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遅咲きのたんぽぽ (第一話)

 和威が写真を始めたきっかけはたいしたことじゃなかった。
 中学に上がり授業でクラブ活動が拘束され、特に入りたいクラブも無かった和威はクラスでちょっと気になる女の子が入った写真部に入部した。
 当時は写真への熱意など全くなく授業で決められた時間だけをただ、だらだらこなすだけだった。
 そんなある日、その”ちょっと気になっていた女の子”に誘われてファッションショー”SinS(Summer in Summer)”に行くことになった。
 ファッションショーに始めて行った和威にとってそこは、今まで全く経験した事のない世界だった。
 眩い(まばゆい)照明(あかり)、波のごとく打ち寄せるシャッターの音とフラッシュ、物凄い熱気...。
 デザインされた様々な服の...色の洪水。
 キャットウォークを優雅に歩くモデル達は誰もが皆輝いて見え、その何とも云えない雰囲気に胸が震え、興奮を隠せなかった。
 そして、そこで一人の女性モデルに出会った。
 女性の名前は、一色 薔子(いっしき しょうこ)。
 彼女のステージの上を音楽が流れるかの様に軽やかに進むウォーキング、華やかで精悍(せいかん)な雰囲気を持ち、この日見たどのモデルより優美で目が離せなかった。

 その日以来”一色 薔子”はあこがれの存在となり、いつか彼女に近づきたい。彼女の魅力を生かした写真が撮りたい。
 その思いは、今まで無関心だった写真への情熱を目覚めさせた。

 その後、”一色 薔子”はステージモデルを辞めてしまった。しかし、和威はあの時の思いを抱いたまま目標通りカメラマンになり、たくさんの美しい女性たちを撮影し続け、そして評価もされる様になった。
 けれど、最近になって何故だか解らないが、ちょっとした不安感や焦りを感じるようになった。自分が目指していた写真に対しての...。
 

 そのショーは毎年8月最後の日曜日に有名アーティストがコンサートを開くホール、Nホールで某有名紡績会社主催で、”SinS(Summer in Summer)「夏の名残を夏服で楽しむ」”そんな不思議な合言葉で、10年前から海外、国内の有名メゾン、有名デザイナーが一同に介して行うファッションショーが催されていた。

