2002/12/14 |
Aquarium〜現実主義者は見る夢を〜 |
第一章 4.大手製薬会社 株式会社 A社 情報システム部 05:51p.m. 撮影所であんな事があったにもかかわらず、めげない吉川が帰り道、どうしても被害を受けた会社のサーバを見たい、とだだをこね出し、大塚は溜息混じりにそれに従う事にした。 『ま、よっしーもそれなりに必死って事か…』 そんなぼやきを付け足しながら…。 あれから半日以上経ったその会社の情報システム部は、既に事件が起こった前の状況に戻っていて、何もなかったように平常の業務を執り行っていた。 状況を確認しようとすると、何度も警察から事情聴取を受けたらしく、社員の口は重かったが、それでも吉川の気力と根性で一通りを聞き出し、その中の専門的な内容で自分には判らない事を大塚に質問してきた。 そんな姿を見ていると大塚はそれなりの吉川の覚悟みたいなものを感じながら、彼の県警内での要領と運の悪さを感じてしまった。 情報システム部は県警だろうが、民間企業だろうが対して変わった雰囲気がなかったが、そこで大塚は懐かしい写真に出逢った。 凛と冷えたような、ただ月を撮影した写真…。 その写真を大事そうにタワー型PCの上のフォトスタンドに入れていた人物に、親近感を感じ、大塚は気が付いたら声を掛けた。 「月の写真ですか?あっ…」 「木下です。株式会社AZUと云うコンピュータの会社から派遣で、ここに来ています」 「木下…さんですか…。素敵な写真ですよね。でも、その月の写真…」 木下は驚いたように目を見開き、目の前で笑う大塚を見つめると、視線を写真立てに向けた。 「この写真…、て云っても印刷なんですが、以前にちょっとした知人から貰った、記念の画像なんです」 「あ、もしかして…、フィアンセか、何かですか?」 そう茶化すように訊ねると、木下はただ愛おしい相手を見つめるかのように、写真立てに視線を向けたまま動かないまま、懐かしい思い出を語るように呟いた。 「昔、追われていた血統書付きの子猫を拾いました。一緒に、そう一週間くらい暮らしたんですが、その追っ手が私のところにも及びました…」 「…」 「その子猫は、私の生活を守るために元居たところに帰って行きました。私のその子猫への思いと一緒に…。これは…、今は逢えないけれど、いつか逢えるだろうと信じている、その子猫への思いなんです。ただ、もうじき私のところに戻って来てくれるみたいなんですけどね…」 目を細めて幸せそうに木下は、そう語った。 木下は知らないだろうが…、大塚はその血統書付きの子猫…、今は成人して立派な大人の猫だが…と、そしてその大切な男の存在を大塚は知っていた。 それは以前、捜査に借り出された時に、その先で美しいと云う形容詞が似合う青年に出逢った。 その青年の机の上に、これと全く同じ月の写真と、そして隠し撮りのようにピントは、ずれていたが、目の前でその写真を愛おしそうに見つめている人物…。 年齢は三十過ぎくらいで、身長は175、6の太っても、痩せてもいない体形に深みのあるスーツがとても似合っていて、縁なしの眼鏡を掛けた、どこから見ても普通のサラリーマンと云う雰囲気の人物の写真が、大切そうにに飾られてあった。 しかし誰だと尋ねると、その青年はただ笑うだけだった。 だから直接本人から木下の事を聞いたわけではなかったが、ここに飾ってある月の写真はその青年が一番気に入っている昔撮影した…と云っていた月の写真と同じでだった。 そして木下は、あのボケた写真の人物だとはっきり判った。 「まあ…、そんな所です」 木下はそう云いながら、愛しそうにその写真を見つめていいた。 それは大塚が知っている人物が、同じ写真に対してするような視線と同じように…。 「そう云えば…」 「え?」 「俺、昔、好きなHPがありましてね。そこって月の写真だけを飾ってあったページなんですが…、この写真はそこで見たのに凄くよく似ているんです…」 「そ、そうですか…」 「そのHPの管理者っていうのが、深い森で王子様を待って、眠っているお姫様のような美人なんですよ…」 懐かしそうに木下は目を細めただけで、それ以上言葉を話さなかった。 