「最近どうしたの?須藤ちゃん、お疲れじゃん」
真野はまるでそこにいて当然と云う態度で、オフィスの須藤の席の隣に陣取って須藤を覗き込んだ。
そんな真野に一瞥(いちべつ)もしないでPCのモニターに向かいながら須藤は、ひたすらキーボードをたたいていた。
「...。仕事!!」
「きゃー、須藤ちゃん怖いよー。ここずっと仕事仕事って全然遊んでくれないから、わざわざこうやって来たのに...。その態度って、冷たい」
「真野さん...。この状況見てそんなこと云う?」
机の上にはファイルの山、整理出来ていないで乱暴にファイルに入っている伝票に机の上には電話メモの山。
絵に描いたように仕事が雪崩を起こしている状況だった。
「はいはい。でも須藤ちゃんてばここ一ヶ月、メール打っても返事が来ないし、電話入れてもいっつも話し中だからさ、心配して来きたんだけど、それにしても...すごい状況だね...」
”だったら帰ってくれ−!”
と心で叫びながら須藤は、メールの返事を書いていた。
「そっちはコレクションの準備が終わって人心地かもしれないけど、こっちはコレクション後が本番なんですからね。あー、ちくしょー!!」
PCからエラー音がなり、どうやらPCが固まった様子に須藤は更にイライラしながらPCのリセットをした。
「なんか...、いつもにも増して怖い顔してるよ。須藤ちゃん」
怖い顔になって当然だろうと須藤は思った。
気づくとあれからすでに一ヶ月が経とうとしていた。
”あれ”とは、西山がドイツから突然やって来て、”あれ(澤口)は俺のモノだからね”と釘を刺されたあの日から...。
西山にああ云われ、澤口に対して自分の気持ちを持て余し、ヴァイオリンがおもしろくなって来て弾きたいと思うようになり...、今は時間がとにかくほしかった。
澤口や西山と話す時間、そしてヴァイオリンを練習したり、解らないところを澤口に見てほしかった(この辺が本音のような気がするが...)。
澤口に逢いたい...。
そう思っていた矢先がこれだ。運命とは無情にも思いとは別の方向に回り出すものだと云うことを実感させられた。
酒豪の西山と澤口と三人で飲み明かし、まともに使い物にならない頭を(よーするに二日酔いだ。それも重度の...)引きずって会社に行き、無事にもうすぐ定時で帰宅と云う時に入った一本の電話が不幸の始まりだった。
最初は小さなトラブルだった。しかし対応していくに連れどんどんと大きさを増していった。
そして、その対応に追われ、通常の業務に追われ、気づいたときには全ての仕事が雪崩を起こし、ヴァイオリンを弾く時間も澤口に逢いに行く時間もそしてオーケストラの練習参加もヴァイオリンの個人レッスンすら行けない状況になってしまい、早く仕事を終わらせなければと願えば願うほど訳の解らない仕事がどこからともなく沸いて出てくる。
この状況でイライラするなと云う方が無理だと思った。
「ねぇ、ちょっと相談事が有るんだけどさ...。もう就業時間はとっくに終わってるんだから飲み行かない?俺、奢るから...」
「...」
「ほら、そんなにいっぺんに仕事詰め込んでも能率悪いって。どうせ明日土曜日だしさ、明日だって出勤でしょ?だったら明日回しにすりゃいいじゃん?」
ヴァイオリンをやっている事を知らない真野は簡単に須藤にそう云った。
「あのねぇ...」
「決まり!!さ、とっとと片づけて!!」
机の上の書類を真野はさくさくと引き出しの中にしまって行く。
それを須藤は唖然として見ていたが、真野の強引な態度に仕事を諦め、ため息をついた。
コレは明日もオケの練習にも行けないかな、トホホ...。
とぼやきながら諦めて真野につきあう覚悟を決めた。
あ、西山 弘樹...。
町中で見知った顔を見つけた。
見つけたと云っても逢ったわけではなく、店に行く途中にあるCD屋の店先に”西山のヴァイオリンリサイタル抽選でプレゼント”とそんなポスターが貼られていた。
本当にヴァイオリニストだったんだ...。
タキシード着てヴァイオリン持って。リサイタルなんて、すごいじゃないか...。
「須藤ちゃん何やってるの?店もう少し歩いたとこだよ」
急に立ち止まった須藤に真野は声を掛けた。
「どうしたの?」
「ちょっとここ寄っていい??」
「いいけど、どしたの?」
二人は店内へ入り、須藤は西山のCDを探した。