 暑い...。
 額の汗を拭いながら和威は小さくため息をついた。
 ”あのショーは指定席なんかないから、取材するのとあんたが良い写真撮る席(場所)をキープするのに朝早く並んでね”
 そう簡単に云ってのけた女の為に朝5時から並び始めた。
 並び始めた頃はまだ陽も高くなかったからそんなに苦痛ではなかったが、しかし、さすがに10時近い今では日差しもかなりきつくなって、路面には蜃気楼が湯気の様に立ち昇り暑さが蟠(わだかま)っていた。
「暑い-。何でこんな暑い日に並ばなくちゃいけないのかね...。我ながらなんであいつにこんなに甘いのか...」
「誰に甘いって?」
 背後から聞き慣れたソプラノの声に慌てて振り返るとその声の主が仁王立ちをして立っていた。
 モデルバリの長身と細い身体、小さな顔は凛(りん)としていて整っている。ロングのストレ-トの髪をトップで一本にまとめ、振り返らなくても判別がつくソプラノの声の持ち主。
 星野 かおる...彼女は、和威が写真部に入るきっかけになり、カメラマンを目指すきっかけになったあのショーに誘った人物...。中学から今まで腐れ縁だった。
 かおるは子供の時からファッションショーにあこがれていて、今は各コレクションの特集もするファッション雑誌”イブ”のプレスをしていた。
「こんな有名どころの集まるショーよ!!早くから並ばなきゃ取材するのにも、撮影するにもいい場所取れないでしょ!!結構列も伸びてきてるし。そうでしょ、”佐伯 和威”せんせ!!」
「はいはい、今日のチケット苦労して取らせて頂いて、ついでに朝5時から並ばせて頂いたので15番目くらいですが今からじゃ50番目はこえるからね。たく、仕事熱心なプレスの星野 かおる嬢」
「...。はいはい、”たらし”で”エロカメラマン”の”佐伯 和威先生”のご尽力感謝痛み入ります」
 かおるは小さく息を吐き、顔を斜にして手を顎に当ててポーズを取りながら言葉を続けた。
「全く...、その男らしく見える”天然の日焼けした肌に均整のとれた筋肉”、
”真っ黒な肩まで伸ばし、一本に結ばれた髪は”不潔さを感じさせないし、”彫りが深く鼻筋は通っていて、目張りを入れているんじゃないかと思わせるきりりとした瞳”に、”整った顔立ち”、”モデルかと思わせる様な長身”。”きゃー和威先生ステキー!”てなもんで、近寄ってくる女の子数しれず、今回のチケットだって”和威先生が来るんなら私頑張っちゃう”ってなもんで手に入れたんでしょ。モッテモテのカメラマン”佐伯 和威せんせ”」
「お前な...。」
 かおるのこの迫力に呆れながらも和威は、一を云うと十、否、百、千を返してくるかおるには、今までの経験上で勝てたことなどなく、反対にこれ以上会話を続けているといつも都合の悪い方に転んで行くのが目に見えていた。
 ”こう云う時は何処かに逃げだすのが一番”と今までのかおるとのつき合いの教訓を本能で感じ、和威は重たいカメラバックを持ってこそこそと逃げ出す準備をした。
「ちょっと、どこ行くのよー」
 まだ何かを云いたそうな顔をしてかおるは和威に云った。
「...まだ始まるまで4時間もあるじゃないかー。ちょっとヤニ!一服してくる」
 ”そう...。”かおるはそう呟き、少し考えてからニッと笑った。
「じゃあさ。もう少しするとモデルたちが楽屋入りする時間なのよね。ここで私が並んでいるからモデルが楽屋入りする写真、撮ってきて!今日ってさ、スーパーモデルの”キャスリーン”や”アラン”も出演予定だから、ね」
 ”...。”露骨にいやな顔をしてみせたが、”かおる様”には当然通用するわけもなく、反対にかおるは瞳を潤ませてこびる様に言葉を付け加えた。
「いつか私が記者として一人前になる時の為に協力してね。今度、ちゃんと飯、酒付きでおごるから(はあと)かーずーいーせんせ」
 呆れて言葉も出なくなった...。所詮かおるに勝てるわけが無いので諦めてげっそりしながら、了解したことを示す様に軽く手を振り、渋々楽屋の方に向かった。
 

 ホールの近くにあるコーヒーのうまいファーストフードの店で、テイクアウトのコーヒーを買ってから楽屋の入り口へ行き、近くの木陰にあるベンチに腰かけ、煙草に火をつけた。
 楽屋口は、まだモデルが来る時間には早いらしかったが、スタッフと有名モデルの楽屋入りを待つファンがすでに集まりだしていて、ざわめきたっていた。

 少し離れた木陰でその風景を見ていると、柔らかな風に包まれながら自分の周りの時間だけが静止している様に、自分だけが取り残されている様に感じられた。
 ファッションショーか...。
 初めてファッションショーを知った時の驚きは忘れられなかった。
 あの時”一色 薔子”にあこがれ、彼女の、いや女性の美しさに魅せられた。
 その瞬間を”撮りたい”と本気で思った。
 それから色々な事があったが今こうして念願のフリーカメラマンとしてプロダクション側から指名されて、自分の名前で仕事が受けられる様になった。
 けれど、最近感じる様になった。
 何だか”いつも同じ様な時間の繰り返し。何も変わらない毎日...。”
 ため息混じりに紫煙を吐いた。
 

