遅咲きのたんぽぽ  (第二話)
 第二話

 ”グリーン・エドワーズ”現在のフランスを代表するデザイナー。
 子供の頃からファッション界にあこがれていた彼は、15歳の時にパリの有名メゾンに勤め、25歳で独立した。その彼のデザインが注目されるきっかけになったのは、彼が29歳の時、モデル”一色 薔子”がエドワーズのモデルとして始めて参加した小さなショーだった。
 小さなショーは、無名なデザイナーにデ・ドール(金の指ぬき賞)と云う賞賛を与え、世界中がそのデザイナーとそのモデルの名を知るところとなった。
 その時エドワーズは”ショウコに出会わなければこの賞賛はあり得なかっただろう”とそうコメントしている。
 その後、”一色 薔子”のモデル引退。
 不安を感じられた”エドワーズブランド”に今では欠く事の出来ない一人のモデルが登場した。名前は”JUN”それ以外は全く発表されていない。
 判っている事は、容姿は”一色 薔子”に似ている事とエドワーズの専属モデルでエドワーズが直接依頼した仕事、ステージの仕事以外は受けない事...。
 ”JUN”の初ステージは4年前、初ステージから今までそう多くのステージに立っているわけではなかったが、ステージ上では、有名女性モデルを圧倒する程の魅力があった。
 暖かくとても柔らかい雰囲気、ギリシャ彫刻を思わせる優美さ、彫りが深く整った小さな顔、身長185cm、一見華奢に見えるが均整がとれたしなやかな筋肉、まっすぐにすらりと伸びた長い手足、透ける様な白い肌、柔らかく癖のない黒髪、そしてすべてを見透かす様な光彩、杏(アーモンド)型のパッチリとした瞳。
 モデルとして現在の”エドワーズ”のコレクションには欠く事の出来ない存在...。

 8月最後の週の日曜日に東京で行われるファッションショー”SinS(Summer in Summer)”。このショー話と出演依頼をエドワーズから聞かされたのはJUNが7月のパリメンズコレクションが終わって日本に帰国する前日の夜にエドワーズと夕飯をとっている時だった。
『JUN、日本のショーに出てみないか?』
 エドワーズにそう依頼され即答で出演依頼を断った。
 そのショーの日程が、高校の課外授業として軽井沢で一週間行われる”サマースクール”と丁度重なっていたからだった。
 学校は単位制なので、出席日数は他の学校と比べてうるさくはないが、仕事(ショー)で学校を欠席することも多いために、逆に補習を目的とした課外授業に積極的に参加したかった。
 しかし...本音は日本でショーに...、否、モデルの仕事をしたくなかった。今までも、日本での仕事だけは断ってきた。
 けれど、最終的には”エドワーズからのたっての頼み”を断りきれずにサマースクール中日(なかび)の日曜日に東京へ戻ってショーに出演する事になってしまった...。
 やりたくないと云う気分は伝わるのだろうか。
 ショーの詳しいタイムスケジュールがサマースクール前に決まらずに、詳細をサマースクール中に受ける約束でサマースクール向かった。しかし不慮の事故でサマースクール初日に携帯電話の電池不良を起こし切れてしまい、所属している事務所やマネージャーと連絡が上手く付けられずに、ショ−の詳細が判らないままに会場に赴くはめになってしまった。
 ショー当日、やっとの思いで東京に戻っては来たものの、更に運が悪い事は続くもので、学制服姿だったせいか、モデルに全く見えないこの地味で目立たない容姿のせいか、今まで日本での仕事を断り続けてきた報いか、...Etc...(上げたら多分きりがないんだと思う...)、で、ショ−のスタッフに参加モデルだと云っても信じてはもらえずに楽屋に入れなかった。
 そんな時だった、カメラマン”佐伯 和威さん”に出会ったのは...。
 最初はそのショーで出演するモデルが外で一服しているのかと思った。そう思えるくらい和威さんはかっこよかった。
 濃いめのブルージーンズ、ラフに着た薄い水色のシャツから出ている部分は、健康的な褐色の肌で服を着ていても判る胸幅、無駄のなく鍛えられてた筋肉。肩より少し長い黒髪を一本に結んで、長身で精悍で整った顔立ち。
 男の僕でも見ほれてしまうほど、とてもかっこよくて...。
 そして優しい...、見ず知らずの僕を心配して、相談にのってくれて...。
 和威さんの協力がなかったら多分ショーには、出られなかったと思う。
 この日仕事に始めて遅刻をし、リハーサルまですっぽかしてしまったのは物凄く悔やまれたけど、でも不謹慎だけれど、和威さんに出会った事がずっと心から離れなかった。

