2002/12/14 |
Aquarium〜現実主義者は見る夢を〜 |
第一章 6.神奈川県警情報 システム部 08:30a.m. 「おっはよーござーまーす!!」 吉川は、まだ人のほとんどいない情報システム部の扉を軽快に開けた。 昨夜撮影所へ行った後、一緒に署に戻って来はしたが、吉川は現場検証の報告書を作成しなくてはいけないために大塚と別れた。 別れ際に、大塚はその晩、バッチ当番だと云っていたので、きっと泊まりで、仕事から開放されるのは今朝だろうと吉川は思っていた。 家に帰って事件を振り返り、そしてあの事件の事で大塚に相談したい事があり、こうして朝一番にここへ来たのだったが、部屋には目当ての人の姿は見当たらなかった。 実際は違っていた。 吉川の挨拶に答えたのは、情報システム部で一番若い職員の太田だった。 「あ、お早う御座います、吉川警部。大塚さんなら今日は午後からですよ…」 「え?でも昨日…」 耳を疑うように吉川は呟くと、太田は首を傾げる。 「え?だって昨日、一課のサポートで出ていたんすよね?大塚さん」 「ええ、一緒に出掛けましたけど…」 大塚の云う事と目の前の現実とのかなりのズレに混乱しながら吉川は答えるが、太田はその様子に全く気付かず、言葉を続ける。 「捜査に出掛けると、いつに帰れるか判らないっすからね。当番が変更になったんすよ」 「え、じゃあ大塚さんは?」 「うーん、そっちを手伝う方が優先順位高いっすからね…、うちの部はパシリっすからね。そう云えば今日も捜査協力って云ってたけど、あれ?一緒じゃなかったんすね…」 「あ、多分大塚さんは一課の他の人から、他の用事を頼まれてるんじゃないかと…」 「そうっすね…」 腑に落ちないその話に、大塚が何で自分にうそまで云ったのか、が気になって吉川は考え込んで無言になってしまった。 いつも笑顔が眩しい吉川の表情が曇り、太田は自分で云った事を気にしながら尋ねる。 「それより…、吉川警部はこんな所にいていいんですか?てゆうか、今回の事件って大変そうですよね…」 太田の声に我に返りながら、職位を付けて自分の名前を呼ばれ、それになれない吉川は苦笑する。 「その吉川警部って止めてくれよ…、恥ずかしい。吉川でいいよ…、確か太田さんですよね?」 気恥ずかしそうに頬を赤くしていて否定すると、太田は吉川を尊敬するように、まるで自分の自慢をするかのように云う。 「そうっす、太田っす。吉川さん、何云ってるんですか!!国内一、有名な国立大学を在学中に司法試験通ったにもかかわらず、トップレベルで卒業して、国家一種をこれまたトップレベルで合格」 「そんな事…」 「またー、謙遜しないで下さいよ。署内で有名なんですから」 「いや…、あの」 自慢げに自分の経歴を語られ、吉川は途方に暮れた。 「最短出世コースをまっしぐら!!試験は全て完璧!って有名でっすよ!本当なら既に警視くらいまでなれるのに、なんで試験受けないんすか?」 この太田の云ってる事を今まで何度も、それこそ耳にたこが出来る位に色々な人から云われた。 それこそ、上司、先輩、部下、知りあい、家族、大学時代の知人、と…。 そして、いつも通常業務に関係の無い部署に用があって行くと、今の太田と同じように尊敬の目で見られたり、世の中の誇りのようなそんな云われ方をされたり…。 吉川は、子供の頃から机に向かって、こつこつテスト勉強を、勉強をする事がとても好きだった。 その所為か、昔から試験に関してだけは悩んだ事はなかった。 だからそんな自分はただ試験に受かれば出世が出来て、それでいて格好いい警察官に昔からあこがれ、何の躊躇いもなく国家一種を受け、この職業を選んだ。 しかし、テストでの天才は警察機構の現場では、何の役にも立たなかった。 