「だめ、だめ!ここは関係者以外立ち入り禁止なんだから!」
 突然、楽屋口の方から大きな声が聞こえ、和威は驚きそちらに目をやった。
 そこには、一人の少年...、身長185cmくらい...いやそれ以上あるだろうか、ほっそりとして華奢(きゃしや)にみえる体躯。
 体型だけはモデルに見え無いこともないが、その少年の持っている雰囲気はとても地味で、その地味な雰囲気に学制服...、半袖のワイシャツにグレーのネクタイ、黒のズボン、薄汚れたスニーカー、縁無しの少し厚めの眼鏡、大きめで重そうなデイバックを背負った姿からは、どう見ても普通のその辺にいる高校生にしか見えない...。
 いや、最近の高校生にしてはあまり洒落っ気がないらしく、髪は短かすぎず長すぎないくらいの普通の長さの髪を洗ったまま櫛ですいてる程度だった。
 その少年が楽屋に入ろうとしたのだろうか、入り口にいるスタッフがそれを阻止している様子だった。
 生徒手帳らしき物をそのスタッフに見せながら、少年はしばらく何かを話している様子だったが、結局、楽屋の中には入れてはもらえずに、その場を追い出されてしまった。
そして、少年は辺りを見渡し小さくため息をついた後、和威の座っている近くのベンチに腰を掛けた。

 それから何分か経っただろうか、少年は立ってキョロキョロと周りを見渡し、こちらへやって来た。
「あの。申し訳ありませんが...。この辺に公衆電話が有るところご存知ですか?」
 最近の高校生にしては礼儀をわきまえている。
 そう感心しながら、シャツの胸のポケットから携帯を取り出し、少年に渡した。
「ほい、どうぞ。公衆電話探すより早いだろ」
「え...。でも...。すみません。ではお借りします。代金はお支払いしますので」
 少年は一礼し、電話を受け取る。
 そして何回か掛け直しているが、どうやら連絡がつかないらしい。そして5分位してやっと電話は留守番電話に入ったらしかった。
『あ、あの、本田 潤一郎です。今、Nホールの楽屋前にいます。証明するものがなくて楽屋に入れません。申し訳有りませんが、どなたか迎えに来てください。お願いします』
 と伝言を入れていた。
 少年は、大きくため息を付いてから、一礼をし、和威に携帯を差し出し、デイバックから財布を取り出した。
「有り難う御座いました。あの代金なんですが...」
「いいよ。そんな長電話じゃなかったし」
「でも...」
「いいよ別に、それより困ってる様に見えるけど、どうしたの?」
 少しこの少年と、この状況に興味がわいていた。
 少年は躊躇(ちゅうちょ)しながらも、かなり状況が切羽詰まっているらしく、口を開いた。
「今日のショーに出るモデルなんです、僕は...。
 あの、学校のサマースクールから直行で来たのですが、サマースクール中に携帯の電源が切れてしまって、マネージャーさんや事務所と連絡が取れないんです。
 それで、今日の詳細や関係者用の入場証とかをもらいそこねてしまっていて...。
 このままですと出演を約束していたデザイナーさんに迷惑を掛けてしまうので困っているんです」
「マネージャーとか事務所とかは?」
「あ、先ほどお借りした携帯で連絡を取ってはみたのですが、マネージャーさんの電話は圏外通知ですし、事務所の方は留守番電話で...」
「モデル仲間とかは?」
「え?」
 少年は小首を傾げた。
「ほら同じエージェントの仲間とかに証明してもらえば?」
「あ...いえ、僕、モデルさんの知り合い、いなくて...」
「じゃあ、スタッフや、デザイナーとかは?」
 眼を閉じて少年は頭を左右に振った。
「先程デザイナーさんへの取り次ぎを入り口のスタッフにお願いしたのですが...、取り次いでくれませんでした。あの、僕はこう云うショー始めてで、スタッフさんに知り合いがいるのかも解らないんで...」
 こう云うショーが始めて...新人モデルか、それとも要領が悪いか...。
 しかし、会場スタッフはデザイナーに取り次ぎもしないのか...。
 まあ、この少年の雰囲気だと”モデルです”って云われても”はいそうですか”ってスタッフが信じないのも無理が無いようにも見える。
 でもこれが”本当の話”ならかなり切羽詰まった状況だ...。
 和威は少し考え、そして、この少年に対して”この状況”に好奇心が沸き、不謹慎だが少し楽しかった。
 少年に解らないように、クスリっと和威は笑った。
「そりゃ困った話だな...」
「ええ、でも先ほど事務所の留守番電話には入れておきましたから...。それにまだ他のモデルさんもいらしていない様ですので、リハーサルまでまだもう少し時間がありそうですから、少しここで待っています」
 少年はそうにっこりと笑った。しかし瞳は不安さが募っているのかかなり”マジ”に見えた。
 その瞳の鋭さに和威は次の言葉が見つからずに、手持ちぶさたで煙草をポケットに探った。
 しかしさっき最後の一本を吸ってしまったことに気付き、仕方無くぬるくなったコ-ヒ-を一口、口に含んだ。
「ここにまだ居るよな?」
「え?はい。ここで待つ以外にいい方法が見つかりませんから」
「じゃ、これ持って。もしコ-ルバックしてきたらいけないから。貸したげる」
 携帯をひょいっと少年に渡した。
「え、でも...」
「ちょっと煙草買って来る。すぐ帰って来るけど、誰か迎えに来たら悪いがちょっとだけ待っててくれる?」
 そう云って少年の返事を待たずにカメラバックを持ってその場を離れた。