西山のCDは広い店内で案外あっさりと見つかり、驚いた事に三枚も今までにCDが出ているらしかった。
「へぇ、須藤ちゃんがクラシック好きなんて初めて知った。あ、これ”西山 弘樹”だよね」
「知ってんの?」
「常識程度にだけどね」
「有名人?」
「日本人アーティストとしてはね。確か今ドイツにいるって聞いたけど...、リサイタルプレゼントって、日本に戻ってきてるんだ」
「...」
「”西山 弘樹”ならこの1枚目のアルバムなんて結構有名だよ。国際的な何とかってコンクールで受賞した後に録音ったやつ。でも俺のお薦めはこっち。この三枚目のやつ」
真野はそのCDを棚から取り、須藤に渡した。
「俺クラシックファンじゃないから好んでは聴かないんだけどね。この一枚は別。伴奏のピアノとのコンビネーションが最高なんだ」
真野に渡されたCDを取り、須藤は今度西山に逢った時にちゃかしてやろうと、そのCDを持ってレジに向かった。
会計をすると店員が黄色のいかにもお手製に見える紙を二枚差し出した。
「このアーティストのリサイタルチケットです。ポスターには抽選って書いてあるんですけどね、配布が遅れて来週のチケットなんですよ。よかったらどうぞ」
どうやら真野の分と二枚くれた様子だった。
余ってるのかな...?全然人来てなかったりして、まあ”あれ(西山の事)”だしな...。
須藤は西山のことを思い出しながらチケットを受け取り、会計を済ませた。
「それ、誰と行くの?」
簡単に食事を済ませ、真野のお気に入りのBarで飲んでいると唐突に真野が云った。
「それ?ああ、あのチケット?」
そう云われてリサイタルの日程も確認せずにもらい、行く気になっていた事に気づきいた。
ポケットにしまってあったCDとリサイタルのチケットを取り出した。
「ああ、何もまだ考えてない。あ、来週の火曜日か...」
須藤は真野が乱暴にしまった書類を思い出しながら”まあ何とか都合つくかな...と独り言ちた。
「俺、火曜日あいてるよ」
「そうなん?でもだめ。ちょっと誘いたい人いるんだ」
その時須藤は澤口のことを思い出した。
西山のことだから澤口を誘っていないと云うことは無いだろうが、須藤が澤口を誘う良いきっかけになるし、第一須藤が澤口を同伴してリサイタルに行ったらあの西山はどんな顔をするか想像しただけで楽しくなった。
「なんかにやついてるよ?彼女行くの?」
「いいや」
グラスを軽く動かし、少し暗めの照明(あかり)を受け、琥珀色の光がテーブルに透けてくるくる回るのを楽しみながら須藤はクスリと笑った。
「誰? 興味あるな、須藤ちゃんのハートを射止めた人って」
「秘密」
「けち。美人?」
「まあ...、すっごい美人(男性だけど...)」
「はっきりしないな。もしかして今は友達以上恋人未満ってやつ?」
「違うって...。ちょっとした音楽つながりの知り合い」
「なんじゃそりゃ」
「そうだな...。その人に断られたら、真野さんを誘うよ」
「げ、俺はキープかい?」
「ま、いいじゃん。そう云う友情も有りってことでさ...」
真野は小さく笑い、片えくぼを見せながら”ま、いいっか”とつぶやいた。
「ちょっちチケット見せて」
”ああ”と真野にチケットの一枚手渡し、須藤は買ってきたCDの曲を見た。
CDはヴァイオリンの小曲集になっていて、クライスラーやフォーレとヴァイオリンをやっていなくても聴いた事のある曲が集められていた。
そして、須藤は驚く事を発見した。
伴奏...”澤口 しずか”...。これって澤口さんのことなんだろうか...。
「訊いて云いか?この伴奏の”澤口”ってさ...」
「ん。そうそう、そのピアニストとのコンビネーションが最高なんだよ。だから、そのCDが俺のお薦めな訳」
「へぇ。”澤口”ってどんな人だか知ってる?」
学生時代の澤口と西山がどんなだったか少し興味があった。
「Un...、俺もクラシックファンじゃないからな...。でもな、俺のお袋って、ほら俺のお袋ってさ”お嬢”で良家の子女のたしなみみたいなクラシックファンでさ、そのお袋に連れてかれたコンサートで、終わった後に”西山 弘樹”と”澤口 しずか”が挨拶しに来てさ、(ほら、俺ん家って名士だから...アーティストのパトロンなんかしてるだろ)その時、澤口と話したんだけど、ステージでも綺麗だな思ったけど、”澤口”って男なんだけど、物腰が柔らかくってすっごい”美人”で驚いた覚えがある」
