私”川村 志保子”は写真集の話が来たとき即決で断った。
それは私のコンプレックスのせいでが写真の仕事だけはしたくなかった。
私のコンプレックスは私と同い年の男の子。
かっこよくて頭が良くて誰にでも好かれて、責任感があって、モデルの仕事をしていて芸能人の両親を持っているのにちっとも偉ぶっていなくって、学校の女子全員あこがれの存在で、私が芸能界に入ってからのコンプレックス。
彼は幼稚舎の所謂”御受験”の時から周りの大人達の受験生の話題をさらっていた。
名前は、”本田 潤一郎”。俳優”本田 貴史”と元モデルで現女優”一色 薔子”の一人息子で、幼稚舎の受験の時に大人達は口々に”あんな子がいるのね”と噂され、小学校上がりってからは、クラス委員や児童会をやりながら成績は常にトップ、運動神経も抜群で出来ないことは何もなく、何より持って生まれた容姿は人の何倍も秀でていたけれど全く嫌みなところが無く、誰にでも親切で優しくてそして誰よりもかっこよかった。
そんな彼は中学に上がってから誰でも名前を知っているデザイナーに頼まれて、海外のコレクションに参加するようになった。
女の子達はみんな彼にあこがれで、私の片思いの相手。
いつか彼に近づきたかった。けれど芸能界の仕事を始めてからその仕事をすればするほど彼のすごさを感じた。そして絶対に同じ位置に立てば絶対かなわないそれだけは自覚していた。
彼がいつでも私のコンプレックスだった。
そしてパリ春夏コレクションが終わってもJUNは帰らないまま、気づくとJUNと出会ったあの暑い日が幻に感じられるような冷たい風が吹き出始めていた。
そんな頃だった、”志保子”の写真集の撮影が始まったのは...。
「もう!!いい加減にしてください!!仕返しのつもりですか?」
「あ...」
志保子の荒立った大きな声にハッとする。
「先生がどう云うつもりでこの仕事を受けたか解りませんけど私は真剣なんです。どうでもいい写真を撮ってもらう為に、忙しい時間を割いてる訳じゃないんです!」
志保子に云われて我に返えると36枚撮りのフィルムは、既に終わっていた。”こんな調子で撮った写真は、きっと使い物にならないだろう...。”小さくため息を付きながら和威は、首に手を当てて首を回した。
「ごめん!10分休憩もらう...」
スタジオスタッフ、出版社の片岡、そして志保子にそう告げて、もう一度ため息を付いてから、スタジオを出てキッチンへ向かい、冷蔵庫から水のペットボトルを出し、あおる様に飲んだ後、ポケットから煙草を取り出して火をつけ、紫煙をため息混じりに吐き出す。
静かなキッチン。和威はキッチンをゆっくりとまるで誰かを探しているように見回し、調味料の棚で目を止めた。
ホワイトチョコのリキュール...。台風の日にJUNのホットミルクに入れたモノだった。
...JUN...。
無意識に唇を指でなぞる。胸が締め付けられるほど痛く感じ、涙が落ちそうになる。
煙草を灰皿に揉み消し、パン!自分の頬を思いっきり両手で叩た。とにかく仕事に集中しなくちゃ!自分に渇を入れスタジオに戻ろうとユーターンすると、キッチンの入り口でぽつんと志保子が立っていた。和威と目が合い志保子は、戸惑いながら云った。
「あ、和威先生...。あの、本田君、今、パリにいってるんですよね?元気なんでしょうか?」
唐突な質問に和威は驚いた。しかし和威自身、JUNとはあの後、逢うどころか、連絡すら取っていなかった。時々かおるが気を利かせて持ってくるJUNの記事やVTRを持ってくるが姿を見るのが辛かったのから、全く手付かずで積んだままにしていた。
「ごめん。実は俺もよく知らないんだ...」
俯いたまま志保子は、力無く、やっぱり...。そう呟いた。
「この前TVで本田君が出てるの見ました。なんか手が届かない存在になったってかんじで...」
「...」
「きっと、こうなったのって私のせいですよね」
「そんなことないよ」
「先生もそう思ってるんですよね。本田君がパリに行って帰ってこないの、私が余計な事云わなければって...、本田君から...あの日の事、聞いたんでしょ、だから撮影の時も...」
志保子は下唇をギュッと噛み俯いた。今までの我が儘で勝手な志保子のイメージと全く違って見え不思議な感じがした。和威は、無表情のまま呟いた。
「君とJUNとの間に何があったかは知らないけど、君のせいじゃないと思う。それに俺だって、JUNに酷い事をしたんだ...」
涙が落ちそうになり、和威は下を向き、歯を食いしばって耐えた。
「...。和威先生...。私ね、あこがれている男の子がいるの。それも幼稚舎の頃からずっと」