 買い物をして戻って来ると少年はベンチに腰掛け、ノ-トパソコンを開いていた。
「何してるの?まだ迎え、来ないんだね」
 買ってきたアイスコ-ヒ-を少年に差し出した。
「あ...有り難う御座います。時間が出来てしまったので学校の宿題を」
 頬を赤らめながら少年はコーヒーを一口飲んだ。
 和威はこの少年の顔をまじまじと見つめた。制服を着ているせいもあるかもしれないけれど...。
 背が高い以外は”モデルです。”と云われてもちょっと信じられないくらいの、地味でおとなしい雰囲気だった。
 それにメンズモデルは胸幅とかが無いとスーツとか着こなせない、でもこの少年はとても華奢に見えた。ドレス似合うかもしれないけど...。
 確かにファッションショ-にはいろいろなタイプのモデルを使う場合もあるから、一概に云えないかもしれない。だが、しかし...。
 和威の視線に気づいたのか、少年はちらりと和威の方を見た。
 何となく照れて赤面してしまい、焦ってその場を取り繕う様に少年に質問した。
「な、名前...」
「? なまえ?」
「名前なんて云うの?」
 少年はクスリと笑ってから自分の名を告げた。
「本田...、本田 潤一郎です」
「へ-本名?」
「はい、ステ-ジやパンフはJUNって書いてありますが、おじさん...あ、あの、お兄さんはカメラマンですか?」
「ああ、あれ?何でカメラマンって...俺のこと知ってるの?」
 ニッコリと微笑みながら潤一郎は、カメラバックを指した。
「それ、カメラバックですよね?」
「あ...そうだよな、普通判るよな、こんなごついバック持ってりゃ。佐伯 和威」
「え?」
「俺の名前」
「あ...佐伯さんですね」
「和威でいいよ。みんなそう呼ぶ。名字で呼ばれるのちょっと...、いや、俺もその方が呼ばれなれてるから返事しやすい」
「じゃ和威さんですね」
「ああ、潤一郎君は...」
「僕もJUNでいいです。知り合いの皆さんからは”JUN”って呼び捨てにされていますから」
 柔らかにほほえんでJUNは和威に言葉を返した。
「JUNは高校生?制服だよね着てるの?」
「ええ、私立明優学園高校の二年です」
 私立明優学園...全国で有数の進学校。学校の施設も整っていて入学金も月謝もものすごく高いので有名な学校だった。
 と云うことは、”金持ちのおぼっちゃまで頭もいい”ってことか。そう云われてみれば、モデルよりもそっちの方がイメ-ジにあう気がした。全国で有数の進学校に通っているお金持ちのおぼっちゃまの方が...。
「学校とモデルの両立って大変じゃない?学校だってアルバイトうるさくない?」
「ええ、まあ...」
 JUNは学校の事をあまり語りたくない様子でそれ以上言葉を続けなかった。
 何か別の話題を...。と少し考えたが、言葉をどう続けていいのか浮かばずに、結局そのまま会話は途切れてしまった。
 