「どうしたの?何かさっきから赤くなったり、青くなったり」
余り明るくない照明でも判るくらいに須藤は澤口と西山のことを考えていた。事情を知らない真野は須藤の百面相を不思議そうに覗き込んできた。
須藤は照れ隠しに話題を変えた。
「真野さんっ家ってすごいもんな。出演者が挨拶来るような...」
「まぁ...家はね...。家(うち)ってさ、代々名門の政治家の家だからさ、じじい(これ祖父ね)は何かの大臣やってたらしいし、親父(おやじ)も世の中じゃかなり名の通った政治家らしいし、兄貴達もその辺野望バリバリだし。俺って昔からドレスとかにあこがれていたからその家を出て、デザイナーの道を選んだんだけどね。でもさ、最近周りがうるさいんだよね、親父の跡継って...」
真野は少し思い詰めたように遠くを見た。
「真野さん...」
「なあ。このチケットにもピアノ”澤口 しずか”って名前が入ってるじゃん。今でも活動してるんだ!!だったら俺このリサイタル行きたい!このピアニストとのバランスがすごくいいんだ」
チケットにはピアノ”澤口 しずか”とのデュエットと書いてあった。
冷静に考えたら澤口恋しさでヴァイオリンが弾けなくなった西山のリサイタルなら、西山が澤口を誘わない訳無いか...。
「真野さん...。火曜日のコンサート、俺につきあってくれますか?」
「え?いいの?美人な彼女は?」
「いえ、もういいんです。ほら真野さんにそこまで云われたら誘わないわけいかないでしょ」
「って、顔引きつってるよ。まあ、いいや。ラッキーってことで」
真野は少しだけ不思議そうな顔をしながらも納得したようだった。
西山のことはあれど、もう一度澤口のピアノを聴きたいと思っていたのは本音だったので、須藤はリサイタルに行きたいと思っていた。
しかし、その辺の事情を真野に話すのを躊躇(ちゅうちょ)した須藤は思いだしたように話題を変えた。
「そう云えば、何か相談事があるって云ってましたよね真野さん。愚痴だったら何でも聞きますよ」
「...。云ったな」
真野はグラスに残った酒をくっと勢いをつける様に飲んだ。
「まあいいっか...。そのうちね...」
「何だかなぁ...。あ、判った!また仕事でいじめられたんでしょ。仕事場で不思議なくらい嫌われてますよね。今度はデザイナー仲間ですか?それとも製作側の人ですか?ホンとよくいじめられますね、真野さんって」
「...。そーなんだ聞いてくれよ。俺の服作りたくないって、また(ここら強調!!)パリから云って来てさ...。須藤ちゃん!布、用意して!!こうなったら先生にお願いして日本に製作用のアトリエ作らせてもらう!!」
「俺忙しいんですよ!もめ事は勘弁して下さいよ。それにそんなことしたら、また周りの人に嫌われて、いじめられますよ!!」
真野と最寄りの駅で別れ、時計を見ると23:49だった。
まだ澤口は起きているだろうか...。リサイタルの話が気になって澤口の声が聞きたかった。
須藤は携帯で澤口の家に電話したが、留守番電話になってしまった。
『須藤です。仕事で日曜日行けそうにありません。また連絡します』
と伝言を残し、電話を切ってから須藤は考えた。
澤口の家に電話して何を話そうというのだろうか。
澤口には澤口の生活があるのに...。
そう考えると寂しくて泣きそうになり、須藤は小さくため息を付いた。
火曜日19:30〜から始まるリサイタルに行くためには、その日、定時で上がらなくてはいけなかった須藤は、土、日に完全出勤し、月曜日も夜遅くまで残業をし、何とか火曜日は残業を免れた(半分仕事をほっぽって来たとも云えるが...)。
真野との待ち合わせは会場の入り口だったが、会場前にはすでに長蛇の列が出来ていて、須藤を驚かせた。
その列の最後尾に着こうと歩いていると最後尾よりほんの少し手前に真野が並んでいて、須藤に手を振った。どうやら真野も少し前に来たらしかった。
「すごい列だね...」
「ああ、俺もちょっと前に来たんだけど、驚いたよ。あ、花...」
真野は須藤が手にしていた白いバラの花束に気づきニヤリとした。
「え、澤口さんに...。いや、なんかこういうのってさ、花でも持って来ないと行けないかな?なんて思ってさ...」
「ふーん。知り合い?」
「え?」
「出演者...?Un〜、”澤口の方”か」
「え!いや...あの、その...」