『JUNお疲れさま。最高のショーだったよ』
 上機嫌でショーが終った後エドワーズは、JUNの頬にキスをしフランス語で激励をした。
 エドワーズやスタッフとの会話は通訳を使いたくなかった。エドワーズからのプロとしてモデルの依頼を受けた時にJUNが決めた事だった。
 ”仕事で言葉が解らず困るのは自分。”そう思ってフランス語や英語を必死になって覚え、今では何とか話し、書き、読める様になった。
『有り難う御座います。けれど遅刻をしてリハーサルに参加出来ず、ご迷惑をお掛けしました』
 恐縮しているJUNと、正反対に機嫌良くエドワーズが笑った。
『何を他人行儀な事を云っているんだいJUN。ショーは君のおかげで大成功だ。だから気に病まないでほしい。それに、あれはここのスタッフの過失だ。君をモデルと信じず、楽屋に入れてくれないどころか私にも取り次がなかった』
『そう云って頂けると気が晴れます』
 エドワーズの優しい言葉にJUNはにっこりと微笑んだ。
『そう、その笑顔だよ。それよりもJUN、フランスへ来てくれないかい?僕の最高のモデルとして君を招きたいんだ。君がいると良いデザインが次から次へと浮かんで来るんだ。JUNお願いだ』
 エドワーズは何度もそう云ってフランスに来いと誘ってくれる。フランスは良い国だし、夢を叶えるのはフランスでも出来る。けれど今、日本を離れたくない。根拠はないが、夢を叶えるために日本で勉強をしたかった。
 戸惑って返答を躊躇しているとエドワーズはにこやかにほほえみ掛けてくれた。
『次に会う時まで、考えておいてくれ。いい返事を期待しているよ』

 昼間の日差しは、九月に入ったにもかかわらずいっこうに衰えを見せず、都心の中でも比較的古い住宅が建ち並ぶこの辺でも、蝉の声は途切れる様子をみせなかった。
 そこにある、かなり大きめの旧日本家屋が多く建ち並ぶ中にあるかつては大企業の御曹司が住んでいたと云う”白い洋館”別名お化け屋敷、なんでも御曹司は若くして亡くなりそのままその家族が手入れだけして誰も住まずにいた家を売り、友人を介して佐伯 和威は、3年前に破格で手に入れ今では仕事場兼自宅にしていた。元御曹司が住んでいた家は、小さなパーティが開けるくらいのサンルームや庭、内装も上品でちょっとしたスタジオよりも撮影に使え仕事にも重宝していた。
 その来客用や写真スタジオとしても使っているサンルームで星野 かおるがクーラーを強めにかけながら、先日のファッションショーで和威の撮影した写真やポジ、ネガにメモを付けながら机一面に散らかしていた。
 和威は、かおるの好きな濃いコーヒーに冷たい牛乳を注いだカフェラテもどきと、自分用のブラックのホットコーヒーを持って部屋に入り、飲み物をサイドテーブルに置いた。

「やっぱりJUN君よね。この写真見て、ホントどんなモデルよりもきれいなんだもの。スーパーモデルのキャスリーンも霞んで見えるじゃない。ショーの後ファッション各誌、それに雑誌やTVなんかでも”一色 薔子の再来!”なんて大騒ぎされてるし」
 満足そうにうなづきながら、かおるは更に写真を散らかして行く。
 それを順番に片づけながら和威は、”ショーで出会った少年、JUN”を思い出していた。

 有名進学校の高校生。
 制服に分厚い縁無しの眼鏡を掛け、優等生の雰囲気を持つ地味な少年。
 携帯の電池が切れてしまってマネージャーや事務所と連絡が取れず途方に暮れ、俺の携帯をすまなそうに借りに来たあの表情...。
 楽屋に入るのは、モデルは普通顔パスのはずだけど、スタッフにモデルだと信じてもらえずに入れてもらえないほど、普段は地味なエドワーズの秘蔵っ子モデル。
 しかし、ステージへ一旦上げれば全く別人で...。
 見た目は、かつての世界を代表するトップモデルと云われた”一色 薔子”によく似た美しさと華やかさ、そして彼自身が持ち合わせている柔らかさと暖かさは、目が離せなかった。
 あのステージを見た瞬間、自分の中で蟠っている何かがかき消せる、そんな気がしていた。