 黙々と時間をどのくらい過ごしたのだろうか。
 ふと気づくと楽屋口辺りが先ほどよりざわめき出していた。
 ショーに出演するモデルがファンに愛嬌を振りまきながら楽屋に入り出していた。
 和威は隣に座るパソコンを開きながら手が止まっているJUNをチラリと見て、小さくため息を付いた後、かおるから預かった”報道”と書かれた腕章をつけ、カメラを取り出し、かおると約束した通りに、楽屋に入るモデルたちの様子を撮影し始めた。もちろん権利上の問題の無い程度にだったけれど...。
 楽屋に入って行くモデルたちは普通の服装をしていたが不思議と一目で”モデルと判る”、そんな雰囲気を持っていた。
 JUNは入場証がないと入れないと云っていたが、他のモデル達は入場証などなくても入り口スタッフに簡単な挨拶をしただけで楽屋に入って行った。
 確かに他のモデルたちとJUNをこうやって改めて比べるとやはりJUNにはモデルという雰囲気は全くないと思った。

 楽屋に入って行くモデルたちを何人か見送ると、しばらくして更に色めきだった声が周りから聞こえて来る。
 どうやら今日のショーでメインとも云われてる、モード界の最高峰に立つデザイナー”エドワーズ”のショーでメインモデルを勤める、スーパーモデル”キャスリーン”と、パリ、ミラノ、NYコレクションの常連メンズモデルの”アラン”が数人のシークレットサービスに囲まれて楽屋口へと向かって来ていた。
 ファインダー越しに見た二人...いや、アランの視線は、ちらりとこちらを...いや、JUNを見て、一瞬驚いたように目を見開らき、ゆっくりと不適な笑みを浮かべた様に見えたが、すぐに人混みに巻かれる様に二人のモデルは入り口に吸い込まれ見えなくなってしまった。
 

 ”パシャン。”と隣から音が聞こえてた。その音に和威が振り向くと、JUNのコーヒーが落ち地面に広がり黒いシミを造っていた。
「あ...。ごめんなさい」
 そう云ったJUNは少し青ざめた顔をして小刻みに震えている様に見えた。
「おい!顔色が悪く見えるけど...大丈夫?」
「あ...。いえ...。大丈夫です。気にしないでください」
 青ざめた顔のままJUNは力無く微笑んだ。
「暑気あたり?木陰で休んでるといい」
「あ、有り難う御座います...」
 JUNは本当に具合悪そうに青い顔をして目を伏せた。

 その後、何人ものモデルたちが楽屋に入って行く姿を写真に撮りながら見送り、気づくとその波も途絶えてしまっていた。
 写真を撮りながらも和威は、表情もなくただぼーっと楽屋に入って行くモデルたちを見送るJUNの姿が気になっていた。先程は本当に青い顔をして震えていた。多分...ただ待つしか出来ないJUN...。そんな様子を横目で見ながら和威は小さくため息をついた。

「きゃー、やだ和威先生じゃない!!」
 いきなり背後から元気な甲高い女性の叫び声が聞こえてくる。
 その声に驚き、声の方向を和威は顔を向けると何ヶ月か前にグラビアを撮影した”エリカ”がこちらに手を振って立っていた。
 エリカは、20歳のアイドルモデルとしてファッション誌だけではなく、TVのアシスタントなどもやっていて、今風の格好をした、今風のキャラクターを売りにしているモデルだった。
「どうしたんですかー、今日撮影ですか?」
 和威は、まだ青ざめた顔のまま儚げに微笑んだJUNをチラリと見てからエリカに返答をした。
「エリカこそ、どうしたんだい」
 JUNと対象的に太陽を浴びて元気いっぱいのエリカはニコリと笑った。
「え?このショーにでるんでーす。えっへん」
「え?もう遅刻じゃないの?」
 なん十分か前にかなり有名なモデルが慌てるようにして楽屋に入ってからその後は楽屋入りするモデルの姿を見かけていなかった。
「前のお仕事おしちゃって、まねーじゃーさんからは、連絡を入れてもらってるんでー、大丈夫でーす。出番も結構後の方だし」
 エリカのさも当然という態度に呆れながら、和威はJUNを楽屋の中に入れる方法を思いついた。そしてニヤリと笑いながらJUNに訪ねた。
「JUN、もし楽屋に入れたら俺に夕飯奢ってくれる?」
「は? それはいいですが...」
 状況を把握できずにいるJUNは戸惑いながら返答した。
「ま、一応、ギヴ アンド テイクにしような。JUNは楽屋に入る、俺はJUNに飯を奢ってもらう。このショーのバイト代からでいいから」
 軽くウィンクをした和威にJUNは少し頬を赤らめ返事が出来なかった。
「あ、詳細は別途連絡。あ、俺の連絡先。JUNのは後で教えて」
「...はあ...」
 ジーンズのポケットに入れてある財布から名刺を取り出し、JUNに渡した。
「JUN、連絡先ここね。で、エリカお願いがあるんだけど...」
 エリカはきょとんとした顔をして二人を交互に見つめていた。