ドギマギしながら須藤は体温が上昇していくのを感じた。
「かわいー。須藤ちゃんってドライに見せてるけど、実はすっごいウェットな人だよね」
「ま、真野さん!!」
須藤は照れながら必死に否定した。
しかし、CDを買ったあの日から今まで以上に澤口の事がずっと気になっていた。
あの伝言の後に何度も電話を入れようとは思ったけれど、結局一度も掛けずに終わってしまった。
けれど、澤口と少しでも話をしたくて、せめて花を渡しせばきっかけも...などと、自分なりにシナリオを作って澤口のイメージにあう花を買った。
しかし、この並んでいる人の多さに少しずつ不安は募っていった。
入場を待つ列の会話の端々で”西山”や”澤口”の名前が上がっていて、どうやら”あの西山”にはファンが多く、”澤口”とのコンサートを期待させていたのだと云うことが判った。
西山のファンに対しては”知らぬが仏?”って云うのだろうか...。あんな変なやつなのにかわいそうに...。と思っていた。
入場するとホールは既に満席に近い状態で、須藤と真野はかなり後ろの席に座った。
リサイタルの始まる5分前の1ベルが鳴り、ラフなスーツ姿の澤口がピアノに付き、本ベルと同時にワイシャツを少しおしゃれな形にしたドレスシャツに仕立てのいい深緑のスラックス姿の西山が大きな拍手と共に登場した。
曲はクライスラーとフォーレを演奏した。
そして鳴りやまない拍手に西山がマイクを取り、アンコール曲を紹介した。
『最後に私から本日特別に私の伴奏をしてくれた”澤口さん”に捧ぐ曲を...。タイスの瞑想曲』
CDにも入っていた曲だったがホールに流れる二人の演奏は心に響き渡る素晴らしいモノだったが、須藤は何となく自分だけが取り残されているような気がしてとても寂しかった...。
演奏が終わり、大拍手が二人を包んだ。
西山がこちらを見てニヤついているように須藤には見える。
その瞬間、西山が澤口の頬にキスをした。場内のあちらこちらでファンらしき女性から黄色い悲鳴が上がった。
そのざわめきの中で、スタッフの女性が二人に花束贈呈をし、大勢のファンがステージに駆け寄り二人に花束を渡して行く。
「須藤ちゃん行かないの?」
その姿を唖然とただ見つめていた須藤の耳元に囁くように真野は質問した。
しかし、先程からのイヤミにも見える西山の視線と笑みで感情を高ぶっていた須藤の耳には、それは届かなかった。
二人が山程の花束を手にステージを去り、客も名残惜しそうに帰り始めた頃須藤は決心した。
「俺、ちょっと楽屋行って来る!!」
意表をついた須藤の決意に真野は慌ててついていった。
「ってどこだか知ってるの?」
「知らないけど聞く」
「待ちなって、こっちだよ」
何度か楽屋に行ったことがある真野に、須藤の腕を引っ張りって連れて行かれ、いくつかある楽屋から”澤口”の名前の張ってある楽屋を見つけ、須藤はノックした。
何の返事もなくドアが開(ひら)く。
ドアを開けたのは西山だった。
「やっぱり来ると思った」
西山のニヤついた表情に須藤は不快な気分になった。
「挑発したのは西山さんの方じゃないですか...」
眉間にしわを寄せ須藤が西山をにらみつけた。しかし、西山はふざけたようにニヤニヤしていた。
「俺に花?悪いね気を使わせて」
「まさか、澤口さんに渡すに決まっているでしょ。それに西山さんに白なんて似合いませんよ」
”云ったな”と西山は軽く鼻で笑った。
「何やってるんだ!あ...須藤さん!」
澤口が西山を止めに入り口の所まで来た。
「さ、澤口さん...」
須藤の顔がほころび、西山に対して不機嫌な顔をしていた澤口も須藤に対しては須藤のよく知っている優しい笑顔で応えた。
「何度も連絡頂いていたのにすみません。急にこのリサイタルの出演が決まったモノで、最近余り練習していなくて...、そのずっと練習をしていたので...」
軽く上気した頬の澤口の変わらない笑顔を見て須藤はホッとした。
「ま、立ち話も何だから中、入ったら?」
澤口を後ろから抱き締めるようにしている西山に案内され、須藤と真野は中に入った。
「あ...これ、澤口さんに」
須藤は頬を赤く染めながら澤口に花束を渡した。
「有り難う御座います。綺麗なバラですね」
「澤口さんに似合うと思って...」
二人が照れて頬を赤く染めながらうつむいている姿を見て拗ねたように西山が叫んだ。