えっ?っと驚く様に和威が顔を上げた。
「...JUNの事?」
志保子は答える代わりに顔を上げ、涙を拭いにっこりと笑った。和威はその姿に”どうぞ”と右手を返した。すると志保子は遠くを見て、ゆっくりと話し始めた。
「うちの学校は幼稚舎から大学部まで一貫教育のエスカレータ式の学校なんだけど。幼稚舎の入舎式の時に、噂になっていた男の子がいたの。
有名人のご両親と親譲りの綺麗な顔、笑顔は”天使の微笑み”の様で、本当に羨ましいわね。って大人達は云ったわ。
そして小学部上がって、その男の子の噂は学校で絶える事がなかったの。
サラサラの黒髪、日焼けしない白い肌、水晶の様な光彩、そしてくりっとした大きな瞳で、誰にでも優しくて、学力考査は常にトップ、クラス委員や生徒会会長をやっていて責任感が強くてね、クラスは違ったけど、その男の子のファンだった。
中等部に上がって、その男の子はお母さんの友達のデザイナーに頼まれて、ファッションモデルをやりながら学校に通う様になって、委員会とかはさすがに出来なかったみたいだけど、身長も伸びてますますかっこよくなって、綺麗で、頭が良くて、スポーツ万能でそして、誰にでも優しい...。
でもある日、気付いちゃったの。
その男の子って、いつも誰にでも笑っているって嫌がるの見た事無いって事に。
不思議よね、そうしたら今まで以上に気になっちゃって、それで私決めたのいつかその男の子の笑顔以外を見るって」
志保子は思い出した様にクスリと笑った。
「変でしょ、でも本気だったのよ。それに気づいた事に有頂天になって、私にだけは他のコと違って怒ってくれいたり、泣いたりしてほしくなったの。でもね、その男の子はいつまで経っても笑っているだけだった。無理にデートに誘ったり、意地悪したりしたけどだめだった。で、ある日腹が立って云っちゃたの...。
”いつも何をされても笑ってるけど、そんなの人間じゃなくてお人形でしょ”って。
そしたらその男の子どうしたと思う?だた優しく笑って、云ったのよ、...”そうかもね、その通りだね”って。
私は悲しかった。ものすごく...。その後その男の子と全然話さなかったし、挨拶もしなかった。そして気付いたらその男の子は高等部には上がらずに外部の高校へ行っちゃったの」
「今度は笑いもしないで、目立たない地味な高校生になってしまった訳か...」
「ええ、そうだと思います。
母親とデザイナーの顔色見ながらモデルやってたり、他の事もそう、学校では先生の云う事良く聞いて、みんなからの頼まれごともどんな事も受けるのよ。絶対”NON”って云わないの。
だから映画の話頂いた時に、その男の子を相手役にわざと推薦したの。それでその男の子の家族と映画の記事もわざと流して。その男の子がどんな顔するか見たくて。
でもアッサリゴシップ記事に消されちゃったけど...。
あの日...、先生とこの家の玄関ですれ違った日。
現実から逃げている様にしか、今までと全く変わらないで成り行き任せで周りの云う事ばっかりきいていて。って思って私の中のイライラをぶつけてしまったんです。
”今の本田君は前とちっとも変わらないお人形のままね、和威先生に気に入られる様に今度は何をしたの?”って...。
云っていて気づいていたんですけどね。私、和威先生にやきもちやいてるって」
志保子も俺と一緒か...。自分の気持ちが上手く相手に伝わっているか不安で、思ってもいないのに、口から自分の中のJUNへの思いが飛び出してしまった。
「ね、あのゴシップは君じゃないの...?」
「違います!いくらなんでもそんな事しません。誰が流したかは解らないですけど、本田君を羨(うらや)んでる人一杯いるし、ほら、本田君って芸能界のサラブレッドですからね。あの両親の御子息で、天下のエドワーズのお気に入りモデル、本田 潤一郎映画主演なんて、誰でも危機感感じるじゃないですか」
「確かにね」
戯けた風に云う志保子にクスッっと笑ってしまった。
「本田君って自覚ないんだもん。自分がどんなにすごいか...」
「でも、芸能人になりたくないって云ってたよ」
一瞬目を見開き右眉だけ上げて志保子は複雑な表情をした。
「本田君の夢って知ってます?先生」
「え、いや」
「ボランティア医になる事なんですよ。報道写真撮ってる太田なんとかってにあこがれて世の中の役に立ちたいって...、おかしいでしょ」
むくれながら志保子は云った。
「私、それ聞いた時あまりに本田君らしくて、呆れちゃったの」
「確かにね。JUNらしいな、呆れるくらいに...」