「どうしたの和威?ニヤついて。あー、JUN君の事でも考えていたんでしょ」
 ”へヘっ”といやらしい笑いをしてこちらを見る。その視線にかおるの性格を良く知り得ている和威はかおるが考えている事が手に取るように解った。
 きっとJUNがらみだ...。
 ショーが終わり後で考えると失敗だった事があった。
 それは、ショーの始まる前にかおるに”JUN”を知ってるかと質問した。
 かおるは、JUNとどう云う関係なのかとショーが終わった後にきつく問いつめ、俺は楽屋の前であった事やJUNと話した内容まですべてを説明する羽目になってしまった。

「そー云えば、かーずーいー先生。お願いがあるんですが」
 通りのよいソプラノの声が猫なで声に変わり、和威の背筋に悪寒が走る。
「いやだ!!」
 かおるが話し始める前に先に否定した。
「何でー。まだ何にも話してないじゃん」
「お前の”お願い”はろくな事がないだろ」
「そんな事有った?あったなら云ってみてよ!」
 思いっきり拗ねたようにかおるは云った。
「じゃあ、”川村 志保子”のことはどうなんだ!!」
 かおるの”お願い”は今まで山ほど聞いたような気がした。しかしその中でも一番腹が立ったのは”川村 志保子”の件だった。
「川村 志保子って...。ちょっと”写真集に使う写真撮って”って頼んだだけじゃん。知ってる?彼女ってば、ゴールデン枠のドラマで主役やってる、ちょー売れっこ人気の美少女高校生女優なのよ。何が気に入らなかったの?かわいい女の子じゃん」
 ”撮影の時にあった事は知りません”と云うかおるの口調に、呆れながら答えた。
「その分性格でお釣りがくるって判っていて云ってるだろお前。あの小娘、我が儘ですんげー自分勝手で。お前から頼まれたから...、お前が困ってるって云うから撮影、受けはしたけど、人を奴隷みたいに扱いやがって」
 カッカッカとかおるは豪快に笑った。
「根は深いわねー。でも、あんたがそんなに女性を嫌うなんて珍しいじゃん...」
 話しているだけで怒りが増してきた。その不機嫌な気分が、益々荒立った言葉になる。
「ああ、女好きの俺が云ってるんだ、ほんとに写真集の話が流れてくれてよかったよ」
「そう云えば知ってる?川村 志保子の写真集の話、再浮上してるらしいよ。噂だけど川村側は、あんたの写真で写真集作りたいって云ってるらしい。”川村 志保子”のご指名って」
 楽しそうに云うかおると反対に、ぞっとしながら頭を振った。
「しらんしらん。絶対!受けないぞーそんな話。お前も二度と俺に”お願い”するなよ!!」
 ふーん...。そう云ってかおるは、すました顔で冷たいカフェラテを口に運んだ。
「...でね、お願いって云うのはね」
「お前、人の話全然聞いてないね...」
 小さくため息をつき和威は諦めて”どうぞ”と右手の平を返した。
「お願いって、JUNくんに取材アポ取ってほしいのよ」
「俺、少し話しただけでそんな親しい訳じゃないから無理じゃない?」
「何云ってるの!食事の約束した仲なんでしょ、これで親しくないとは云わせないわよ」
「おいおい、食事の話は、きちんとした約束じゃないし。結局、俺は何もしてないから向こうだって忘れてるよ。確かに俺の電話番号は渡したけど、こっちは向こうの連絡先聞いてないし。それよか、有名ファッション雑誌記者のお前が直接頼めよ」
「それがだめなのよ」
 かおるは右手を前に振った。
「あそこの事務所、ことにJUN君に関しては、ものすごくセキュリティ堅くってさ。エドワーズ専属ステージモデルでショー参加履歴以外は全く公表しないし、素性は未発表。ショーの後うち以外にも、取材や出演依頼がJUN君宛に殺到したみたいなんだけど、全部断ったらしいのよ」
「なんでまた」
「判らないから興味あるんじゃない。この謎の美少年モデルに」
 かおるは写真を持ってにっと笑う。
「おまえなあ...」
 大きなため息をついて和威は頭を抱えた。
「おねがい。かーずーい」
 