「おーい、須藤!俺には?俺のリサイタルだぜ?」
「ああ、そうでしたっけ?そう云えば、さっきはわざと俺を挑発しましたよね」
西山は一瞬とぼけた顔をし、澤口の肩に手をのせた。
「だって”コレ(澤口)”は俺のだから、今回こそは絶対ドイツに連れて行くから」
「弘樹!!」
澤口は眉音を寄せ西山に抗議するように云った。
「しずかのこの躯もピアノの才能も俺のだから、後から出て来た須藤さんにはあげないから」
西山は勝ち誇ったように澤口の躯を後ろから抱き締め、そして撫で擦りながら触っていった。
その様子に須藤はムッとし、西山にくってかかった。
「俺はスタートラインにも立ってないかもしれないけど、澤口さんを俺のモノにします。西山さんこそ過ぎ去った過去にしがみつくようなみっともないまねは止めた方がいいですよ」
「何!しずかは俺のモノなんだ!!」
須藤と西山が何度か押し問答をし、澤口も最初は優しく止めていたが二人の様子にたまりかね西山の手を払った。
「いい加減にしろ!!俺はモノじゃない!!二人で俺をモノ扱いしやがって!」
澤口は肩で息をして怒鳴った。須藤も西山も澤口の状態にスッと我に返ったところで、澤口は一回空咳をコホンとした。
「こんな公共の誰が聞いているか判らないところでする話じゃないだろ。とにかく家で話しましょう。良いですか?」
須藤と西山が小さくなって頷(うなず)くと今まで遠巻きに三人の様子を見ていた真野が初めて会話に参加した。
「あの、ちょっと伺っても良いですか?三人ってそう云う関係だったんですか?」
「あ、真野さん?」
今まで西山との事で熱くなっていた須藤は、真野の存在に気まずさを感じた。
冷静に考えれば男同士で好きも嫌いもあったモノじゃないと思った。
しかし、真野はニコッと笑い眼をキラキラさせて云った。
「じゃ、俺も混ぜて下さいよ」
「ま、真野さん?!」
須藤は眼を白黒させて真野の方を見た。
「俺、須藤さんってストレートな人だと思っていたから、今まで良い友人になろうとしていたけど、俺、須藤さん好きだから、そのいわゆるそう云う関係になりたいと思っていたんで、西山さんと澤口さんの仲を壊さないためにも。ね、須藤さん俺とつきあいません??」
「ちょっと待って下さい。そんなこと云われたって...、第一男同士で...」
須藤は真野の発言に戸惑い、助けを求めるように澤口の方を見た。
澤口も今まで須藤の友人という以外気にも止めていなかった人物からの言葉に戸惑いを感じていた。
「あの、この状況を何とか打開して下さる為に気を使って下さったのでしょうが...?えっと」
「違いますよ。俺、別に須藤さんと澤口さんがいつからおつきあいしているのか知りませんが、須藤さんと出会った5年前からずっと俺、須藤さんの事好きなんです。須藤さんになら抱かれても良いかなって、思ったこと何度もあるし...。もちろん須藤さんを抱いても良いですけど...」
「抱くって...。真野さん、俺...」
須藤は戸惑いながら、どう返事して良いのか判らずにただ口ごもった。
「良いじゃないですか、須藤さん。澤口さんには西山さんがいるし、さっきの演奏もとってもお似合いでしたよ。いや本当に、お二人を見ていると大学時代からの名コンビって感じでしたし」
いきなり西山の笑い声が聞こえた。
「そうそう、いいじゃんか。俺はしずかとラブラブなんだし、須藤はそいつとよろしくやれば」
「ちょっと弘樹だまって」
澤口に窘(たしな)められ西山は舌をぺろっと出した。
「えっと...、須藤さんのお友達の方...」
澤口は真野の方を見た。
「俺、真野です。真野 恵(めぐむ)です」
「あ、真野さんの本当の気持ちはどうか判らないですけど...、俺は弘樹とやり直すつもりも無ければ、須藤さんをどうこうしようともしたいとも思ってません。第一須藤さんも俺も男じゃないですか。好きだの嫌いだの...」
その話を遮るように真野は澤口に云った。
「あの、澤口さん。ここにいる皆、大人の男なんですよ。今更誤魔化すのは無しにしましょうよ。男同士だってどうしたらセックスできるか知らない人間なんていないんだし、澤口さんだって男に抱かれて感じるでしょ?」
小さなため息を澤口は付き、下を向き観念したかのように話を始めた。
「確かに弘樹と大学時代、肉体関係有りでつきあっていました。でも、4年前弘樹について行かないことを決めた日から、愛だの恋いだのではなく、今は弘樹とは良い友人でいたいとそう思ってます」
