草を口にして微笑む。 「俺はいつでもお前を抱ける。お前は俺に奉仕しないといけないってことだ」 柳瀬の言葉に、範之は躯ごと自分を売ったのだと知った。
「まだ、帳簿の整理が終わってないのか?」 ドアが開き、当然の様に柳瀬がホストクラブの事務所に入って来た。 範之は忌々しい表情で柳瀬を見つめた。 あの契約の後、会社を辞めた範之は、柳瀬の元へ行った。そして柳瀬の用意した部屋で一人暮らしを始めた。 訳のわからないままこのホストクラブで働くことになり、監査と云う名目で柳瀬はここに来ては範之をホテルに連れ出したり、この事務所で抱いたりした。 柳瀬はいらいらしながら台帳を整理している範之に近づく。 「今日はお前に選ばせてやる。ここで俺に奉仕するか? それとも他で抱かれたいか?」 「そ、そんな…。店が…」 「お前一人抜けたって戦力的に影響なんか無い。行くぞ!」 柳瀬は帳簿を閉じると範之の腕を引っ張った。 「あんたこんなことばっかりやってると、そのうち刺されるぞ!」 「月夜の晩だけだと思うなよ? か?」 そう云いながら、柳瀬は範之に口付ける。範之は唇を話すと柳瀬の耳元で囁く。 「闇夜には気をつけろよ」 Fine
|
そんな言い訳していいわけ?
この小説は、5月のイベントで配布した小説です。
|