志保子は軽くのびをした。
「も-やんなっちゃう、本田君に引っ張り回されて。あたしね写真のお仕事って本田君と自分をつい比べちゃうから好きじゃなかったんです。だから出来るだけ阻止したかった」
「...」
「でも、もう辞めた、本田君を追っかけるのに飽きちゃったから...。自分と比べたってきりないし。
さ-先生、撮影に戻りませんか?私一応、売れっ子のアイドル女優なんでスケジュールは秒単位なんですよ」
「あ、すまない。あの、最後に聞いていい?何で君は芸能界...。入ったの?」
「え、そりゃあ、芸能界に入れば本田君と対等な立場に立てるかな、って思って。でも、苦労ばっかりですけどね。皆、私を商品としてしか見ないから...。
子供の頃からこう云う苦労して来たからかしら、ああ云う性格になっちゃうのって...。
さ、今度は真面目に撮って下さいね。和威せんせ」
そう云って笑いながら彼女はウィンクをした。
「ああ、お手柔らかに」
笑いながらウィンクを返した。少し、吹っ切れた、そんな気がした。
その後の撮影は、和威も志保子も、ものすごく力の入ったものになった。お互いにいい物を作り出そうと主張を譲らないので、端から見ると喧嘩をしている様に見えたらしいが。
しかし良い物が出来る自信が有った。
「有り難うございました。色々な面でご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。前回の撮影拒否や今回の本田君の件、そしてこんなに私らしい写真を撮って頂けると思っていなかったので感謝しています」
「まだ写真見てないのに?」
ちゃかした様に和威が云うと志保子は少し口を尖らせてすねる。
「あれだけ思いっきり...、喧嘩しながら撮った写真ですから、絶対私らしい自分を撮って頂けた思います。写真の出来は自信ありますよ。本田君の件が有ったからかもしれませんが、私個人として見て下さったのは和威先生が初めてなので、この後もこのお仕事続けていける自信が出来ました」
「まあ、写真は自分が自分であるための記録だから...」
志保子は顔が崩れるのを気にもせずプッっと吹き出た。
「せんせー。くさーい」
ケタケタ大声を上げて笑う彼女は、前回写真集を拒んだ彼女とは全く別人だった。きっと 本来の川村 志保子は目の前で大声を上げて笑っているこの少女なのだと思った。彼女は我が儘をいったりして自分を守っているのだと思った。
「先生私、いい女になれるかな、”一色 薔子”に負けないくらい」
「なれるさ」
「うん。自信ついた!では、次のお仕事が有るので失礼致します」
そう云って志保子は深々と頭を下げた。
「もう8時だよ、まだ仕事あるの?」
「アイドル女優は24時間働くんです。では...あ、先生、本田君に会ったら云っておいて下さい。映画、スキャンダルとか有って本田君の出演は流れちゃったけど、私、一所懸命やるから応援してね、って」
本田君も...頑張って...。そう呟いて高校生女優は堂々と、マネジャーを連れて笑って去っていった。
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『そうそう和威先生。本田君、今度コレクションのインタビュー番組に出ますよ。来月号のファッション雑誌の表紙とか、あと、来春の秋冬コレクション用のポスターも出るんだって噂ききました。ちょっとした独り言ですけど...』
そう云って高校生美少女女優は背筋を伸ばし去って行った。
撮影が終わってから和威はかおるが持ってきていたJUNの記事やビデオを見た。”俺も...、いつまでも立ち止まっていられないな。”JUNや志保子が前へ向かっているように俺も止まっていられない。その時、一つの決心をした。
その日の内に以前”一緒に仕事をしないか”と誘ってくれた太田先輩の所への電話をし、手伝いをしたいと告ると、太田は笑って、いつでも手伝いに来てくれ待ってるよ。と云ってくれた。
そうして何かを吹っ切るように少しずつ自分が動き出して行く様なそんな気がした。
太田と共に海外を回るように仕事 の調整を始め、何とか春には太田と合流できそうだった。
立ち止まっていた時間は緩やかに動き出した。
今はまだJUNに逢う資格は無いかもしれないけれど、いつか必ず逢いに行くそう自分に誓った。その時JUNはきっと俺の事は忘れているかもしれない。けれどいつかきっと...。
JUN...。逢いに行くよ...。
Fine
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