愚者の楽園 悩める子羊の集う場所 2

 そもそも拓己が窮地に立たされたのは、数週間前の対局まで遡る。
 あの時の相手も、藤原だった。
 いつものように対局室をこっそり抜け出して、女の子に電話を掛け続けていると、保科は何気ない様子で電話をのぞいて来る。
「結構掛けてるね〜。電話代かかるんじゃないのか?」
 そんなの関係ないじゃないですか…。放っておいてください! と言いたい気持ちをぐっと押さえ、拓己はいつもの様に表情だけ笑顔を浮かべて頭を下げる。
 保科は軽く交わすように右手を振った後、今度はニタリと笑いながら拓己の携帯を取り上げてる。
 携帯のアドレス帳をカタカタまわしながら、アからワ、ついでに記号から英語まで保科は嫌味な笑みを浮かべながら見ていく。
「そんなに女の子、好き?」
「はぁ…、まあ…」
 いくらなんでも天下の保科四冠にはっきりとした口調ではい、そうです≠ニいうのもはばかられる。
 例えば拓己のしていることを注意するならばまだしも、よりによって女の子好き?≠ニ聞かれても…。答えが一つしかない質問をされても、しょうのない事に拓己は顔を強張らせた。
 拓己のナンパ電話は新人戦どころか、プロ棋士を目指す三部リーグ以前から始まっていた。
 本人はいたってまじめ、女の子に電話すればするほど、頭の中がすっきりさわやか。
 将棋盤を眺めていてあった迷いが、ばーっとモーゼの受戒のように、くっきりとひらけてくる。
 けれどそんなのは拓己の個人的な思いで、それこそ将棋や伝統を重んじるお歴々には、何度となく注意された経験があった。
「そんな変な目でみるなよ。拓己はいつもそうやって電話してるイメージがあるから…」
 放っておいてくださいよ…。思わず口ずさみそうになった言葉を飲み込み、なるべく保科と目を合わせないようにする。
「まあ…、そうかもしれませんが……」
「凄い数の登録だな〜。どうやって電話番号とか聞いたの?」
「え? あ、その合コンとか…、学校の友達とか…」
「拓己って大学生だっけ?」
「ええ、まあ…。でもぜんぜん行けてないし、レポートとか落としまくってるし…」
「ふーん。なあ、俺と賭けしない?」
「賭けですか? 保科四冠とですか?」
「そう、俺と拓己が…」
 この人は何を考えているのだろう…。
 理解できない思いをそのままに、拓己は保科をじとりと見つめた。
 いつも忙しく時間に追われている人なのに、気が付くと拓己の目の前にいる。
 それもうんざりするほどに。
 保科の態度をみていると、自分はおもちゃにされている気になっていた。
 まあ、仕方ないと言ったら仕方がない。
 相手は保科だ。保科といえば棋界に携わるものすべての目標であり、棋士として頭角を表した瞬間から天才と呼ばれていた男だった。棋士に成り立てで、プロなのかどうなのか判らない狭間でピヨピヨないている拓己では、いつになったら届くか判らない、神にも近い存在なのだ。
 ただ見つめるしか出来ない拓己。
 保科は拓己が動けなくなるだろうと予想していたように、にっこりと笑う。
「賭けって言っても大変なことを言わないよ、俺はそんなに鬼畜じゃないからね」
「はぁ…、で…、何を賭けるんですか?」
 拓己の言葉を待ってましたとばかりに不気味な笑みを浮かべる保科。拓己は背筋に寒いものを感じながら、保科を見つめる。
「君≠チてどう?」
「は? ごめんなさい…、言ってる意味が判らないんですが…」
「僕は君に興味があるんだよね?」
 保科ははっきりと告げると、にっこり悪魔の様な微笑みを浮かべる。
「はぁ…、それは…有り難うございます…」
「だからここで一つの仮説を打ち立てたんだ」
「仮説? ですか?」
「ああそうだね。僕は将棋でも人生でもまず、仮説を立てて何度かエグザンプルを採取する」
「はあ…」
「最後に結論を出したところで、仮説を実行してみるんだ…」
 うんうん、と満足そうに保科は頷いた。
 保科が言っていた事は、拓己も何かの雑誌で読んだことがあった。
 記事を読んだときに、いつも天才の代名詞だと思っていた保科が何を言っているんだか判らなかった。
 しかし目の前で頷きながら言われると、信じられないくらいに説得力がある。
「じゃ、約束だから…。次の対戦で負けたら、拓己は僕と一緒に寝るんだからね」
「ちょっ、ちょっと勝手に決めないで下さいよ!」
 あまりに自然にさらりと言いきった保科に、流されたまま頷いてしまいそうになった拓己は慌てて口を挟んだ。
 一方保科は、拓己が何故否定しているのか理解できないように、笑顔を向けてくる。
「そう慌てないでくれ。これは賭なんだ。拓己に一方的にリスクを背負わせるなんて言っていないよ」
「じゃあ、もし俺が勝ったら何をくれるんですか〜?」
 信用出来ないとはっきりと伝わるように、眉を寄せて口を尖らせたまま拓己は、保科を見つめた。
 保科は拓己の表情に鼻から息を吐くように笑うと、笑顔のまま拓己に耳打ちしてくる。
「もし君が勝ったら、僕の知っている限りの女の子のアドレスと電話番号、ついでに合コンを設定して上げよう…」
「え!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! まじっすか!」
 思わず叫び声を上げた拓己。
 慌てて拓己の口を手で塞ぐと保科は、口の前に人差し指を立ててシッっと息を吐く。
 拓己は周りをキョロキョロ見てから、自分を落ち着かせるよう保科に近づいて小声を出す。
「それ、まじですか?」
「まあ、交換条件としては悪くないと思うが…」
「勝てばいいんですよね? 勝てば…」
「そうだね。君が勝てば君の勝ちだ」
「じゃあ、命がけで勝ちます! 女の子の為なら!!」
 あまりに嬉しくなり、意味もなくストレッチを始める拓己。
「乗り気だね。では、楽しみにしているよ」
 笑顔で拓己に手を振り、保科は去っていく。
 保科と言えば、テレビにもちょくちょくでて、芸能界にも繋がりがある。
 と言うことは…、勝てばアイドルのおねーさまや美人で可愛いメエメエ子羊をGETし放題!?
 拓己は俄然やる気になって、満足げに対局室に戻っていった。

 To be continued.

そんな言い訳していいわけ?
なんか続きました。次は二人の関係が変化する予定です。

 ← 1に戻る
 ← 戻 る