2002/12/14
Aquarium〜現実主義者は見る夢を〜
 
第一章
3.市内撮影所 03:38p.m.
  大塚と吉川が現場に着くと、大きな事務所の一室に案内され、捜査員が行く事は話が事前に通っているらしく、皆のよそよそしい愛想笑いと共に、一通りのスタッフとキャストを紹介された。
  そしてそれを見て大塚は思わず驚きの声を上げてしまった。
  "あの男"だった、あの時のゲームセンターで勝ち逃げをした、あの美人と再会したのだった。
『これは運命かもしんない(はあと)』
  この面倒な捜査の件でうんざりしていた大塚は、思わずそう神様に見捨てられていない事を、仏教徒にもかかわらず、感じずにはいられなかった。
  この捜査も吉川のお供をする、と云われた時点で、事件との関わりの薄さははっきりしていた。
  だからこそ、この運命的な再会は神が与えたもうたチャンスなのだ!そう感じていたくどいようだが一度も寺に行った事はないが浄土真宗の大塚は、自分の運の良さに思わず歓喜せざるを得ない気分だった。
  そしてこの時既に大塚の頭の中では、事件や事情聴取の事は二も三も次で、 "この男をどう口説こうか…"、それだけで一杯になっていた。
  しかし、話を聞いていく内に、それも儚いうたかたの幻だと確信してきた。
『俺って、不幸…』
  その状況に大塚は深々と溜息を付いた。
  その男の名前は、いしや石屋 さとし智史(二十八歳)。
  このドラマでも幾本かの脚本を担当しているが、他のドラマでも数本、彼が書いた脚本を使っていて、売れっ子までは行かないが、比較的コンスタントに仕事をしていた。
  このドラマの脚本がアップしたのは、事件が起こる少し前。
  事件はまだ具体的に世の中で発表されていないウィルス名を使って行われたために、捜査に対して素人同然の大塚でさえ浮かぶ予想と、そしてその考えとは裏腹に、そんな単純な事で浮かぶ人間が犯人なのだろうか、そんな疑問が浮かんでいた。
  しかし大塚の運命をぶちこわした発言は、普段おとぼけていて、何も考えていなさそうな吉川の一つの質問だった。
  そしてその事が大塚の新たな恋の道に、思いっきり焼夷弾を落としたのだった。
「あの…、石屋さんに質問なんですが…」
「はい?」
「石屋さんって、前にプログラマーもやっていらっしゃったと伺いましたが…」
  ただ話を聞くだけと云われていたのだろう、石屋はその質問に溜息の出るような美しい柳眉を寄せ、吉川と一緒に大塚まで睨んだ。
『よっしーのばかやろー』
  その時大塚は心の中で思わずそう叫んでいた…。
  石屋は吉川に尋ねられ、不機嫌な表情で、大きく溜息を付くと、ゆっくりそれに応える。
「はい、そうですね…。まあウィルスくらいは簡単に組めますよ」
「なら…」
「でも…、最近はワクチンソフトの性能が良いから、簡単に検索で引っかけられてしまって、除去されてしまうと思いますが…」
「でも…」
「刑事さんはクラックってご存じですか?実際に企業へクラックするだけでも、パスワードの検索だって大変でしょうが、もしクラックできたとしても、その後が残ってリスクも大きいでしょう?」
  美しい顔をしかめながら吉川を黙らせた、少し低めの印象に残るテノールの声で云った石屋の表情にうっとりしながら、大塚もその答えに同感だと感じていた。
  多少コンピュータやLANの知識があるものならクラックをしてみたい、と考える人間は少なくは無いと思う。
  しかし、パターン化されているウィルスを作るのは、多少プログラムをかじった事が有る人間なら出来ない事では無いだろうが、石屋が云うようにワクチンソフトに引っかからないように、だとか、自分のクラックした履歴を消したり、はなかなか出来ない。
  リスクがでかすぎる。
  今回の事件は、わざわざウィルスを入れるためにクラッキングを行っている。
  そうなると有る程度の壁を超えるかなり専門的な知識も必要だろうし、ネットワークやコンピュータシステムを知っている専門的な人間でも、下手な進入では、ウィルスを落とす前に自分が犯人だと云っているもので、直ぐに足がついてしまう…。
  けれど吉川はそれが判っているのかどうかは定かでは無いが、石屋の言葉に必死に反論する。
「しかし、あの脚本は物凄く事件に酷似していて!!」
  大塚の気持ちとは反対に、吉川は声を荒立て必死に自分の正当性を訴えようとする。
  しかし、どう考えても吉川の負け…。
  いつまでも墓穴を掘り続けようとするその口を手で塞ぎ、大塚は腕にすっぽり収まる170cmの身体を後ろから押さえた。
  そして、吉川のその態度に唖然としているスタッフやキャストに、大塚は愛想笑いをしながら頭を下げた。
「いやー、若い者は血気盛んでいかんですね〜。今日は失礼致します。あ、もしかしたらまたここへ伺うかも知れませんが、その時は…、まあ宜しくお願い致します」
「いえ、なんかお二人ともこのドラマの刑事と違っていて、色々こちらも刺激になりましたので…」
  古参のスタッフらしき人、後でディレクター(監督)と聞いて驚いたが、親切にフォローしてくれて何とか場は収まった。
  しかし、石屋は二度と来るな、そんな表情でこちらを睨んでいた。
  大塚はそんな石屋の態度に苦笑すると、ただそんな事で帰るのでは、折角この神様が与えたもうたこの機会に申し訳ない、と感じ、吉川を先に部屋を出るように促す。
  そして、石屋の横に寄り吉川に聞こえないように、ぼそりと耳打ちする。
「!!」
  その瞬間、部屋に響き渡るビンタの音に、スタッフ全員が驚いたようにそちらを見る。
  スタッフ全員が大塚と石屋を注目する。
  大塚の囁きを聞いて、石屋はその言葉に総毛を立て全身怒りに震わせ、顔を真っ赤にすると、肩で荒い息をしながら大塚の顔に手形が付くくらいにひっぱたいた。
  怒りに動けなくなっている石屋と、何事が起こったか判らずに硬直しているスタッフに笑顔で大塚は "失礼"と会釈をし、唖然とし固まっている吉川の肩をポンと抱いて、足早に去った。
  部屋を出て何が何だか判らずに、きょろきょろしながら吉川は訊ねる。
「何、やったんですか?」
  大塚は少し切れた唇を手で拭いながらにやりと笑って、もう一度肩を叩く。
「さ、帰ろう、手応えは十分手感じ…、だな…」
  何の事やら判らない吉川は、不思議な顔をしながら首を傾げそれに従った。
『今晩、付き合わない?』
  殴られはしたが、まだ運命の糸は繋がっているような、大塚にはそんな予感がしていた。
 
 
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