「じゃあ、今回のリサイタルを引き受けたのは何故ですか?まるで縒(より)を戻すようにも見えるじゃないですか?」
「それは...」
西山は頭を軽くかき、小さくため息を付いた。
「しょうがないな、俺から云うよ」
「弘樹...」
「しずかと別れてドイツに行ってオケとか練習とかしててもさ、なかなか思ったように弾けなくて、挙げ句に有名オーケストラと組む話までおじゃんになって、ヴァイオリンが弾けなくなっちゃって、で、しずかに相談してこのリサイタルで成功すればまた弾ける様になるような気がしてさ。協力してもらったんだよ、しずかに」
「でも、縒(より)を戻したかったんでしょ?」
「まあな、でもさ、しずかって見かけに寄らず我が強いし、怒らすと怖いし、頑固だしさ。だからさ、今回は一緒に演奏だけって話でしずかも了承したんだよね」
「そうなんですか?澤口さん...」
真野はまだ二人の言葉を信じられないと云う様に澤口に確認した。
しかし口を開いたのは澤口では無く須藤の方だった。
「ねえ、真野さん。真野さんが俺のこと本当はどう思っているか判らないですけど...。俺、西山さんのこと澤口さんを独占しようとしてむかつくけど、結構好きだし。あ、この場合友情とかそういうのね。澤口さんのこと気になるし、もっと知りたいし、もっと仲良くなりたい。そんな友情があっても良いんじゃないかな。LoveじゃなくてLikeでいいんじゃない??」
「じゃ、俺はまるっきりピエロだね」
真野は、少し寂しそうに呟いた。
「そんなことないですよ。真野さんは俺の大切な友人だから。俺、真野さんと飲み行くのとか嫌いじゃないし」
「OH!じゃ飲もうぜ!!おーし、しずかのマンション戻って酒盛りだ!真野さんあんたもな。須藤は来なくても良いぞ!!」
「ちょっと待って下さい!なんで家(うち)なんですか!」
「さ、帰る準備、帰る準備。須藤その花束持てよ。そっちのバッグも!!」
「何で俺が!!」
「いいですよ。俺、持ちますから。弘樹、自分の分は自分で持て」
「良いですよ澤口さんの分なら、俺持ちます」
「行くぞ!!」
「須藤ちゃん俺も手伝うよ」
真野はそう云って澤口から荷物を奪い、憑き物が落ちたように機嫌良さそうに笑った。
そのまま強引に四人はタクシーに乗り込み澤口の家に向かった。
タクシーの中では澤口を挟んで須藤と西山が無言で威嚇(いかく)しあい、運転手を気味悪がらせていた。
澤口の家に着くと西山は我が家でくつろぐ様にソファーでくつろぎ、澤口は須藤と真野をリビングに案内し、座って待ってるように微笑み、飲み物と食べ物の用意をするためキッチンへ向かった。
「しずかー。酒ー」
西山がべろべろに酔っぱらいながら一升瓶を抱えて叫んだ。
「はいはい...(;^^)」
澤口はキッチンで忙しそうに調理をしながら返事した。
「あ、こっちもお酒切れたんですけど、ビールまだ冷蔵庫にありましたよね?」
須藤が缶ビールを片手に真っ赤な顔をして云った。
「はいはい...(-_-;)」
澤口は、フライパンを忙しそうに動かしながら微笑んだ。
「こっち皿空いちゃったんですけど...」
真野がすまなそうに、けれどしっかりワンカップを片手に呟いた。
「はいはい...(._.)」
澤口は菜箸(さいばし)を振りかざし、焦りながら返事した。
「しずかー。つまみがないぞー」
「はいはい;((@_@))」
「あ、何か雑炊なんか食べたいですね...」
「はいはい(x_x)」
「あの...。澤口さん...」
「いーかげんにして自分で動いて下さい!!」
「はい...」
真野は空の皿を持ち、脅えながら返事をした。
「あ、真野さん...。すみません忙しくて...」
「いえいえ、澤口さんに全部やらせてしまってすみません。あ、あの、お手伝いします」
「有り難う御座います。じゃお言葉に甘えてその洗い物お願いできますか?」
「はいはい、お安いご用意です。あ、あの...少しお話ししても構いませんか??」
「はぁ、何でしょうか」
澤口は菜切包丁でキャベツを手早く切りながら返事をした。
「ストレートに聞きますね。澤口さんは須藤さんのことどう思ってらっしゃるんですか?」
スポンジに洗剤を軽く垂らし真野は、少し泡立てて食器を洗い始めた。
「真野さん...」