「...やっぱりだめですね。JUNが”うん”と云わないんですよ」
 JUNのマネージャーの澤野は、JUNの所属しているプロダクションD社長室で、社長の愛田に向かって渋い顔をしながら報告をして行く。
「取材やTV出演も、全部断ってきたか...」
 あのショーの後、日本人でモード界の最高峰のモデルをし、容姿も申し分のないJUNに対しての取材依頼や質問、出演依頼が事務所に押し寄せた。しかし、その話を聞いてもJUNは『私はエドワーズのショー以外の仕事をする気はありません』ときっぱり澤野に断ったのだった。
 なんでJUNが断ってきたか事情を知っている澤野はJUNへの無理強いをさけ、その旨を事務所の社長である愛田に報告したのでった。
「ええ、JUNは断固としてエドワーズのショー以外の仕事受けませんからね。エドワーズのショーだって、エドワーズが知り合いでなかったら受けていなかったでしょうから」
「本当にもったいない。ショー一回だけでもこれだけ話題になるのに」
「日本中のスターを目指す人間がほしがっても手に入れられないモノをあれだけ持っているんですけどね。”コネ”も”才能”も”容姿”も”資質”も”話題性”も...」
 二人は小さくため息をついていた。

 都心からかなり離れ、緑が多く環境はよいが”通学には不便じゃないか”そうと思われるところに、JUNの通う私立明優学園高等学校はあった。
 明優学園というのは、学校に詳しくない者でも名前を聞けば知っているほど、有名な高校だった。この高校は国立T大への合格者の多さだけではなく、スポーツや芸術面でも多くの有名人を出していた。
 遠くから聞こえるチャイムの音に、うとうとしていたが目を開けると、帰途につく生徒の姿が少しずつ見え始めていた。
 もうすぐ4時30分か...。
 和威は大きな欠伸をし、狭い車内で小さく伸びをした。
 かおるの押しの強さに惨敗し、JUNと話をするためにJUNが通っている学校までは来てみたものの、”気が引ける”と云うのが本音だった。
 落ち着かない気分のまま、生徒の帰途をしばらく見送りながら煙草に火をつけた。
 そして、下校する生徒が途切れだした頃、見覚えのある姿が目に飛び込んできた。
 地味で目立たなく、他の学生の中に入ったら気づかなかったかもしれないが、あの縁なしの分厚い眼鏡に整髪料を使わずに洗ったまま乾かした様な髪型。ただ唯一の救いは他の生徒より上背が有る。
 自分でも気づかずに和威はつい顔がほころんでしまった。JUN...。

「よう!」
 こちらに気づきJUNは形の良い杏型の目をいっぱいに見開いた。
「か、和威さん?」
 煙草をくわえながら自分の車の方に手招きすると、JUNは慌てて車の方にやって来た。
「あの時は...有り難う御座いました。あのショーの後に、何度か連絡をしたんですが、いつも携帯、圏外通知になってしまっていて」
「え?最近ちょっと忙しくて、そーいや何処に置いたっけかな?すまなかったね」
「いえ、2、3回連絡を入れただけですから。でも良かったです、お会い出来て。今日はどうしたんですか?こんなところで...」
「お?いや?少し時間ある?よかったら家まで送ってくよ」
「え?」
「ナンパ」
「?」
 不思議そうな顔をしてJUNは小首を傾げた。
「JUNをナンパしに来たの」
 車のロックを外してドアを開け和威は照れながら、左手でドーゾとJUNを招き入れた。そしてJUNが席に着き、ドアを閉めたのを確認してから車の準備をしてから、少し思い詰めた様にぼそっとつぶやいてみた。
「やっぱ...、”ナンパ”って死語だよね...」
「え?」
「いや君らの年じゃ使わないよな、ハハ...」
 益々落ち込んで頭を抱えるとJUNは慌てて否定した。
「そ、そんなことないですよ。あ、あまり使わなくなったかもしれないですが、ほらこうやって生きている和威さんが使ってるし...」
 そのJUNのそぶりに耐えられなくなって、思いっきり吹き出してしまった。
「う・そ。君って反応かわいいね」
 頬をプッっと膨らませJUNはすねる。
「ひどい。真剣に心配したのに!!からかったんですね」
 和威は笑いながら車を発進させた。
「飯、行かない?」
「え」
「そろそろ5時だし、お腹空かない?」
「あ、いえ。あの、では、もし和威さんがよかったら...、この前の約束、果たさせて下さい」
「へ?約束?」
「楽屋に入れる様に協力して下さった時、上手く楽屋に入れたら夕飯を和威さんに奢るって云う」
「あ...。あれジョークだよ。もしかして気にしてくれたのかな?うっれしいーなー。でも俺何にもしてないしー、楽屋に入れたのは君のマネージャーさんのおかげだろ?」
「いえ、でも和威さんの協力がなかったらきっとあの時間に耐えられずに出演をキャンセルしていたかもしれません...」
 自分の冗談をまじめに気にしていたこの少年に苦笑しながら車を走らせた。
 都心に向かう高速に乗ってからJUNに質問した。
「こっちの方向で大丈夫かな?勝手に俺の行きつけの店の方へ向かってるんだけど...」
「はい、大丈夫です。」
「家どこ?」
「世田谷の成城です。」
「そっか了解。帰り、きちんと送るから」