 エリカと別れて10分後。
 制服のネクタイをはずし、ワイシャツの裾をだらしなく出し、眼鏡をはずして濃いめの和威のサングラスを掛け、自分の大きめのデイバックと和威のカメラバックを持ったJUNと和威が楽屋口へ向かった。
 きちんと制服を着ている時は気づかなかったが、着やせして見えるのか、JUNの体躯はきちんと鍛えているようで肩や腕には引き締まってしなやかな筋肉が重い荷物を難なく担ぎ上げていた。それに...眼鏡を外すと、思ったよりも彫りの深く、形のいい杏型の瞳が印象的だ。と和威は思った。

 楽屋口の前にいるスタッフに和威は愛想良く、かおるの名刺を差し出た。
「ファッション雑誌イブの記者をしてます星野 かおると云います。モデルのエリカさんに取材のアポを取っているのですが...」
 係員は訝しげに一旦二人を見比べてから、先ほどエリカが楽屋に入る時に渡したメモを見て、笑顔で答えた。
「あ、伺ってます。この札をつけて下さい」
 と二枚のプレス用入場証を和威に渡し、それを受け取ると和威はJUNの方を見てニヤリと笑った。JUNはかなり緊張していたのかサングラス越しにも伺える程の引きつった笑顔を和威に返し、さあ楽屋のドアを開けようと思った時だった。あの男が飛び出してきたのは...。

 バタン!!
 ドアの前に立っていた和威が慌ててドアから飛び退くくらいの勢いで、物凄い大きな音を立てて楽屋口のドアが開き、一人のスーツ姿の男が飛び出して来た。
 そのスーツ姿の男は、辺りを見渡し、JUNに気づくと大声で叫んだ。
「JUN!」
「あ...澤野さん」
 JUNは、サングラスを外して驚いた表情で澤野を見つめた。澤野は息を切らしてJUNの所まで来た。
「事務所の留守番電話聞いてびっくりしたんだ。ずっと君の携帯は連絡が付かないし、いつも30分前には楽屋入りする君が来ないから...、心配してたんだ」
「ご迷惑をおかけしました」
 JUNはすまなそうに澤野に頭を下げた。
「あっと、早く来て!”エドワーズ”も心配しているんだ。もうリハーサル始まってるし...」
 エドワーズ?あのモード界の最高峰と云われているデザイナーの?和威は少し驚いた。
 澤野がJUNの手を持って慌てて楽屋に引っ張って行こうとし、JUNは慌てて和威に叫んだ。
「あ、和威さん有り難う御座いました。連絡!必ずします!!」
 そして、澤野に押される様にしてJUNは楽屋の中に消えていってしまった。
 一人取り残され、苦笑しながら頭をかき独り言ちた。
「なんだかなー」

 JUNが楽屋に消えてから”取材”という名目で、楽屋に入って若干時間をつぶし、かおるのいる所に和威が戻った頃には、既に会場30分前で、一人でずっと待っていたかおるには、さんざん嫌みを云われた。
 しかし、そのかおるの小言も全く耳に入らずに頭ではずっとJUNのことを考えていた。
「なぁ、かおる、”JUN”ってモデル知ってる?」
 まだ小言が云い足りないと云う顔でかおるが渋々返答した。
「”JUN”? 聞いた事無いけど...。日本人?どのデザイナーのモデル?」
 澤口が云っていた”エドワーズも心配している”その言葉を思い出した。
「日本人...そう、多分”エドワーズ”...」
 少し驚いたようにかおるは目を見開き、その後引きつった顔のまま笑った。
「!!モデル選ぶのに物凄くうるさいって有名なのよ”エドワーズ”って。でも”エドワーズ”ならすぐ判るんじゃない。東洋人モデル...日本人モデルってここずっと使ってないから」