確かにどんな試験を受けても優秀な成績を治められたが、生まれつきぶきっちょな吉川は、現場に出るとテストのように上手くは行かなかった。 一課ではお荷物…。 いつでも重要な捜査には加えて貰えず、いつも別の所で補導の手伝いや、課内で書類の整理やデータベースの管理…、しかやらせて貰えない。 自分の足で捜査して仕事をしている周りからは、"未来の上司"、"将来のお偉いさん"程度に思われているのか、ただ愛想良くされているだけだった。 大塚以外は…。 「俺なんか、まだまだだよ…。それに、そ…そんな、の、社会人としては、全く誉められた事じゃないですか…」 「そんな事ないっすよ!!今だって捜査一課なのに、二課のサポートまでしてるんすから!!」 「それは…」 自分を真剣に尊敬している太田に、必死に事実を伝えようとするが、その気持ちは謙遜にしか伝わらずにただ吉川は苦笑するしかなかった。 「吉川さんに比べて俺なんか、ただのコンピュータオタクっすから、だから吉川さんの行動は尊敬に値します!!」 「そんな事ないよ…。俺なんて、ただ勉強しか出来ない…、社会不適合者だよ…。俺なんかより大塚さんの方が数段…」 いつも大塚に助けられる吉川は有るがままを伝えようとするが、しかしその気持ちが伝わっていないらしかった。 吉川の言葉に納得出来ないかのような不思議な顔をし、そして顔の前で手を数度、太田は振る…、そんな事は無いと…。 「またー、謙遜して、吉川さん謙虚過ぎ。大塚さんなんて俺から云わせりゃ、ただのふてぶてしいエロおやじっすよ」 「エロ…」 「そうっす。確かに見た目がっちりしていて、身長は185cmでワイルドな感じで格好良いっすよ。おまけに女子職員にも死ぬほどもてるし…」 「そうだろうね」 大塚の姿を思い出しクスリと笑う吉川を見ながら、太田は眉間に皺を寄せ口を尖らせる。 「でも、それをいい事に俺のケツ痴漢みたいに触るし、オタクだし、ゲーマーだし、マニアだし、寒いギャグ連呼するし…、あれをおやじと云わずして何を云うって感じっすよ」 毛虫でも見たかのような表情で云い切り、"吉川さんはセクハラ受けてませんか?"と自分の躯も心配する太田に吉川はつい苦笑する。 「そ、そんな…、事は無いんじゃ…」 セクハラどころかいつも感謝していると感じている吉川が、その言葉に対して必死にフォローしようとするのを遮ると、太田は否定する。 「いいえ!!吉川さんは優しいから気付かないだけっす」 「そんな…、俺よりも大塚さんのほうが…」 数倍凄いとと続けようとした言葉を、太田は力一杯思いっきり遮る。 「あんなおやじよりも吉川さんの方が何億万以上素敵っす。知ってます?吉川さんはここの男性職員の花なんっすよ!!」 「花って…、何ですかそれ?俺、男なんですけど…」 男の自分が職場の花と云われ、吉川は顔を引きつらせながら質問した。 「俺なんか吉川さんが大塚のおやじを訪ねて来るたびに、幸せな気分になってます。吉川さん!変な事されてませんか、あの変態おやじに?大丈夫ですか?俺、吉川さんの事が心配で、心配で!!」 確かに大塚はおやじっぽい所もあるが、捜査一課でお荷物な自分をいつも何処かで見守っていてくれるそんな所があった。 吉川はさっき太田に云ったように勉強だけは出来るが、他は何も出来なかった。 捜査課に配属されて初めての仕事で、犯人を追いつめたにも関わらず、自分の不手際で逃がしてしまい、そこからけちが付いた。 今では周りは早く出世して何処かの所長なり、もっと上に行って自分たちの邪魔をしないで欲しいと思われているようだった。 事件が起こっても今回のように直接関係ないところの事情聴取や、簡単な地域巡回パトロールや、補導や青少年犯罪摘発をする生活安全課の手伝いに回される事も多かった。 