 学校近くから高速に乗って十数分くらい行ったところに、撮影でよく使う緑に囲まれたオープンテラスの小さなフレンチレストランはあった。
 店の小さな駐車場に車を置き、店内に入ると、ディナーの準備中らしく客はまだいなかった。しかし、常連のよしみで頼み込み、簡単な飲み物とデザートを用意してもらう様にお願いした。店を仕切っているメートル(給仕)はいつもの優しい笑顔でそれに答えてくれた。
 そして和威は、JUNを”この店で一番気持ちのいい席”へ案内した。
 この店は木材を多く使っていて、店内が素朴な感じのするとても落ち着く雰囲気だが、中でもオープンテラスで店を取り囲む木々や緑の香りに一番近い席がお気に入りの席だった。
 二人が席に落ち着くのを確認すると丁度いいタイミングでメートルがオーダーを取りに来た。
 JUNはホットミルクティを頼み、和威はホットコーヒーとチーズケーキを2つ頼んだ。
 オーダーしたものは待たされずに出てきて、和威は自慢げにJUNにケーキを薦めた。
「ここの結構いけるんだぜ。チーズケーキ、低カロリーのチーズ使ってるから太る心配ない。彼女なんかに勧めるのにグーなんだ」
 JUNは和威の様子に笑顔で答え、ケーキをおいしそうに食べた。
 こう見ると何気ないJUNの仕草は上品でとても絵になる。そう感じていた...。もちろん普通の高校生を基準にしてだけれど...。
「ね、時間ほんとに大丈夫だった?」
「ええ、その、特に塾や家庭教師とかないですし...」
「へー、でもあの学校じゃ大変じゃないの?成績とか」
「まあ、何とかついて行ってます」
 そう云って照れながらJUNは優しく笑った。
「今日...学校訪ねたのは、実は仕事の依頼の話なんだ」
「お仕事の話ですか?」
 いくらかおるに”判った、なんとか訊くだけは訊いてやる。”って云って出てきたものの...、云い出しにくかった。何となくだけれど、まるでショーでの事でJUNを利用している様で...。それが本音だった。
 そこで、JUNに渡そうと持ってきた物が有るのを思い出し、鞄からA4の茶封筒を取り出した。
「あ、先にこれ...、この前のショーの写真。よかったら...。俺が撮ったんだ」
 一番上の写真だけを袋からだしJUNに渡した。
「この写真、雑誌とかには使えないけどね。俺、一番気に入ってるんだ。すごく良い顔してるし」
 その写真は、ショーの途中で一瞬自分に笑い掛けたように見えた時の写真だった。
「あ、気づいてくれてたんですね。これ、和威さんを見つけて嬉しくてつい顔がほころんでしまったんです」
 ”本トはそんなことしたらいけないんですけどね”とJUNは恥ずかしそうにティーカップをもてあそびながら云った。
「客として知っている人のいたショーって始めてで、つい顔が綻んでしまったんです。この写真、生まれてから写したどの写真よりうれしいです。本当に有り難う御座いましす。大切にします」
 大事そうにJUNは鞄に封筒をしまい、そして顔を上げてこちらをまっすぐに見た。
「あの、...それで、その仕事のお話って...何ですか?」
 照れ隠しに頭をかきながら笑って和威は云った。
「いや、実はさ、俺の友達でイブって雑誌のプレスやってるのがいて...」
「イブって、コレクションの記事を掲載しているファッション雑誌ですよね。あ、あの時の名刺の方ですか?」
 JUNを楽屋に入れようとして考えた作戦で使った名刺”星野 かおる”本人は一応女性、何せ男勝りで(俺より強い)だが、名前は男でも女でも使えるので時々”ずる”をして使わせてもらっていた。
「そう。で、彼女...、星野 かおるって友人なんだけど、そいつにどうしてもJUNのインタビューをしたいって云われてさ...」
 一瞬下を向きJUNは、すまなそうで顔で上げた。
「ごめんなさい。それはお受け出来ません。和威さんには先日やこの写真のお礼をしたいと思うのですが、ショー以外の...その、”芸能の活動”をするつもりが、エドワーズのショー以外は受けるつもりは無いんです」
 余りにきっぱり云ってのけたJUNに和威は驚いてしまった。
 ファッションモデルには確かにファッションモデルのみを仕事と考えている人間は少なくはないが、それでも多くのマスメディアには登場していた。しかしJUNはショー以外の仕事をしないと、それもエドワーズのショーを限定で...。
「え? 何で?もったいないじゃないか、君の知名度を上げるチャンスなのに...」
「答えは簡単です。和威さん、僕って、”芸能人...モデル”に見えます?」
 返答に和威は困ってしまった。確かに始めてあったとき、否今でもモデルだと云われても信じないかもしれなかった。その様子を見てJUNがくすりと笑ってから答えた。
「和威さんもご存じのように、僕はモデルと云っても誰も信じてくれないんです。あのショーの時も、普通モデルは入場証無しで楽屋に入れます。けれど、僕はモデルだと証明するモノが無いとああやって止められてしまう。和威さんだって最初そう思ったんじゃないですか?そんな僕のインタビューをしておもしろいと思いますか?」
「そ、それは...。でも」
 確かに初めてJUNに会った時、モデルだと云われても信じられなかった。
「そう云う事なんです。今、こうして和威さんと話している僕は、何の面白みのないただの普通の高校生なんです」
「でも、もっと色々と出演したりすれば...、違うんじゃないかな?スチールとかも見ないし。世界で活躍する日本人のモデルって云うだけで日本のマスコミって飛びつかない?そう云えばこの前のショーまで名前も聞いた事無かったし。事務所の方針?謎のモデルって」
「日本のショーに出たのはあれが初めてです。今まで...パリ以外の...日本での仕事は断ってましたから」
 俯いたまま首を横に振った。
「...いやなんです。エドワーズのショー以外のそう云う仕事って...、これ以上”芸能界”に関わりたくないんです!!」
 俯いていた頭を振り上げるように正面を見て、きっぱりとJUNは云いきった。
 その態度とあまりのはっきりとした物云いに和威は驚くほどだった。和威の驚いた顔を見て、JUNは狼狽えながら言葉を続けた。
「あ、いえ、あの、実は...、ちょっと悩んでるんです。自分の進路だとか...その...」
 どう話していいのか戸惑いJUNは目線だけを横にはずした。
「...。モデルの仕事、嫌いなの?」
「それは!それは、自分でやるって決めたので、いえ、嫌ではありません」
「じゃあ...」
「ただ、成り行きに任せているようで...。学校行って、勉強して、モデルのお仕事頂いてそれをこなして。何か...確かに”芸能人”になるのだけは絶対に嫌なんです。でも、どうしていいのか解らない。モデルをやると周りの人間は喜んでくれますし。...いえ、モデルじゃなくて他に夢があるんです。けれど今の自分だと叶える自信も勇気もない」
「...JUNの夢って、何?」
「あ、いえ、それは...今は。けれど今のままでは全部中途半端なままだから...」
 息を吐き和威を見つめ小さく首を振った。
「変ですよね、この前会ったばかりの和威さんにこんな事をお話して...」
「いや、いいけど。ご両親はなんて云ってるの?モデルの事とか、その将来の事とか」
「父も母も働いていて、二人共忙しくて...、年に数度しか会わないんです。子供の頃から自分の道は、後悔しない様に自分で考えて進みなさい。と、云われていたので、モデルを始めると云った時も、高校を選んだ時も、何も云われませんでした...」
 そう云って静かに紅茶を口に含んだ。
 JUNの話が、和威の頭の中で引っかかっている何かとシンクロする感覚に気づいた。
 今やってる事が、本当に自分のやりたかった事だったのか。一色 薔子と出会い、何故カメラマンになると決めたのか...。