 JUN...。
 和威は雲一つない青空を仰ぎ、額の汗を腕で拭った。
 

 入場が始まり、朝早くから並んだ和威の努力も報われ、かおるはなんの障害もなくショーを見られる所から、和威も写真撮影に最高の場所でカメラを設置した。

 ショーは日本人の有名デザイナーから始まり、海外有名デザイナーと続き、そして残すところは、ファッション界の最高峰エドワーズのショーのみとなった。今までのどのデザイナーにもJUNらしきモデルは出て来ていなかった。

 照明が全て落とされ、一本のスポットライトが静かに流れるヴァイオリンの演奏者を照らしている。優しいヴァイオリンソロがワンフレーズ終わったところで、バックにオーケストラの音が入り、ヴァイオリンの演奏曲も優しく奏でた曲から情熱的な曲に変わった瞬間、華やかに照明がつき、ステージの上で用意していたらしいエドワーズブランドを身にまとったモデルたちが一斉に動き出した。
 ”SinS”のショーの最後を飾る、”エドワーズ”のショーの始まりだった。
 モデルは一人ずつ順番に動きだしステージを歩き出す。和威はモデルの顔を一人ずつレンズ越しに確認しながらシャッターを切った。

「!!」
 瞬間息を飲んだ...。
 一色 薔子?!
 目を疑い、手が震える。ステージの中央のモデルは”一色 薔子”にそっくりだった。客席からもざわめきが聞こえた。多分みんな同じ様に思っているのだろうか。
 しかし当然”一色 薔子”では無い。彼女は何年も前にステージモデルを引退していたし、第一、ステ-ジの上にいるモデルはせいぜい15~25歳程度に見えた。
 エドワーズブランドは比較的中性的なデザインが多いため、モデル達も時々男性なのか女性なのかも解らないことがある。しかし、その”一色 薔子”に似たモデルは女性モデルの様な上品さと華やかさに、ギリシアの大理石像彫刻の様な中性的なイメージがあった。女性モデル特有のキャットウォークとは少し違うが、優しく風が踊る様な軽やかな歩は、一目見たらもう目が離せなくなる。
 海外有名モデルと並んでも見劣りがしないどころか、それ以上の魅力と人を引きつける何かを持っていた。あのキャスリーンですらこのモデルの引き立て役になってしまっていた。

 そして、そのモデルに見とれていると、そのモデルが和威の方を見て微かに微笑んだ様に見えたのだ...。和威は驚きで一瞬シャッターを押す手が止まってしまった。
 まさか...。
 脳裏に一人の少年の姿が浮かんだ。JUN!?まさかね。

 近くでプレスたちの話声が聞こえたのはそんな時だった。
「彼だろ...。エドワーズの秘蔵っ子モデル、”JUN”って。次の春のパリコレじゃ、エドワーズブランドのメインやるんだろう?日本では、お披露目ステージか...」
「エドワーズが自分のデザインの原点と称しているそうじゃないか?”JUN”ってモデルを」
「しかし今までよく話題にのぼらなかったな」
「事務所で規制してるらしいぜ。取材」

 JUN...。
 驚きと心の中に小さな予感をその時に感じた。

 ショーは順調に進み、フィナーレまでJUNはメインのモデルとして扱われていた。
 エンディングに出演モデルとエドワーズが登場し、エドワーズのすぐ横にはフィナーレの服を着たJUNの姿があった。JUNは、和威に柔らかな笑顔を見せた。

 この時、この”JUN”と云う少年との出会いが、今後の自分の人生を変えて行く...そんな予感を感じていた。
 JUN...。
 ホンの一時間前まで一緒にいた地味な優等生風の少年。
 そして今、目の前のステージで微笑んでいる少年は...。
 
 


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