手を止めず少しキャベツを千切りし、小さく息を吐き澤口がゆっくりと話し出した。
「嘘を云っても真野さんにはばれてしまいそうなので、本当のことを云いますね」
「澤口さん...」
「自分でも少し持て余してるんです、この思い。須藤さんが云っていたことと一緒ですね」
澤口はクスリと笑って止めていた手を少しずつ動かし始めた。
「弘樹とはなし崩しにつき合いが始まり、気づいたらお互い抱き合っていたので男同士とか、愛しているのかとか、考えるまもなく時が過ぎてしまった。でも須藤さんとは須藤さんを始めて見かけた時から何か話したいとか、親しくなりたいとか、自分の欲望が頭の中で広がって、でも...、SEXとか、一緒になるとか、そう云う線を越えたいかと云うとよく解らないんです。須藤さんが男性だからとか、ノンケだからとかそう云う訳ではなくて...」
蛇口のお湯の温度を調整しながら真野は、食器をすすぎ始めた。
「俺、実は澤口さんや西山さんに感謝しているんですよ」
「?」
「だって、須藤さんが澤口さんを西山さんと取り合ったりしなければ俺、須藤さんに気持ち絶対伝えなかった。それに、ああいうタイミングじゃなきゃ須藤さんと俺との友情までひびは入っていたと思うし」
「真野さん...」
「だから、ライバルってやつになりませんか?もちろん澤口さんが西山さんを選んでも可。お互い進展したら情報を公開する。で、須藤さんがどちらを選んだり、若しくは別の人を選んでも恨みっこ無しって云うのいかがですか?」
澤口は真野の申し立てにクスリと吹き出した。
「変な人ですね。真野さんって」
「いえいえ、澤口さんには負けます。だって澤口さん、その大量なキャベツの千切り、何に使うんですか?」
「え??」
澤口の前のまな板にはキャベツまるまる一個分の千切りが山を作っていた。
「真野さん!!情報公開じゃなかったんですか!!」
「いえいえ、俺は負けるまで敵に塩なんて送りませんから」
「云ってることが違うじゃないですか!!」
真野は声高く笑いながら洗い終えた食器をふきんで拭き、食器立てに置いてからキッチンを出ていった。須藤のことが少し気になったが、その前に目の前のキャベツをどうするかその山を見て苦笑した。
先程からの宴は静まりを見せ、西山も真野も今は静かに寝息を立てていた。
二人を起こさないようにそっとサッシを開け、須藤は畳一畳くらいのベランダに出た。
いつもは何処か不安な気持ちにさせる春の夜風が、アルコールを大量に摂った躯には心地よかった。
ポケットに仕舞ってある煙草を取り出し、夜風を楽しみながら紫煙を吐き出した。
『須藤、勘違いするなよ、俺はだなしずかの躯目当てでつきあい始めた訳じゃない』
西山はかなり飲んでいて呂律の回らない舌でぼそりと呟いた。
『でも!』
『まあ聞けって。俺はだな、初めてしずかのピアノを聞いたときにその音に惚れた。で、その音の主、しずかを知って更に惚れて、しずかが好きで好きでたまらなくなった。どうしていいのか解らないくらい惚れているんだ。最初はしずかも俺を好きになってくれてると思ったさ。でも俺の気持ちはしずかには届いていなかった。だから一旦諦めた。でもそれだけ惚れ抜いた相手を忘れられなかった。しずかが恋しい』
『西山さん...』
『”タイスの瞑想曲”って曲、知ってるか?』
『曲は。アンコールでもやっていましたよね。澤口さんに捧ぐって...』
『あれは、歌劇”タイス”の曲で娼婦のタイスが信仰の道に入ると決めた時の歌なんだ。しずかを俺から解放したつもりだった...』
”西山さん...”西山はそのまま云いたいことを須藤に告げられて安心したらしく、寝入ってしまった。
「須藤さん」
背後でベランダのサッシの開く音がし、そして優しい声がした。
「あ、澤口さん...」
煙草を手にとり、紫煙を須藤は吐き出した。
「弘樹も、真野さんも酔いつぶれて寝ちゃいました」
「そうですか...。何か、今日一日物凄く長く感じました」
大きく伸びをし、持っていた煙草をくわえ深く吸ってから紫煙を吐き出し、煙草を灰皿に擦り付けた。その須藤の様子を横で澤口は静かに見ていた。
「もうすぐ日付が変わります。須藤さんもここずっと仕事が忙しいんですよね?雑魚寝になりますけど寝床作ったんで休んで下さい」
「有り難う御座います。あ、あの、澤口さん」
「ン?」
「あ、あの...綺麗な星空ですね...」