「俺、正しいかどうかは解らないし、ちょっとこっちに都合のいい話かもしれないんだけどさ。今回のかおる...俺の友人からの取材とか、俺の写真のモデルやってみないかい?」
「え?」
「いや、JUNがよかったらだけどさ。JUNの時間の空く時でいいから、インタビューと写真のモデルやって見ないかい?発表とかは、別途相談と云う事にして」
「でも...」
「試しにやってみて、それでも嫌だったら、ほら、他の方法とか、別の進路とかを考えれば良いんじゃないかな?この前のショーしか見てないけど、マジでショーのJUNっていい顔してたし、最高だったから。なんか今のままじゃもったいないと思う。別の進路に進むにしても、いい区切りになるんじゃないかな。ホント調子良い話かもしれないけど」
「はあ...」
「じゃ、こう云うのどう?ギブ アンド テイク。君は進路を考える、俺は協力する。俺は君の写真を撮る、君は協力する。って、どう?」
 JUNはクスリと笑った。
「いつもそんな感じで写真撮ってるんですか?」
「あ?そうかな?こうやると女の子って脱ぎやすいんだぜ」
 JUNが驚いた顔をした。和威は慌てて訂正した。
「いや、俺は、普段の君が撮りたいかなって...。JUNって良い顔するんだよ見てると」
 JUNは吹き出した。
「なんか、口説き文句みたいですね」
「う...じゃ口説かれてみない?別の意味だけどさ。写真ってその人の心を写せるんだよ。考えてる事とか、思ってる事とか全部写真は写せるのさ。カメラの前じゃ、人間は嘘つけないんだよ」
「まさか」
「ホントだよ」
「なんかそれって、生きている証拠って感じですごいですね」
「え?」
 JUNの言葉が心にぐっと来た。頭の中のバラバラになっているパズルのピースが、一枚はまった様なそんな気がした。
「あ...何かそう云われたら断れませんよね...。了解しました。和威さんに負けました」
 照れた様に頬を紅潮させながらにっこりと笑った。良い表情だった。そしてカメラを出していなかった事をとても後悔した。
 そのままJUNとカメラマンになったきっかけの話やいろいろな話をしながらその店で夕飯を済ませ、食事は約束通りJUNに奢ってもらい、和威は約束通りJUNの自宅の近くまで送った。
 

