2002/12/14 |
Aquarium〜現実主義者は見る夢を〜 |
第一章 2.神奈川県警 捜査一課 会議室 11:05 a.m. お腹が鳴るのとあくびが出るのを必死な思いで押さえながら、大塚は普段はめったに呼ばれるはずのない捜査会議に出ていた。 特別捜査本部、捜査一課の仕切り…。 通常は捜査一課では、殺人だの、強盗だの事件を扱う課…。 その会議に大塚が召集されたきっかけは、小一時間前に捜査一課長から受けた呼び出しだった…。 そもそも、大塚は警察官と云っても、普通の企業となんら変わりない部署に所属している。 情報システム部…。 IT時代と騒がれる昨今に於いてはちょっと聞こえが良いようにも感じるが、要するに神奈川県警察本部の情報や部内処理データを蓄積するサーバを管理したり、各部で使うオンラインシステムの設計や、それのインストール。 はたまた今までコンピュータを使った事が無い職員へのお手伝い。 そして情報誌を読み最近パソコンを購入し、妙な蘊蓄だけパーフェクトな職員へコンピュータ使用のお手伝い…、これが一番やっかいなんだが、そんな事を毎日、だらだらと大塚はやっていた。 結局のところ、大塚の仕事はコンピュータ関連の雑用係に近かった。 元々大塚は大きなゲーム会社のプログラマーをしていた。 しかし、この不況でその会社が大リストラ大会を催し、それに乗って通常の二倍以上の退職金を貰って会社を辞めた。 最初はだらだらとプログラムの在宅勤務でもしながら、適当に食べて行くつもりだった。 それが何の因果か、丁度仕事を探している時期に募集の掛かっていた神奈川県警に、冗談のつもりで試験を受けたら、就職が決まってしまった。 受かった当初はプロファイルの捜査だの、日に日に増加して行くコンピュータ犯罪の摘発…、などとスウィートな夢を見たりもした。 しかし実際に配属されたのは、情報システム部と云う、夢見ていたお巡りさんのお仕事とはちょっと違うような部署になった。 そんな大塚が事件と関わる事はあまり無いはずだった。 けれどコンピュータ犯罪が激化する昨今で、専門知識が必要になると、こうやって捜査会議へ呼び出されたり、時には現場に赴いたりもしたのだった。 腐っても鯛、まかり間違っても神奈川県警、ももちろんコンピュータ、ネットワーク犯罪を専門としている捜査二課や、コンピュータの達人の多いプロファイルチームも当然有る。 有るには有るが、実際は人手不足で大塚のような情報システム部でも、知識があるものが借り出されるのであった。 実際に捜査会議や現場検証などをやってみると、そう云う捜査の地味さと、コンピュータのコの字も知らない捜査官達への状況を説明する難しさを感じた。 そう云う経験から、大塚がうんざりしそうな捜査等々のそう云う話が来るやいなや、同じ部署の他のやつに押しつけたり、適当に逃げたりしていた。 それでもわざわざ御指命で、捜査一課への呼び出されたり、捜査本部への参加依頼の数は多くはないが、全くない話ではなかった…。 『げっそり…』 また訳の判らない事を頼まれそうな予感に、大塚は深々と溜息を付き、お昼前のたるい捜査会議に出席した。 「最近有名企業に奇妙な事件が起こっているのは知っていると思うが…」 捜査会議はそんな切り出しから始まった。 『奇妙な事件…』 最近不思議な事件が起こっていた…、それは猟奇とも云える事件だった。 犯人は、真夜中二時になると企業のホストサーバに繋がっているコンピュータへクラッキングし、ウィルスを起動させる。 因みに一般的に、ハッキングとクラッキングの違いは、ハッキングはデータを解析するだけだけれど、クラッキングになるとそれを破壊する行為が含まれてくる。 当然その感染したコンピュータからネットワークで繋がっているサーバまで、ウィルスはのデータからクラッキングした履歴まで、全てが抹消させると云う手口だった。 当然企業側もデータのバックアップが有るので直ぐに復旧出来るのだが…、そこに繋ぎに行った履歴すら抹消しているために、クラッキングされた時にその企業のサーバに蓄積されているデータが盗まれている可能性もあった。 そしてその悪質さが問題になり、事件の通報を当初受けた捜査一課で捜査を開始していた。 クラッキングの履歴が抹消されているために、犯人の手がかりから、被害状況までが全く解明出来ないやっかいな事件だった。 