須藤はどう切り出して良いのか解らず気恥ずかしそうに空を見上げた。きっとこんなことその辺の陳腐なドラマでも云わないな...。そう思うと苦笑してしまう。
「そうだ、須藤さん。少し変な話して良いですか?」
澤口が軽く微笑み夜空を見上げながら云った。
「大学を出て、保父の仕事を初めて大好きな子供に囲まれて、女性とつきあったこともあったかな。でも何か足りない気がして、仕事で使う楽曲以外ピアノを弾かないと決めていたのだけど、だったらピアノを弾けば...、その思いを埋められると思った。でもだめだった...」
「それって、西山さんと別れたこと後悔してるってことですか?」
須藤はおそるおそる質問した。しかし澤口は須藤の方を少し向き、そして首を横に振った。
”じゃあ...”と反論を須藤はしようと思ったが、自分の感情の高ぶりを鎮めるようにゆっくりと鼻から息を吐き、煙草を取り出して、火を付け、紫煙を吐き出し、澤口が話を続けるのを待った。
「...。弘樹とつきあっていた四年間ってとても幸せだったんですよね。弘樹と一緒にコンサートやCDなんかも出て、そしていつも弘樹がいて...。でもいつも不安だったんですよね、この人がいなくなったら自分には何があるのだろうって不安があって...。弘樹は俺のピアノじゃなくて俺の躯がほしいんだとずっと思っていた。だから弘樹とのセックスは弘樹をつなぎ止める手段だった」
澤口は遠い彼方を見るように夜空を見上げた。
「でも、四年なんてあっという間に経ってしまって、弘樹はドイツ留学が決まって、弘樹は俺に着いて来いと云ってくれた。けれど、メッキなんていつかはげるモノで、まして、海外なんて絶対にやっていけないと思った。だから弘樹と別れる丁度良い機会だと思った。弘樹とは全てが受身形で始まってピアノの伴奏も躯を重ねるのも...。弘樹が求めればそれに応えるようにしていた。だから弘樹を愛していたのか自分でも解らないんです。でも...」
「でも?」
「須藤さんをあの幼稚園で見かけてから何か俺変なんですよ。須藤さんは気持ち悪いかもしれないけど、俺須藤さんと話す前から須藤さんを毎週土曜日に見かけるのが楽しみで」
「澤口さん...」
「須藤さんを餅つきに誘ったのも所謂(いわゆる)確信犯ってやつだった」
「澤口さん...。俺!澤口さんのピアノ大好きで...、澤口さんの笑顔すごく見たい!それが恋愛感情なのか解らないけど、一生良い友達でいたいです」
「良い友達なんですか?」
「あ、あの、その...」
持っていた煙草を灰皿に押しやると須藤は澤口の首に左手を巻き付け、澤口の頭を自分の方に引きつけて、澤口の耳元で囁いた。
澤口はその言葉にハッと息を吸い、頬が見る見る赤らんできた。
その様子を見て須藤はゆっくりと自分の唇を澤口の唇に押し当て、角度を変えて何度か啄(ついば)むようなバードキスを交わし、そしてその口付けは何度目かに深いモノと変わっていった。
まるで何かの誓いを交わすようなそんな口付けだった。
...恋人としてつきあってみても良いですか?...
「おーい。人が見てないと思っていい気になりなりやがって!須藤!!」
「そうですよ。澤口さん先程の協定はどうしたんですか??」
窓が勢いよく開き、二人から苦情が聞こえる。澤口と須藤は顔を見合わせクスリと笑ってから部屋の中に入った。
「しずか。俺、明日ドイツに帰るわ」
「弘樹」
「だが須藤!いい気になるなよ。直ぐ戻ってくる。今度は来日じゃなくて戻ってくるからな。しずかのピアノとしずかに惚れているのはお前だけじゃないんだ。俺はお前がしずかと出会う何年も前からしずかにしずかのピアノに惚れているんだ!!解ったな須藤!!」
どうやら西山も須藤と同じく澤口さんを大好きでたまらないのに、その気持ちを上手く表現が出来なかったんだ...。そう須藤は思った。
「澤口さんもそうですよ。俺も今週末にはパリにコレクション準備で発ちます。でもお互いの協定は守って下さいよ!!」
澤口は最高の優しい笑顔で二人に応えた。
コンサートまでまだ4ヶ月。
仕事のこともあるし、澤口さんのこともあるし、楽譜を覚えたり出来ないフレーズも覚えないといけない。でも何となく今までと変わりつつある生活にちょっと期待してしまったりして...。
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