 その後、雑々しく時間が過ぎてしまい、気づくと一緒に食事をした日からすでに一週間が経ってしまっていた。
 今日、学校がはねたらJUNがここに来る約束になっていた。食事をした日から数度電話では話をした。
 JUNは、エドワーズにパリに来る様に誘われている事、エドワーズとの専属契約の継続をやめ、モデルもやめようと思っている事を話してくれた。それを黙って聞き、最後にJUNに頑張れとエールを送った。
 

 不意に玄関のドアフォンがなった。
「はい」
「あ、佐伯先生でいらっしゃますか?2時にお約束をしていた、大山出版の片岡です」
「ドア開いてますからどうぞ」
 そう云い玄関に向かった。
 話をするのも嫌っていた”川村 志保子の写真集”の件で、写真集出版元の大山出版の担当片岡と会う約束をしていた。
 玄関で片岡を迎えると、恐縮して頭を深々と下げながら土産を差し出した。土産は多分ご機嫌取り用の高価な洋酒だと思った。
 普段撮影の仕事は決められた予定通り上げると云うのが自慢だった。
 しかし、川村 志保子の写真集は開始からトラブルの連続だった。川村側に時間の余裕がなかっただけでなく、川村 志保子はわざと文句を云って撮影を中断させたり、撮った物が気に入らないと撮り直させたり。
 最初は小娘のわがままと思って笑っていたが、何度も撮り直しが続き予定がどんどん狂って行た。
 とうとう堪忍袋の緒が切れ、このままの撮影では完成を見ないと片岡に仕事を降りる。と、そう告げた。
 けれど片岡とこの話を持って来たかおるに宥められ、諦めて再度川村 志保子の撮影に挑んだ。
 しかし、撮影は手間取りすぎ、写真集は発行するタイミングを外し、大山出版は、この超売れっ子美少女高校生女優の川村 志保子の写真集発行を諦めざるを得なくなってしまった。
 うわさではこの写真集の話は川村側が中止にし、それが問題にならない様に出版社側にかなりの金が流れたらしいが、詳しい事情はよくは解らなかった。
 けれど今回、川村 志保子の映画ヒロインの話をきっかけに再浮上した。