その中で大塚だけは普通に自分を見てくれた。 確かにいやらしい事を云ったり、仕事が終わるとゲームセンターに入り浸ったりと警官らしさはなかったが、だからこそ親しい友達も恋人すらいない吉川にとって、大塚は大きい存在だった。 しかし、そんな大塚を信じ切っている吉川を本気で心配してくれている太田に、なるべく当たり障りのない言葉を返す。 「そ、そんな、頼りになりますよ…。あ、じゃ戻ります、大塚さんがいらっしゃったら連絡下さいとお伝え下さい」 「判りました。吉川さんも捜査頑張って下さいね」 「有り難う」 軽く手を振って微笑みながら吉川は部屋を後にした。 自分への評価はいつもの事なので諦めもつくし、それで反論しても無駄の事が判ってるので、反論する気にもなれなかった。 しかし、大塚への評価は納得出来ないものを感じた。 普段は社内のPCを相手に悪戦苦闘しているが、以前ヘルプで大塚が現場を手伝った時、あまりの機敏な判断と行動に吉川は度肝をぬかれた事があった。 そんな大塚だから、もしかしたら事件解決の糸口を既に掴んでいるかもしれない…、と吉川は思っていた。 そして、大塚が無茶しない事をただ祈るだけだった。 横浜市内 某マンション 10:30a.m. 遅い朝食を食べながら大塚は、昨夜参考資料として一課から拝借してきた”特捜刑事”四十八話のビデオテープを、ぼーっと見ていた。 作品自体はどこにでもありがちな刑事ドラマで、人気アイドル俳優メインに何人か使って、平均視聴率はこの手のドラマにしては比較的高いドラマだった。 確かにその四十八話のあらすじは、今まさに起こっている事件と全く同じ手口だった。 比較的入りやすい企業のサーバにクラッキングを掛け、コンピュータウィルス『La vie en Rose』を送る。 そして、自分たちがクラッキングした履歴は疎か、サーバの情報も全てを消し去り、電源が切れると、再度立ち上がりデータは全く残って居らず、唯モニターに『La vie en ゛Rose』…、バラ色の人生と文字だけが出ている、そんな事件だった。 ドラマでは、プロファイルの得意なノーブルなインテリ刑事と、見た目はダンディーだが全てを力で解決するワイルドな刑事、そして、その二人に振り回される有名政治家の息子で良い大学を出たおぼっちゃま係長の三人が、偽物の『Lavie en Rose』を作って、それをネット仲間に流す。 自分が本物だ吹聴して回ると本物の犯人が自分を主張し、そこにクラッキングしやすいダミー会社の顧客データがほしい、と云う依頼を流す。 最後にその嘘の情報に上手く犯人グループが引っかかり捕まる。 ドラマはそんなストーリーになっていた。 そのドラマは全国で放送されていて、これを見た人間が似たような事を実行出来る。 極端に云えば、ドラマ製作だけではなく、このドラマを見た人間全てが犯人になりえる…。 けれど、ドラマ放映前に、脚本が完成し製作に取りかかる前に起こっていると云う事は、これではまるで制作側が黒だと云っているもので、あまりにそれも不自然だと思えた。 このドラマの脚本は制作側には半年前には渡っていて、大勢の俳優や制作スタッフ、そしてコピーだったら一般に渡る事もある。 通常の撮影は早ければ半年、遅くても編集の関係で三ヶ月前には終わってるが、この話だけは何故か俳優の出演の都合で、ドラマの撮影は二ヶ月前。 事件が二ヶ月半前、そして放映が先々週、ただ…。 大塚は机の上に置いてある煙草に手を伸ばすと一服し、しばらく考えてから頷き、ビデオテープを止めると、残ったコーヒーを一気に胃に流し込みジャケットを取った。 「気になる事をそのままにするのは、俺らしくねぇや…」 そんな呟きをしながら部屋を出た。 |