ただ判っているのは、最後に自分を告示するように浮かぶウィルスの名だけ。 ウィルスの名は、『La vie en Rose(ラヴィアンローゼ)』。 それ以外実際に何が起こったのかすら判らないため捜査の方針は、犯人が被害を受けた企業に対する嫌がらせを行っている場合と、全くの無差別な悪戯の両面で考える事になり、捜査員が会議で担当に振り分けられていった。 「それで、私は何を…」 そう大塚が訊ねると、係長が待ってました、と云わんばかりの微笑みを浮かべながら、担当を説明していった。 車中 03:38p.m. 「しかし、大塚さんとご一緒出来て、俺ちょっと嬉しいです」 ピクニック気分にでもなっているのか、満面の笑みを浮かべて、バックミラーを確認しながらハンドルを握っている吉川は、幸せこの上ない表情で訴えながらそう云った。 しかしそう云われた本人は、その様子とは全く反対に、不機嫌この上ない、そんな表情を浮かべ、今現在、否、この業務全てに於いて不服だらけだと云う思いを全身で表していた。 「なぁ、何でこの仕事、二課じゃなく、一課なんだ?」 そう、まず何でこの捜査が一課の担当なのか…?大塚にはそれが疑問に感じられた。 ムッとした顔のままのその腹立たしい思いをぶつけると、吉川には何でそんなに機嫌が悪いのか、理解出来ないように驚いている。 「え、会議で云ってましたよね?この事件に関する届けが、最初一課に届いたから…。まずは一課で調べてそれから、二課に渡すって…」 「それも変だろ?だいたい、脅迫だの、コンピュータウィルスだのは二課のお家芸じゃねーか、それを何で一課で調べてから渡すんだよ」 何を云っても理解してくれない吉川に、途方に暮れながら大塚は顔を引きつらせたが、当事者はにっこりとお花が散るような笑顔を見せる。 「まぁ、良いじゃないですか。そのおかげで、ドラマの撮影現場に行けるんですから。週間視聴率十五%を誇る"特捜刑事"ですよ!!あこがれなんです、あの主演俳優」 何故妙に吉川がうきうきしながら車を走らせているか納得し、それ以上言葉が出なくなったところで、大塚は深い溜息を一つ付いた。 あの眠さと空腹と戦いながら出た会議…。 その会議で捜査官が、先々週の "特捜刑事"と云うドラマの中で、この事件と同じ名前のコンピュータウィルス『La vie en Rose』を使った同じ様な犯罪を題材にしたストーリーが放映された…、と報告した。 三ヶ月前に完成した脚本が、製作会議に掛けられ、製作開始されたのが今からほぼ二ヶ月前だった。 事件が起こったのが二ヶ月とちょっと前。 コンピュータウィルス『La vie en Rose』と、はっきり告示したこの事件の発生は、製作開始よりもほんの少し前からだった。 大塚は会議に呼び出された時、きっとウィルスに関しての説明とか、その解析など、めんどくさい仕事が来る、と思っていた。 しかし、そんな真面目な会議場で、捜査一課の係長が満面の笑みを浮かべて、情シス…、情報システム部の大塚に振り分けた担当の仕事…。 それは…、吉川と二人で、製作側に当たる事だった。 吉川は大塚と共に行動出来る事と、そしてドラマの撮影現場に行ける事を、単純に喜んでいるみたいだった。 けれどそれすら割り切れずに納得いかない仕事を押しつけられた大塚は、いい気分どころか、当然不機嫌きわまりなかった。 しかし反論しようにも一課の課長にも、係長にも、いかにもとってつけたようにだったが、 "コンピュータに詳しい君の専門的な見地から、この捜査に協力してくれ"と、まるで水戸黄門が印籠を振りかざす言葉で頼まれた。 そんな風に一課の上司から云われ、大塚はそれ以上何も云えずに、渋々吉川と製作現場へ向かった。 警察機構の分担としては、殺人等の事件が一課なら、今回のようなコンピュータウィルスだとか企業恐喝等の犯罪は、捜査二課管轄のはずだった。 しかし、それを一課が捜査し、そしてそれに所属している吉川が事情聴取に行く事自体が、腑に落ちない要素の一つだった。 『結局、一課、二課って云う以前に、一課でお荷物になっている、よっしーの面倒を見ろって事じゃねーか…』 自分の中でたどり着いた結論に、ついそんなぼやきを口にしていた。 だがしかし、そんなダークな気分も撮影所へついてスタッフに有った瞬間に好転した。 |