 映画の主演俳優は、世界でも名の通っている俳優の本田 貴史。
 この作品で3度目のメガフォンも握る。
 助演女優は、かつて世界的なモデルとして活躍し、現在は、ゴールデン枠のドラマで欠く事の出来ない存在、本田 貴史の妻でもある一色 薔子出演という豪華さで、制作発表前から話題を呼んでいた。

 写真集の再浮上に際して、川村側は条件を出してきた。カメラマンを佐伯 和威でと云う条件だったらしい。
 そのせいで大山出版は”うん”と云わない人間に対して何度も足を運んだり、電話をしてきたりしなくてはいけなくなった。
 だから、今回だけ話を聞いてもいいと持ちかけたところ片岡は喜び勇んでやって来たのだった。

「佐伯先生には写真集の件では何度もご迷惑をお掛けしてます」
「いえ、こちらこそ少し大人げなかったと思いまして」
 片岡に優しく微笑みかけた。片岡もその態度に安心した様に答える。
「正直云って助かりました。川村 志保子は超売れっ子ですからね、かなり強気なんですよ。でも、川村 志保子個人の評判は業界内ではあまりよろしくないですからね」
 ハッハッハと片岡は笑った。この男も食えない男だと思った。
「で、私の方もこの仕事を引き受けるのに条件を出したいんですが...」
「ギャラ及び印税の金額は、破格の金額を提示させて頂くように契約書を作成しますので、他に何かあれば出来るだけ先生のご希望通りにさせて頂きます」
「有り難うございます。実は、出したい写真集が一冊有りまして。ご協力頂けますか」
 片岡は机の上に置いてあった数枚の写真に目をやり、愛想良く和威に答えた。
「おや、”JUN”ですか。そう云えば今日発売の週刊誌に載ってましたね。映画の志保子の相手役やるとかやらないとか。
まあ実際、本田監督と一色さんの御曹司って書いてありましたから、話題性も十分ですよね。志保子の機嫌は損ねそうだけど」
 え!
 一瞬息が止まるかと思った...。
 心の中のかすかな予感が現実になったような、そんな実感があった。
 確かにステージでJUNを見た瞬間、”一色 薔子”にとても似ていると。
「あ、もしかして彼の、JUNの写真集ですか? だとしたらこちらとしては大喜びです」
肯定せずにただ微笑んで見せた。

 片岡が帰った後、JUNとかおるを迎える準備をした。

 何となく思いだしていた。JUNと一緒に食事をした時の事を...。

「俺が、カメラマンになると決めたのは、ショーで一色 薔子を見た瞬間かな」
「一色 薔子ってそんなにすごいモデルですか?」
「ああ、引力って云うのかな?人の人生まで左右する、そんな力があるんじゃないかな?俺だけじゃなくて、エドワーズなんかもそうなんじゃない?」
「彼女はみんなのあこがれですよね。僕は、あの人を越えられるだろうか...」
 夕闇迫る空を仰ぎながらそう云った。そのJUNの姿が悲しく見えた。

 そんな時だったかおるが週刊誌を手にして息を切らして飛び込んできたのは...。
「この雑誌、読んだ!?」
「何慌ててるんだよ。いくら家の鍵渡しているとはいえ連絡してから来いよ」
「そんなのんきにしているところ見ると読んでないんだ!」
「JUNが一色 薔子の息子って云う記事なら知ってるよ」
「そんな事どうでもいいのよ。見て!!」
 下世話な芸能情報の載っている雑誌のスクープ記事を開いてかおるは差し出した。
 それを手に取り目を通す。
「!?」
 驚きで声が出なかった。

「モデルJUN(17)の隠れた素顔 毎夜続くエドワーズとの乱れた関係」

 パリでエドワ−ズと交わされる情交が淫猥な表現で書かれてあり、JUNはエドワーズと交わる事でモデルを続けていると云った内容だった。

 ピンポーン
 玄関のベルが鳴る。
 ドアフォンを取った。
「あ、本田と申しますが佐伯さんのお宅はこちらでしょうか」
「JUN!!」
 


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