しばしの沈黙している内に、別の席から木下を呼ぶ声が聞こえてくる。 「木下さん!ちょっとこっち、お願い出来ますか!!」 その方向に判ったという風に手を振って木下は、大塚の方を見て頭を軽く下げる。 「すみません、失礼します。でも…、懐かしい話を聞けて良かったです」 大塚が云いたかった言葉が通じ、木下は笑顔でもう一度頭を下げ立ち去ろうとする所を、慌てて大塚は叫んだ。 「あ、木下さん!!」 もっと話がしたい、その思いだけで木下を大塚は引き留めてしまった。 何事かと云う顔で微笑みながら、振り向いて小首を傾げながら木下に、大塚は慌ててその場を取り繕うように質問をする。 「あ、あの、この事件どう思われますか?」 少し驚いた顔をした後、大塚にクスリと笑う。 「さあ…。ただ…、嫌がらせでウィルスを送るにしては…、少し凝りすぎているような…。まるでこのウィルスよりは、サーバに接触した履歴を消すための様な気がしますが…」 「履歴…ですか…」 「ええ、まあ、私の仕事はここでデータベース用のシステムを組むだけですから…、この会社の事情はよく判りませんが…、ただ…」 「ただ?」 PCの上に置いてあった月の写真をそっと持ち、木下は言葉を続ける。 「この写真を撮影した人間なら…」 「その写真を撮影した人間なら?」 写真に目をやった後、何かをこらえるように木下は天井を仰ぐ。 「いえ…、何でもありません。ちょっとした独り言です、気にしないで下さい…。失礼します」 そう言葉を残し、木下を呼んでいる方へ立ち去った。 「"スイ"か…」 一人そこに取り残されたように立った大塚は、その月の写真を見て呟いた…。 『あそこへ行けばこのウィルスも、ワクチンも出来てるだろうな…』 そう独り言ち、吉川を引っ張ってその現場から早々に引き上げた。 石屋 自室 08:18p.m. 今日は最悪の日だった…、石屋は家に帰りぼっと窓の景色を眺めながら、そう感じていた。 脚本の締め切りが間もないのにも関わらず、警察の事情聴取があるからとディレクターの夏目に呼び出された。 『まあ、形だけだから直ぐ終わるよ…』 その時はそんな感じで軽い様子で頼まれ、ただ顔を出せば良いのか…、と渋々だったが、事情聴取と云う言葉に物書きとしての好奇心を駆り立てられ、出向いた。 しかし行ってみると、訳の判らない若い警官には嫌がらせのような追求を受け、そしてその同僚らしき変態刑事には云い寄られ…。 うんざりしながら真っ暗な部屋の電気も付けずに、窓辺のディスクトップPCの置いてある普段仕事をしている机に向かって、石屋は深々と溜息を付いた。 横浜市内、山下埠頭にほど近く、外観は潮風に揉まれかなり傷んでいるように見えるワンルームマンション。 窓からは、微かに横浜博の時に建てられ、今では見事な遊園地に変化を遂げた大きな観覧車"コスモクロック"がカラフルなネオンを光らせていた。 そんな風に形容すれば聞こえは良いかも知れないが、ここは雑踏に紛れた小汚くて安い10階建てのマンションの5Fの部屋だった。 自分の生まれ育った街を離れたくなかった石屋は、家を出て一人暮らしをしている今も、この街で暮らしていた。 この街が横浜博以降"MM21"と銘打って、昔の大好きだった面影を忘れていき、街並みはどんどん別の形に変化していったが、それでもここがとても好きだった。 だから離れるつもりはなかったが、けれど最近石屋やこの家の周りで、おかしな事が起こるようになっていた。 何がと具体的に上げろ、と云うと途方に暮れてしまうが、いつも誰かに監を視されているような…、そんな気配を感じる時があった。 気のせいかも知れなかったが、それでもさっきも感じた不気味な気配に、背筋が寒くなっていた…。 『ま、気のせいだろう…』 石屋は自分にそう云い聞かせて、PCの電源を付けると、もう一度溜息を付き、机の中からケースを出し、そこから一枚のFDを取り出した。 レーベルには『La vie en Rose』と書かれているFDを…。 |